125 子供の日のノスタルジー

 こんにちは。


 今日は子供の日でした。一応、柏餅も食べました。……それくらいしか“らしい”ことはしていませんが。


 祖母がまだ生きていて母の実家である家屋に住んでいた頃は、子供の日はお祭りだったので必ず遊びに行きました。

 絶対にバラ寿司を作っていてくれるのです。それに老舗和菓子屋さんの味噌餡の柏餅を用意してくれています。

 神社までは少し遠いので(地の神さまの神社までの間にもう一社、全国的に有名な神社があるので遠いのです)なかなか足を運ぶことは無かったのですが、顔を出してみんなで過ごすのが毎年の恒例行事。

 それで菖蒲をもらって帰ります。帰ってからその菖蒲でお風呂に入る。


 しかし祖母が亡くなってからは、今日はお祭りだね、という話をするのみ。寂しいですね。

 大きくなってからは、少し煩わしく感じていたあの時間が、なんて尊い時間だったのかと。

 あー、お婆ちゃんのバラ寿司が食べたいなぁ。私は子供の頃、食べない子だったので、バラ寿司が嫌いだったのです。バラ寿司が嫌いというより炭水化物が嫌いだった。嫌いと言うと齟齬があるのだけど、三口くらい食べてお終いでいいのに食べろ食べろと言われることが嫌いだったのです。それだったら、食べなくてよかった。なのに今さらこんなに食べたいと思うなんて。


 先日母親がスマホの画面を熱心に見ながら操作していたのです。見ようと思ったわけでもなく、たまたま画面が目に入って来たのですが、その画面がもう祖母のいない実家の場所の航空写真でした。後で確認しましたが、珍しい立地なのでストリートビューが届いていない場所だったので航空写真を見ていたのでしょう。

 何とも言えず、声が掛けられなかった。

 多分、何気なく見ていただけだとは思いますが。


 とある電車に乗るとその家が見えるのです。電車に乗ると私も、その家の前を通る時待ち構えて見てしまう。

 もう花壇も無いし、洗濯物の竿もかかっていないのに。

 その家は借家で。母はずっとその家で育ちました。長屋で真ん中の家。すごく古いのですが、とても特殊な立地なので、もし潰してしまったら新たに建物を建てる事が出来ない場所。なので改築をしているようです。

 もう一度、あの部屋に行ってみたい。

 

 その部屋を出る最後の日、母と母の兄と祖母で最後のお別れをしてきたのですが、いっぱい写真を撮らないとダメだよ、と言って送り出したのだけど(私は仕事で行くことが叶わず)撮ってきたのは家を後にする寂しそうな笑顔の祖母のバックに写る外観だけでした。

 

 こんな画像は要らないだろうと思っている画像こそ、後ですっごいお宝になるのです。だらしなく寝転んでいる姿、歯磨きをしている所、台所に立っている姿、荷物が多すぎてひっくり返った部屋、玄関の高さ、部屋の暗さ、狭さ、昔ながらのガラス障子の建具、毎日見すぎて忘れるはずがないと思っている部屋の間取り。

 あとになって必ず「もっと撮っておけばよかった」と言うのです。

 写真を撮りまくる私ですらいつも思っている。ひぃちゃんだって、先日亡くなった友達だって、インコだって、もちろん両方の祖父母のことも。

 

 私も今住んでいる実家は私が生まれたときから暮らしている場所。

 ここから離れる日が、未来には待っているんでしょね。

 近くの田んぼもアパートも学校もお地蔵さまも鉄橋も。全部懐かしく思い、そして記憶の中でかすんでいくんでしょう。


 私は何もないな。その事だけが浮き上がって来る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る