二百八十九話目 青い夏

「そうか、カタンが確認したか。では報酬を支払う」


 依頼書を見せると、ヴェルネリはすぐにそう言って、足元から袋を取り出した。

 じゃらりと音をたててデスクの上に乗ったそれを、コリンが受け取って、中身を確認せずにハルカのカバンにしまった。


「確認は?」

「いらないでーす」

「そうか。コリンの働きも含めて色をつけてある。そちらさえよければ、専属で雇ってもいい。軍に編成せず、こちらの依頼をこなし続けるという形でだ。……確か依頼の途中だと聞いていたから、それが終わってからでも構わんが」

「それは無理ですね、まだまだあちこち冒険したいですし」


 随分と馴染んでいたコリンが、すっぱりと断るのを聞いて、ヴェルネリは背もたれに寄りかかってため息をついた。


「そうだろうな、言ってみただけだ。明日にはここをたつのか?」

「ええ、そうですね。依頼は完遂しましたし、前線でいつまでもお世話になるのもご迷惑ですから」

「旅の無事を祈る。いずれまた近くを通ったときは顔を出すといい。人手はいくらでも欲しいからな」

「はい、機会があればまた」


 ハルカが頭を下げて退室するのに、仲間たちも続く。その後ろには部屋に一緒にいたウーもついてきていた。

 初日に泊まった場所まで向かう途中、ウーが話しかけてくる。


「お前らを見てると、俺もまた旅に出たくなるぜ」

「そんなことを言うと、閣下が頭を抱えてしまいますよ」

「仕事を投げ出す気はねぇが、自由ってのも手放してみると良いものに思えるな」

「そりゃそうだろ。俺は軍属なんて御免だな」

「ふんっ、お前はいいよなぁ! こんな頭もきれて、腕もたつ嬢ちゃんと許嫁だっていうんだからよ! 俺だってそんな相手がいたら軍に入ってないぜ」

「………………まぁ、自分のことわかってくれる奴が近くにいると、やりやすいことも多いからな。そばにいねぇと調子でねぇし」


 ハルカが三歩歩いてから足を止める。アルベルトの言ったことが直で頭に入ってこずに少し時間がかかったのだ。

 振りむいてみると全員が足を止めてアルベルトの方を見つめていた。ただその注目されている本人だけが、やや早足で歩き続け、ハルカの横を通り抜けていく。顔が赤くなっていたのを誰かに指摘される前に、そのままずんずんと先に行ってしまったアルベルトを見送ったハルカは、今度はコリンの顔を見る。


 コリンは目を大きく開いて、視線を彷徨わせている。なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして、ハルカは眼をそらして頬をかいた。


「今回のアルはずっとコリンのこと気にしてたですからね」


 すました顔のモンタナがそう言った。そうしてすたすたと歩きだし、アルベルトの後を追った。

 仲間として、友人として二人の関係が良好である方がハルカたちにとっては嬉しい。ハルカも自分の耳についたイヤーカフを指先で撫でてから、視線を少し上に向けて口を開いた。


「まぁ……、私もコリンに助けられたことは一度や二度じゃないですし。戻ってきて元気そうだったので安心しました。次は一緒に行けるんですよね?」

「え、うん、まぁ、そのつもりだけど……」

「それは良かったです」


 ハルカも後ろを振り向かずに歩き出す。

 アルベルトに追いついたらどうしてやればいいんだろう。

 よく言ったって褒めてやるのがいいのか、それとも昨日倒した巨人との戦いの反省会でもしてやったらいいんだろうか。

 自然と頬が緩むのを感じながらハルカは足取り軽く、モンタナの背中を追いかけた。


 ディグランドは太陽の光を遮るものがあまりない。

 朝日が眩しいのにまるで暑いと感じないこの地域は、冬になると一体どんな風に様変わりするのだろうか。

 いつもより少し早く目が覚めたハルカは、本陣の周りに建てられた柵に寄りかかりながら、炊事場で上がり始めた煙を眺めていた。


 昨日の夜、アルベルトはさっさと眠ってしまったのであまり話ができなかったが、そのことについては特に心配していない。どうせ今日の出発のころには、いつもと同じような雰囲気に戻っているはずだ。


 ここを抜けると、まっすぐ王都へ向かうことになる。

 ノクトの用事を済ませるため、王都には数日滞在することになっている。

 行程を考えれば旅もそろそろ後半戦に差し掛かった頃だろう。ハルカは地図を広げて、自分たちの歩いてきた道を指先でなぞった。

 見事に蛇行しているその線上のあちこちで、忘れられない出来事が起こった。


 元の世界で寿命まで過ごしていても決して感じられなかったであろう胸の高まりがあった。心が潰れてしまいそうになって、大人げなく涙を流してしまうこともあった。


 それでもまだ旅に出て半年、この世界に来てほんの一年と少しだ。


 朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んでから、ハルカは地図にもう一度目を落とし、行程の細かな確認をしていた。



 ハルカの長い銀の髪はそよ風に吹かれわずかになびき、朝日を照り返す。目を伏せてピタリと動きを止めたその姿は、まるで彫像のように美しい。

 ハルカに見とれてポーっと立ち止まっている兵士の横を、寝起きでぼさぼさの頭をかきながら、アルベルトが通り過ぎる。


「おい、ハルカ、朝飯」

「あ、はい。わかりました」


 それだけ告げると、目をこすりながら欠伸をしてアルベルトは元来た道を戻っていく。ハルカも地図をたたむと、その後に続く。


「おはようございます。朝からお疲れ様です」


 そばに兵士が並んで立っていたので、巡回か見張りかと思い、ハルカは声をかけて横を通り過ぎていく。


 二人が去った後、兵士が呟く。


「ずるいよな、あいつ」

「そうだよな、俺もコリンさんや、あのお姉さんと一緒に冒険したい」

「俺、冒険者になろうかな」

「俺も、ここの任務終わったら冒険者登録するんだ……」


 ヴェルネリ辺境伯領で冒険者の活動が少し活発になるのは、まだ少し先の話。











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