二百六十六話目 バルバロ少年の話(後)

「人族は劣等だ。我々吸血鬼ヴァンパイアとは生まれ持っての能力が違う。そのくせ増えることには長けていて、数が揃うと我らに牙を剥く。家畜として生かしておく価値はあれど、管理はきちんとせねばならないと常々思っていた。そうでないから、お前のような勘違いをした子供が生まれるのだ。そう思うだろう?」


 自らを破壊者ルインズの種族の一つである、吸血鬼ヴァンパイアと名乗った男は、バルバロに同意を求める。バルバロは肩の痛みを感じながらも、そのあまりに身勝手な言い分を聞いて、怒りの視線を相手に向けた。


 吸血鬼ヴァンパイアは不愉快そうに眉を顰めて、片手でバルバロの右肩を強く掴んで、そのまま体を持ち上げた。

 外された肩から体がちぎれるような痛みを感じて、バルバロは悲鳴をあげて涙をボロボロとこぼした。


「痛いか? ならその反抗的な目をやめろ。私がお前らが家畜であると言ったら、どんな状況でも媚び諂った顔をしてうなづいていればいいのだ。それともそんなことも理解できないほどに貴様は低脳なのか?」


 男はバルバロの体を投げ捨てる。その拍子に口に入っていた布を吐き出すことのできたバルバロは、大きな声で助けを呼んだ。


「助け……!」


 バルバロの後頭部に吸血鬼の足が乗り、顔を地面に押し付けた。わずかに漏れた声だったが、誰かにそれが届くことを期待できるほどではなかった。


「違う、違うだろ、子供。助けを求めるのではない。今お前がしなければいけないことは、私に慈悲を求めることだ。多少の人が助けに来たところで、私を打倒することなどできやしない。それとも私のために餌をたくさん呼んでくれようとしたのか? だとすれば非常に勤勉な家畜として飼育してやらんでもない」


 吸血鬼はバルバロの後頭部から足を退けて、今度は腹を蹴り上げてバルバロを仰向けにひっくり返した。

 咳き込むバルバロを見下ろしながら、吸血鬼はいやらしく笑う。


「さぁ、呼べ。できれば容姿の整ったものがいい。私はこれからそれらを土産に島を渡る予定なのだ。私にとって美醜などどうでもいいことだが、あの島の主は人を大量に飼っているらしいからな。そのコレクションに加えられそうな土産がいいだろう」


 バルバロは口を真一文字に結んで空を見上げた。怖くて吸血鬼の顔は見れなかったし、痛みで涙がボロボロと溢れて止まらなかったが、自分の命惜しさに、街の人たちを巻き込むわけにはいかないと決意していた。

 楽しそうに語っていた吸血鬼だったが、何のアクションも起こさないバルバロを見て、表情をなくし、ぽつりとつぶやいた。


「つまらん、殺すか」


 バルバロは死を覚悟したが、目を閉じなかった。最後に自分の街を、潮風を、美しい空や星や月を目に焼き付けようと思っていた。

 自分以外の犠牲者が増える前に、誰かがこの凶行を止めてくれることだけを祈った。


 そんなバルバロの視界を一つの影が遮った。


 大型の飛龍が低空で飛行して、そこから何かが飛び降りてきたのだ。

 長い黒髪をはためかせて、片手に白銀の剣を握ったその人物は、空から飛び降りながら、その剣を煌めかせて吸血鬼へと切り掛かった。


 吸血鬼の体が溶けるように消えて、少し離れた場所に再び現れる。


「……生きてる?」


 バルバロを見下ろしたその人物は真っ白できめ細かな肌をしていて、女性とも男性ともつかぬ容姿をしていた。月を背景に、物憂げな表情を浮かべたその人物をみて、バルバロは人に対して、生まれて初めて美しいという感情を覚えた。


「……逃げて」


 だからこそバルバロはその人物に忠告をした。もしかしたら助けてくれるかもと期待もしたが、それよりもその人物があの恐ろしい吸血鬼の犠牲になるのが嫌だと思った。

 黒髪の人物は穏やかに笑って、バルバロに話しかけた。


「逃げないよ。僕はあいつを止めるために来たんだから。生きていてよかった。目が覚めた頃には、全て済んでいるからね」


 その人物が自らの指先を尖った犬歯で傷つけると、そこから赤い霧がじわりと広がって、バルバロの体を包み込んだ。

 瞼が重くなって、だんだん体が暖かくなってきて、そうして意識がゆっくりと沈んでいくのがわかった。

 二人が何かを話している。それが遠ざかる。戦う物音がした気がする。それも徐々に遠ざかっていく。見届ければと思うのに意識が保てない。


 次に目を覚ました時、バルバロは漁港の前でローブにくるまっていた。日はすっかり昇り、昨日あったことが本当なのか嘘なのかもわからないくらいだった。

 両肩は確かに痛むが、今はもう外れておらず、体にはわずかに擦り傷が残っているばかりだ。


 記憶は曖昧だ。ただ、バルバロは確かに覚えていた。美しい黒髪の人物が、自分のことを助けてくれたことを。そして、自分のくるまっているローブはその人物が身につけていたものであると。






「ところがだ。それから数年して、十歳にもなろうかという時だぜ、街でふーらふらしてるイーストンを見つけちまったんだよ。子供っつっても、当時よりは目も肥えてたから、流石にわかったぜ、ありゃあ男だってな。百年の恋も冷めるってもんだぜ。つってもあいつが俺と街の恩人であることには違いねぇ。すぐさま声かけて、無理矢理足に引っ付いて、屋敷に招いたってわけよ。あいつとはそれ以来の付き合いだ。どうだ、海賊侯って呼ばれる男の、実に間抜けな初恋の話は、いい酒の肴になったかよ。その上恩を返すつもりが、それからも世話になりっぱなしってな。俺がやったことって言えば、あいつがこの国を旅してみたいっていうから、身分証を作ってやったことくらいだ。どうにか恩を返してぇって気持ちも、わかってもらえるか?」

「いやぁ、実に面白い話でしたぁ。特にイースさんが月を背景に現れた時の描写が、本当に恋をしていたんだって感じがして、ふへへ、実に、ふふへへ」


 喋っている途中に面白くなったのか、ノクトが笑い声を漏らす。バルバロはそれをみて、ぶすったれてテーブルに肘をついた。


「へぇへぇ、【血塗悪夢】様に楽しんでもらえて、光栄ですよっと。そんなわけだから、国が落ち着くのには俺も協力させてもらう。なんでも言ってくれ、俺は女王様の盾にも矛にもなるぜ」

「はぁい、覚えておきますねぇ」


 ふざけた態度で話していた二人だったが、必要なことはしっかりと話し終えたようだった。


 こっそりとベッドから顔を出したユーリも、ロマンスめいた話に大満足だ。大人同士の交渉ごとより、こういう話の方が聞いていて楽しいのは当然だった。


「今度は冒険者ノクト殿の話を肴に酒が呑みてぇなぁ」

「いいですよぉ。それじゃあ、クダンさんが王宮に現れて、その場にいた僕も含めた全員がぶん殴られた話をしてあげましょう」

「おいおい、それ聞いていい話なのかよ……」


 三人の楽しい酒盛りは、すっきりとした顔をしたイーストンとハルカ達が、魚を土産に帰ってくるまで続くのであった。






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