二百三十六話目 見過ごす
日が暮れきる前に店じまいをして、人ごみを避けながら帰路についた。
宿の方向は大体わかっていたから、路地裏をうろうろと進んでいく。
たまに行き止まりになっていて、戻らなければいけないことがある。それでも路地裏をうろつくのは楽しかった。街の外とは違ったワクワク感がある。
分かれ道に差し掛かって、モンタナが棒を地面に突き立てて進む方向を決めようとしたとき、どこからか怒鳴り声が聞こえてきた。
「あーいやいやいやぁ、言い訳なんか聞いてないんだよねぇ」
大きな音がして、ごろんごろんと壊れた桶が転がってきた。モンタナと目を見合わせて、どうしようかと相談する。
「いってみます?」
「ですね」
そろりそろりと先を行くモンタナに、ハルカもゆっくり音を立てないようについて行く。モンタナの尻尾はピンと上向きになり、ゆらゆらとほんの少し揺れる。つい捕まえてみたい気分になるが、嫌な顔をされると悲しいので我慢した。
モンタナが角からこっそり顔を出したので、ハルカもその上から目元までを出して覗き込む。
人の好さそうなおじさんに見える人と、その護衛っぽい怖い顔をした人が二人。
その前には壁際に追い詰められて、体を小さくして震えている若者が一人、ぺこぺこと頭を下げている。
「返す当てがないってんなら身体で払ってもらうしかないんだよねぇ」
「い、嫌だ、それは許してくれ!」
「だめー、約束を守らなかったお前が悪いよ。精々辺境伯領で死なないように勤めてくるんだよ。あそこは死ぬよりきついと聞くから、私は絶対にごめんだけどね」
がっくりと膝をついて項垂れる男の両脇を、護衛の二人が支えた。
嫌だ嫌だと抵抗するもむなしく、男はずりずりと引きずられていく。逃がさない為か、どん詰まりの路地で話していたので、男たちは段々とハルカのいるところへ近づいてくる。
ハルカは顔を引っ込めたが、モンタナはそのまま様子を見ていた。モンタナ一人残して立ち去るわけにもいかないので、そこで待っていると、人の好さそうな顔をしたおじさんが、通り去り際にハルカ達に気が付いた。
「なんだぁ? 見世物じゃあないんだけどなぁ」
「その人どうしたですか?」
「どうしたって、見ての通り、金借りて返さねぇから、身体で返してもらおうって話をしてたところなのよ」
「た、助けて、助けてくれ!! 俺は何もしてないんだ、なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよ!!」
「何もしてなかったら、こんなことになってないんだよぉ」
助けを求めた男は、頭を強く小突かれると泣き出して嫌だ嫌だと首を振り始める。
哀れにも思えたが、よくよく見てみれば、引きずられている男は、昨日エドガーのいた屋敷に出入りしていた若者だった。本当に自分がなぜこんな目にあっているのかがわからない、といった顔をしている。
「あの、その人何もしてないって言ってますが……?」
「あのねぇ、見てこれ。金貨二十枚の借用書。期日までに払えない場合、身売りするって書いてあるでしょう? お嬢さん、正義の味方ごっこなら余所でやったほうがいいんじゃないかなぁ?」
ちらりと横を見ると、モンタナが借用書を持った男の方を見て、黙って頷いた。何とかしてやるべきだろうか、と思っていたハルカの気持ちが、ゆっくり萎み、どうしたらいいかわからなくなる。
黙り込んだハルカに、借金取りは口元だけに笑みを張り付けて続けた。
「何も殺そうってわけじゃあないんだ。ヴェルネリ辺境伯閣下が北方の拠点を作る人材を募集しててね。まっとうな就職先でしょうよ? ここより寒くて、
それを聞いた若者が、ワッと勢いよく泣き出したのが楽しかったのか、借金取りはは高笑いをしながら歩き去って行く。
ハルカは複雑な気持ちで黙ってその背を見送った。まとまらない自分の気持ちから目をそらして、会話の中で拾った単語を思い出す。
「……ヴェルネリ辺境伯領って、このあと向かう場所ですね」
「ハルカはあの人助けなくてよかったです?」
考えを放棄しようとしていたハルカに、モンタナから鋭い一言が投げかけられた。ハルカはじっと地面を見てから、考えをまとめながら言葉を吐きだす。
「なんだか……、あの人を助けてしまうのは違う気がして。命を懸けて一生懸命生きている人たちをたくさん見てきて、ふと、この人を今無責任に助けるのが正しいことなのだろうか、と」
「そですか。じゃあ、棒倒しに戻るですよ」
モンタナが先に歩きだす。それは冷たい対応のようにも思えたが、考え込んでいるハルカに気を使っての行動であるようにも思えた。
その背中を見て歩きながら、ハルカは考える。
多分この感性は、自分がこの世界の冒険者らしくなっている証だ。しかし、彼が自分を恨んで死んでいくかもしれないことを考えると、少し嫌な気分になる。これは優しさではなく、多分保身の気持ちなのだ。
それに気づいて、ハルカはため息をついた。
この間逃がしたシモンと先ほどの若者にはどれだけの差があったというのだろう。自分の手で殺したくなかったから逃がして、他人の手によりすぐに死にはしないから見過ごした。そうではないかと考えると、自分が酷く醜いもののように思えた。
ただ、その考え方にはどこか納得がいかない。
そうではないはずだ。よく考えると、そんな違いで今回助けなかったわけではなかったはずだ。
ハルカが今回彼に手を差し伸べなかったのは、それをしたところで、あの若者が、また同じことを繰り返しそうだと思ったからだ。
なぜ自分が酷い目にあいそうになっているのかがわかっていない。
約束を破るくらい、期日を破るくらいで、という他人への権利の侵害を当然だと思っている態度が見えてしまったからだ。
まるで自分が人を選別しているようで、どちらにしても嫌な気持ちは残る。もやもやとした気持ちが収まったわけではなかったが、モンタナに追いついたハルカは、顔を上げた。
ことんと棒が倒れで、モンタナが振り返って棒の向いた方向を指さした。
「こっちにいくですよ」
モンタナには、まるで悩んだ様子がない。
倒れた棒を拾うと、それを上下に振りながら、ハルカが横に来るまで待っていてくれる。
そうしてハルカが隣に来ると、モンタナは顔を見上げて、穏やかに笑う。
「ハルカ、僕はさっきの判断がおかしいとは思っていないですよ」
悩んでいるのがわかっているのだろう。
珍しく笑顔を見せて、自分を安心させてくれようとしてくれたようだ。
その気遣いに嬉しくて、ハルカはモンタナを抱きしめてやりたくなる。その気持ちぐっとこらえたハルカは、モンタナを視界から外すように少し上を向いた。
今日の夕日はなんだかとても眩しい。
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