二百二話目 離脱
「……殺しません」
女性の言葉に男が顔を上げると、続けて彼女はこういった。
「殺したって、人は生き返らない。あんたを殺したってなにも意味ないじゃない」
それは許しの言葉のようにも聞こえたが、男にはそうでないことがよくわかった。彼女の目は怒りで爛々と燃え盛り、ナイフを握った手は力がこもったままだったからだ。
殺されないとわかって男はほっとした。
今ここで死ななくて済んだと、気が抜けた。
女性はノクトにナイフを返すと、それきり男の方には一切目を向けなくなった。
「あーっと……、そんで、アンタはどうするんだ?俺たちは男爵領に向かってるけど」
アルベルトが気まずそうに話しかけると、女性は少し悩んでから首を横に振った。
「レジオンへ帰るわ。商売道具もどこかへ行ってしまったし、夫も死んでしまったもの。親の元へ戻って先のことを考えるわ。とにかく、一刻も早くここから離れたいの」
「護衛とか必要じゃねーの?」
「いらない、一人になりたいの」
「食べ物くらい分けるわよ」
「じゃあそれだけもらっていくわ」
女性は自分の履いていた靴の底をはがすと、銅貨を数枚取り出してコリンに差し出した。いらないと言っても手を引っ込めない女性から、コリンは渋々銅貨を受け取って、代わりに多めの食料を渡す。
あれよあれよと進んでいく話を、ハルカはただ黙ってみていたが、本当に送り出していいものなのかと思っていた。
「魔法使いさん、水筒に水を入れてくれないかしら?」
差し出された水筒に、魔法で水を注ぎながら、女性の表情を窺う。
「……せめて、関所まで護衛を」
「冒険者さんを雇うお金はないわ。でもありがとう。助けて貰ったお礼もまだだったわね、それともそれのお金も払ったほうがいいかしら?」
「そういう話ではなくて!」
「……冗談よ。一人になりたいの。もうどうだっていい気分なのよ。助けて貰って悪いけれど、放っておいてくれた方が嬉しいわ」
ハルカは何も言えずに俯いた。
大切な人を目の前で殺されたことない自分が何かを言うのはおこがましいと思ってしまった。それでも自暴自棄のようにも見える女性をこのまま行かしていいとは思えずに、悩んでいると、女性の方から声をかけられた。その口調は強く、幾分か早口だ。
「あなた凄腕の魔法使いなのに、小さな子みたいに優しいのね。今回は大勢に待ち伏せされて捕まってしまったけど、私結構逃げ足は速いの。簡単に死ぬつもりなんかないわ。あなたは私のことなんかより、一緒にいる仲間の心配をするべきよ。小さな子供だっているじゃない。それから、わかってもらえると思うけど、私はそこにいる男の顔が本当に見たくないの。本当にどうしても殺したくなってしまう前に、ここから離れさせて」
「……わかりました。お引止めしてすいません。くれぐれもお気をつけて」
「ええ、ありがとう。もし私がレジオンまで無事にたどり着けて、又あなた達に会えるようなことがあったら、その時はもっとちゃんとお礼をするわ」
頭を下げてから離れていく女性の後ろ姿をハルカはただ見送った。まるで突き放すような話し方に、本当についてきてほしくないのだと、なんとなく察したからだ。
確かにここに来るまでは危険な動物や、他の賊に出会うことはなかった。それでもやっぱり、傷心の女性をそのまま一人で帰らせるのは間違っているように思える。
ハルカが顔を上げて、どうしたものかと逡巡していると、ノクトに背中をつつかれた。
「いかせてあげましょう」
「でも、師匠……」
「大丈夫ですよ、あれだけ言うのですから、当てがあるんでしょう」
ノクトにしては冷たい言いようだ。もっと弱者に優しい人だと思っていたのだが、何か思い違いをしていたのかと考える。
そんなハルカに、アルベルトが後ろから声をかけた。
「自分の生まれ育った土地からでて活動するような奴は、自分とか仲間が死ぬのは覚悟して生きてるんだ。それを避けるために俺たちは強くなるよう努力するし、身の丈に合った依頼を受けるように気をつけるんだ。そんで、そう言う奴らは何よりお互いの自由な意志を尊重する。だからあの人が放っておいてほしいって言うなら放っておいてやれよ。……そういうことだろ」
アルベルトが仏頂面でノクトの方を向くと、ノクトは首をこてんと横に倒した。
「え?」
「えじゃねーよ、そう言うことだろって聞いてんだろ」
「ああ、はい。はいはい、確かにそう言うところはありますねぇ。でもほら、僕が言ったのはそうじゃないですよ?朝取り逃した追跡者と、あの女性ってきっと仲間じゃないですか?それで早く合流したがっているから、逃してあげた方がいいですよってことです」
「……は?」
「だってほらぁ、男性の服の血の渇き具合からして、亡くなってからそう時間は経ってませんし、女性は割とお元気でしたし、思ったより取り乱してもいませんでしたよぉ。あとここに至るまでに、キョロキョロと周りをうかがっている様子がありましたからねぇ。女性が男性集団に乱暴されたのに、いくら見た目が子供っぽい僕相手とはいえ、警戒なく手に触れるのも変な感じがしますしぃ、ナイフの持ち方もお上手でした。おそらく暗殺、密偵などの訓練を受けた裏家業の方でしょうねぇ。こちらの戦力を測って撤退を決めたのでしょう」
「は?は?なに?何言ってんだお前?」
アルベルトが口を開けて、ポカンとしてからノクトに詰め寄る。
「えぇー、だって、商売道具って言ってもそれらしいものもなかったですしぃ……。殺された方はきっとソロの冒険者だったんじゃないでしょうか。それで女性にうまく利用されたのでは?」
「じゃ、じゃあ……、あの女性は夫を亡くして傷ついた女性ではなかった、と?」
ハルカが困惑したまま尋ねると、ノクトはケロッとした顔で答える。
「えぇ、ハルカさんの魔法にびっくりして、早く報告しなければと焦る、組織の一員でしかないと思いますけどねぇ」
「そ、そうですか、そうでしたか……」
ハルカの方から力が抜ける。よかったような、虚しいような変な感情だった。
「おい、じゃあなんで逃すんだよ!」
障壁の貼られたノクトの頭の上をべしべしとアルベルトが平手で叩きながら文句を言う。
「え、だって、こっちの強さをある程度バラしておいた方が、余計な襲撃は防げますよぉ?良かれと思ってやったんですがねぇ……」
気の抜けた話口調のノクトは、いつもと変わらず、楽しそうにニコニコと笑っていた。
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