百二十一話目 イース様

 第四ブロックが終了してもコロシアムからすぐに人が出ていくわけではなかった。

 コロシアム内はライトアップされており、深夜まで屋台が立っている。

 普段は日が落ちてしばらくするとすっかり暗くなってしまうので、夜中まで外に出て遊んでいられるというのは、大人であっても心躍るものだ。


 ハルカ達はアルベルトの試合がまだ残っているというのもあり、早めに退散することにした。楽しく夜更かしして明日ある残ったブロックの試合を見逃したくなかった。


 宿に戻って食事をし、明日に備えてさっさと部屋に戻る。

 アルベルトも緊張して疲れていたようだったが、それでも彼はモンタナを連れて一度外に訓練に向かうようだった。

 コリンに今日もお湯を出してあげるとご機嫌に服を脱ぎ始める。

 ハルカはその場に一緒にいる程心が強くないので、外へ出ていく。


 外に出る前にコリンから声がかかる。


「ハルカ―、背中拭いてよー、何でいつも手伝ってくれないのー?」

「恥じらいを持ちましょうってば」

「女同士なんだからいいじゃん」

「ダメです」

「ぶー、ハルカ最初にあった頃おっぱいバインバインで歩いてた癖にー」

「あれは不可抗力でしょうに……」


 後ろ手にパタンと扉を閉じながら、若い女性の裸から逃亡したハルカは、自分の胸につく脂肪を見下ろした。今のところこれがあって得をしたことがない。

 男のままでこちらの世界に来れたらよかったのに、と思うのは望みすぎだろうか。

 美しい見た目のおかげでちやほやしてもらえることもあるが、それに胡坐をかかないように常に自分を律していなければいけない。

 偶に一人になって、自分が間違っていないか反省会を開催する必要があった。


 フードを深くかぶったハルカは、ふらりと宿の外に出る。

 昨日オクタイを殴り飛ばした広場へ向かうと、数組のカップルがいちゃいちゃしていて、いたたまれない気持ちになった。

 本当は昨日もここはこんな雰囲気になるはずだったろうに、オクタイをぶっ飛ばした後には誰も広場にいなくなっていた。お邪魔をして申し訳ないばかりだ。


 ハルカがため息をつきそうな気持でいると、すぐ横で深いため息をつくのが聞こえた。空耳かとも思い目をやると、ベンチで黒髪の青年が項垂れている。

 顔が見えないので確かではないが、第四ブロックを勝ち残ったあの青年のように思える。

 彼もまた一人で座っている。他のカップルたちとは違い、ハルカと一緒のお悩み仲間なのかもしれない。

 ハルカが勝手に親近感を感じていると、青年が顔上げてハルカと目が合った。


 顏の造形は整っているが、比較的薄い顔をしており、かなり女性的だ。体つきを見れば男性なのはなんとなくわかるが、線の見えない服を着たら判断に迷うだろう。

 瞳は輝くような赤色をしており、宝石のようであった。

 青年はハルカの周りを緩慢に見渡して、声をかける。


「……こんな夜に女性が独り歩きしてると危ないよ。明るいとはいえ乱暴な冒険者がたくさんいるんだから。それとも僕に何か用事?」


 気だるげな声は見た目同様中性的で妙に色気があった。面倒そうにしているのに忠告してくるあたり、結構な善人のようだ。


「いえ、考え事をしていたら深いため息が聞こえたので」

「邪魔して悪かったね、じゃあそういことで、早く帰りなよ」


 今にも消えていなくなりそうな青年を見てハルカは眉をしかめる。

 昔突然仕事をやめてしまった部下を思い出した。いつだって真面目に仕事に取り組んでいたのに、急に音沙汰なく会社に来なくなってしまったのだ。

 やめる少し前の思い悩むような仕草に気付かないでもなかったが、年の離れたおじさんなんか話しかけても困惑するだけだろうと思って声を掛けられなかった。


 彼が辞めた後は会社内で嫌なうわさが広がった。人間なんてそんなものだ。やれ不倫をしていただの、実は悪い人との付き合いがあっただの、聞くに堪えないものだった。

 真偽のほどは定かでないが、噂の中に彼が既に自殺してこの世にいないというものがあり、ハルカは大いに心を痛めたものだ。

 どうして自分なんかがと決めつけて、話を聞いてやれなかったのかと。


「……考え事をするためにきましたので。空いてそうなので隣失礼します」


 人一人分くらい空けてベンチに座る。


「なに、ナンパ?相手には困りそうにない見た目してるけど」

「いえ、あまりそういうの興味ないので」

「そう」


 おじさん枯れてるし、男にも興味ないので、とは言わない。

 二人の間に沈黙が落ちる。

 ハルカは話の糸口が見つけられず、ただそこに座って黙り込んでしまっていた。


 青年も本当に話しかけてこない美女に、意味が分からないと思いながらも、それなら気にする必要もないかと考え事に戻った。居心地は悪くない。

 見た目で声をかけられることがよくあったので、彼女にももしかしたらそんな悩みがあるのかもしれないと思うと好意的に見れなくもない。


 黙って数十分すわっていると、周りが少し騒がしくなってくる。気分の盛り上がったカップルが、所かまわずいちゃいちゃし始めたようだ。


 下を向いて考え込んでいた青年と、星空をぼーっと眺めていたハルカが同時に顔を顰めて、前を向いた。

 青年が立ち上がり、又ため息をつく。


「勘違いされると君に悪いから、僕はもう帰るよ」

「……私も宿に戻ります」


 ハルカも立ち上がり、ため息をつく。

 幸せが避けていきそうなどんよりとした空間だ。

 背中を向けている青年に向けて、ハルカは勇気を出して声をかける。


「でも、もし悩み事があるなら聞きますよ。その辺の木にでも話してるとでも思ってくれれば。ため込むと体に悪いですから」


 青年は振り返ってハルカに対面する。

 ほんのわずかに唇をゆがめたそれは、恐らく笑っているのだろう。肌が白いわりに頬が僅かに紅いのは、照らす明かりのせいか、この寒さのせいだろうか。とにかく変に色気のある青年だ。


「ずっとそんなこと考えてたの?」

「いいえ、それだけではありませんけど……、まぁ、気にはなっていました」

「君も大概人がいいんだね、ありがたいけど大丈夫だよ。でも折角だから何かあったときは声をかけるよ」

「ええ、私も冒険者の端くれですから、力になれるかもしれません」

「へぇ、冒険者だったんだ」


 上から下まで見て、青年は頷く。


「そういわれればそんな感じだね。魔法使いかな。営業上手だね」

「営業のつもりはないんですが……」

「冗談だよ。僕はイーストン=ヴェラ=テネブ=ハウツマンだよ。……旅人かな」

「私はハルカ=ヤマギシです。あちらの宿に泊まってます」


 やはり彼が応援されていたイース様なのだろうなとハルカは思う。彼の悩みもそれ関連である気がする。


「割と近いから送っていく必要はないかな」

「別に遠くても送っていく必要はないですよ」

「女性に夜の街を一人で歩かせるわけにいかないでしょ」


 きっと彼はモテる。

 天然垂らしの雰囲気を感じながらハルカは彼より先に宿へ向かって歩き出した。


「何かあればいつでもどうぞ、イーストンさん」

「イースでいいよ。その時はよろしく」


 ハルカは宿へ向かって歩き出したが、しばらく歩いて後ろを振り返ると彼はまだその場でハルカのことを見ていた。目が合っても手を振るでも表情を変えるでも無いから、本当にただハルカの身を案じて見張ってくれているようだ。


 ああいう行動ができたら自分も元の世界でもっとモテていたのかと思ったが、あれは彼の容姿と雰囲気あってこそかもしれないとも思う。


 当時の自分がやっても、ただ気持ち悪がられそうな気がした。

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