百五話目 先手を譲った代償

 日が暮れて外は真っ暗闇かと思っていたが、思っていた以上に月の光が明るい。また広場にはたくさんの松明が灯され、それなりに明るかった。チラホラと逢引する人や、兵士の巡回する様子も見られる。これはいつもの光景ではなくて、武闘祭の前で観光客が多い時期であるためだった。


 広場で腕を組んで待ち構えているオクタイを見て、ハルカはゲンナリとする。なんであんなに闘争心があるのだろうか。争いが得意ではないハルカには理解できない。狂犬のような男である。


「よくきたな、今ならまだ逃げても構わないぜぇ」


 楽しそうに上体を反らし胸を張るオクタイを見て、ハルカはその場にぴたりと足を止める。


「……いいんですか?」

「今更だめに決まってんだろ、馬鹿言うな!」

「はぁ……、そうですか」


 ならそんなこと言わなければいいのに、と思いながらハルカはぼんやりとした返事をした。どこまで行っても気が乗らない。


 レジオンにいる時一度子供たちとごっこ遊びのような戦闘をしたことがあったが、あの時とは状況が違う。あれくらいの子供だったら、大人としてなんとかなるだろうという気持ちもあったが、今回の相手は現役の二級冒険者だ。何をしてくるのかもわからない状態で太刀打ちできるとは思えなかった。


「あのー……、どうしたらこの勝負って終わるんですか?」

「そんなのどっちかが降参するまでに決まってんだろ。それか俺が満足するまでだな」


 敗北条件を確認して、ハルカはほっとする。なんだ、降参したら終わるのか、じゃあさっさと降参しようという考えだった。

 そのハルカの気持ちを佇まいで察したのか、オクタイが釘を刺す。


「ただぁし、本気を出してないと思ったら降参は認めない!」


 無駄に察しがよくて嫌になる。ハルカは諦めてオクタイに対峙した。互いの距離は二メートル程度で、オクタイはファイティングポーズをとる。いつでもどの方向にも動けるような足はばと重心をしており、その立ち姿は戦いなれているもの特有のものだった。

 一方でハルカはオクタイの真似をして腕を上げてボクシングのような構えをとってみるものの、足は横にそろったままだし、踵はついていて、とてもすぐには動けないような体勢だ。少しでも武術を齧っているものだったら、ど素人だということがすぐにわかる。


「がんばれー、ハルカー」

「ふぁいとですー」


 呑気な二人の声が後ろから聞こえてきて、振り返ると、コリンとモンタナが宿から皿ごと持ってきた食べ物をつまみながら、地べたに座り込んで応援していた。

 その隣でアルベルトだけが拳を握って真面目な表情でハルカを見ている。目が合うと頑張れと言わんばかりに拳を前に突き出した。

 そう言うのは同年代の喧嘩が好きな子にやってあげてほしいものである。ハルカの気分はそんなことでは盛り上がらない。


 オクタイにもハルカが戦闘のど素人であることはすぐにわかったようで、つまらなそうな表情になって、だらんと腕を下げた。


「やーっぱ、アルベルトのふかしじゃねぇの。ほら、先に一発殴らせてやるよ。本気でこいよ。それが喧嘩するに値するもんだったら、続きは真面目にやるぜ」


 なら最初からやらなければいいんじゃないだろうか、と思う。どうせ言っても聞かないのはわかっていたので、ハルカはその言葉を飲み込んだ。


「お言葉に甘えます」


 手を出してこないと言うなら一発、頑張って叩いてみよう。この体は力があるのだ、一生懸命真面目に叩いてみることにしよう。相手は戦闘のプロなのだから、適当にあしらって終わりにしてくれるだろう。そうだといいな。

 心の中で自分のことを励ましながら、ハルカは普通に歩いてオクタイに近づいた。


「どこを叩いたらいいですか?」

「あー?マジでど素人なのかぁ?一発目は顔にかますんだよ、ここだ、ここ」


 平手で自分の左頬をぺちぺちと叩いて、オクタイはハルカを煽るようにそういう。


「ほれ、こい、ここだぞー?」


 本当にいいのだろうか。これだけ言われても心配は残ったが、オクタイの言葉に促されるように、ハルカは右の拳は何度か握り直して、拳の作りを確認する。

 相手にぶつけるのは手の甲の少し骨が出っぱっているあたり。振り被って横に振り抜くように動かす。

 ぶん、と一度素振りをすると、結構なスピードが出て、これは案外いけるかもしれないぞ、とハルカはもう二、三度素振りを繰り返す。


 オクタイはその素振りを見て、違和感を覚える。フォームがめちゃくちゃなのに、残像が見えるほどの速さで振るわれる腕。まだ余力があるように見えるハルカの表情。

 ただ、あの勢いで拳が自分にぶつかれば、このダークエルフの拳もタダでは済まないはずだ。おそらく実際に殴る時はもう少し遅くなるはず、そう予想しながらも、警戒をつよめる。即座に肩を上げて防御できるよう、また左頬を殴ることは確定しているので、インパクトの勢いを殺すために、すぐさま右へ重心を移動させられるように体勢を作る。


「ではいきます」


 ハルカの言葉にオクタイは身構えた。ゆっくり後ろに引かれた腕が動き出した瞬間、オクタイは相手を侮っていたことを後悔する。自らに迫ってくる拳は、さっきの素振りの時よりさらに早い。自分の拳が壊れることなどまるで想定していない速度で左の頬へ拳が迫る。

 オクタイは左足で地面を蹴り、咄嗟に右へ飛ぶ。それと同時に、顔に拳が当たらないように左肩を上げた。

 十分に備えたはずなのに、景色が吹き飛び、上下前後がわからなくなる。背中に衝撃が走り、何かに叩きつけられたことだけがわかった。咄嗟に全力で身体強化までしたのに左腕が上がらない。かろうじて動く右手をなんとか動かして、相手がいると思われる方向へ掌を向けて、相手に届いてくれと願いながらオクタイは必死で声を上げた。


「こうさん、だ」

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