九十五話目 護衛のお仕事

 国境線を越えてドットハルト公国の領土に足を踏み入れると、しばらくの間山道が続く。これは、かつて不敗のドットハルト将軍が北方大陸に侵攻したときに、険しい山々まで一気に攻め入って、そこで進軍を止めたからだ。

 山を越えて進軍をするとなると、狭い道をグネグネと進むことになるせいで奇襲を受けやすい。また、兵站を切られやすくなり、山の反対側の防衛が難しくなる。諸々の事情を考慮し、将軍は侵略をここで一区切りとしたのだった。

 ドットハルト将軍はその後もといた領土の代わりに、占領した地域の管理を新たに帝国から任されるようになる。これは将軍の能力を恐れた帝国が、土着の地域を取り上げて彼の力を取り上げるのと同時に、北への新たな盾として将軍を使うための戦略だった。

 結局このことへの恨みもあってか、継承争いのどさくさに紛れてドットハルト家は帝国から独立することになる。ドットハルト公国の誕生だ。この国は世界的に見ても新しい国で、建国からまだ百年もたっていない。


 とにかく、そんなわけでこの山を越えていかないと、ドットハルト公国の都市にたどり着くことはできない。これまでの平坦な道とは違って、幾分か道も険しくなってきていた。

 神聖国レジオンを出た後からは、心なしか動物の鳴き声も以前より多くなったような気がする。ギーツは狼の吠え声を聞くたびに不安そうに周りを見回していたが、特に気にしていないパーティメンバーを見ているうちに、やがてそれもしなくなった。

 ハルカ達も狼の声が気にならないわけではなかったが、以前狼の魔物を倒したこともあったし、もし危険な距離まで狼たちが接近してくるようであれば、モンタナが気づくであろうと信じていた。そのモンタナが、空の鳥を見上げたり、その辺で蛇を捕まえてきてぷらぷらとぶら下げたりしているので、まだ危険はなさそうだった。ちなみに蛇の頭は落とされていて、血抜きをしながら歩いているようだった。


 山道は分岐することなくグネグネと続いており、できるだけ登ったり下ったりしなくて済むように、谷や川のそばに作られている。左右に迫ってくる山々は圧迫感があり、遠景に聳える高い山々にはうっすらと雪化粧がされていて、見るからに寒々しかった。


 遠くに黒い雲が見えて、そちらの天気はおそらく悪いであろうことが予測できる。天候が崩れるようだったら早めに足を止めてそれに備える必要がある。

 調べた限り、今の季節はまだ天気が崩れることが少ないようだ。あとひと月もするとどんよりとした日が増えていく。とはいえ山の天気は変わりやすいから注意する必要があった。

 空を眺めながら雲の進む方向を確認したハルカは、先ほどモンタナも口を開けて空を見上げていたのを思い出す。あれは鳥を見ていたのではなくて雲の様子を見ていたのかもしれないと思った。


 モンタナの鼻がスン、と音を立て、耳がピクリと動く。


「なにか来るです」


 足を止めて剣を抜きながらモンタナがみんなに声をかけた。


「私たちの後ろに」


 短い言葉でギーツに注意を促したハルカは、一歩足を踏み出してモンタナの横に並んだ。アルベルトも前に出て、コリンは荷物を投げて弓に矢をつがえた。

 がさがさと茂みが揺れて音を立て、大きな影が道に飛び出してくる。

 その影は、1体ではない。

 大きな角を突き出しながら、右から左へ、川を越えて飛んで消えていった。

 鹿だった。


「な、なんだ、鹿ではないか、驚かせおって」


 額をぬぐったギーツが気を抜いて、前に歩いて来ようとしたのを、横に手を伸ばしてハルカが止めた。気配を察知しなくてもわかる、右からまだ大きな音がする。それは、ミシミシと細い木をへし折って道に現れた。


 四足歩行で飛び出してきたから高さこそ人とそう変わらなかったが、2本の足で立ち上がれば間違いなく見上げるような大きさだ。鹿に逃げられたことで腹を立てたのか、川に向かって大きく吠える。

 冬眠前の巨大な熊だった。


 ひゅっと息をのんだギーツののどの音が聞こえたのか、ぎろりとハルカ達の方に熊が振り返る。

 声を掛け合ったわけでもなかったのに、同じタイミングでアルベルトが左、モンタナが右に駆けだす。

 ヒュッと風をきる音がしてどちらに狙いを定めるか迷っていた熊の眉間に矢が当たる。刺さらずころりと転がる矢を見てコリンが呟く。


「ま、刺さらないわよね、でも怒ったでしょ」


 コリンの言うとおりだった。左右に散らばる二人を見ずにコリンに向けて一目散に駆けだそうとした瞬間、その両方の前足がすれ違いざまに切りつけられる。モンタナが指の間を縫うように、アルベルトは前足首の辺りを力いっぱい切りつけて、そのまま熊の後ろへ駆け抜けた。

 体を切りつけられた熊は、慌てて標的を変えようと後ろ足で立ち上がり、駆け抜けて行った二人に向かって腕を振るう。

 そしてその勢いのまま地響きを立てて地面に倒れる。倒れた拍子に胴体から首がごろりと転げた。


「いい囮でした、助かります」


 振り返る瞬間にハルカのウィンドカッターが熊の首を切り落としていたのだ。


「予定通りだな!」


 熊を挟んでアルベルトがハルカ達に手を振る。


「ええ、ばっちりです」


 あらかじめルートに出る可能性のある獣については対応策を考えてある。基本的な動作をしてみてダメだったらあとはそこから声を掛け合って考えよう、というシンプルなものだったが、思いのほかに綺麗に作戦通りにいった。

 野生の熊や狼は恐ろしいが、脅威度でいえばタイラントボアほどではない。ハルカ達がきちんと体制を整えて相対している限り、恐れるほどの敵ではなかった。


「冒険者というのは……、これ程なのか……」


 熊の解体を始めた4人を見ながら、ひとり腰を抜かしていたギーツのつぶやきを聞いたものは誰もいなかった。

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