第15話:修練しようその2
相変わらず肌をちりちりと焼くほどの熱気が支配する工房では、それさえ上回るほど暑苦しいハルファスにライシの頬もひくりと引きつる。
こんな朝っぱらからいったい何をそんなにはしゃいでいるのやら、そんな疑問は彼が手にする代物が驚くほどあっさり融解した。
まさか、とうとうできたのか? 固唾を飲むライシにハルファスが高らかに叫んだ。
「ライシ様! ついに、ついに完成いたしましたよ!」
「マジか!?」と、ライシ。
長い年月を費やしてついに完成したとあれば、ライシの瞳は子供のようにキラキラと強い好奇心と歓喜によって輝き、一刻も早くほしいと無言で懇願するライシにハルファスはもったいぶるようになかなか渡さない。
「お待ちくださいライシ様。この太刀ですが……その、色々と面倒と言うか少々使い方が難しいと言いましょうか……」
「と、言うと?」
そうと尋ねるライシがまず目にしたのは、露わになった刀身の輝きだった。
――めちゃくちゃきれいだ……。
蒼白い輝きはさながら月のようで、しかし心を瞬く間に魅了する輝きもたった数秒で鈍く重い石色へと成り下がる。あまりの代わり映えにはライシも動揺の
刃は再び鞘の中へ。そして次に露わになった時、そこにはまたあの美しい蒼白い輝きを宿していた。
「この太刀――月光剣ですが、こちらはとにかく切れ味と耐久性に重きを置きました。その結果、波の鋼鉄であれば両断するほどの切れ味を出せるようにはなったのですが……」
「何か問題でも?」
「用いた霊鋼石は、通称ツキガクレ石と呼ばれるものでして、明るいところでは単なる石ころに過ぎないのですが夜になるとほのかに輝いて霊力を発するというものなんです」
「つまり、その霊鋼石の性質がそっくりそのまま、この太刀にも宿ってしまったと?」
「はい……」
と、ハルファスの手の中で月光剣から輝きが失われた。
――見た感じ、だいたい10秒前後ってところだな。
いちいち納刀を要する辺り使い勝手が難しいところであるが、名剣であることにはなんら変わりなし。扱いにくさも一つの魅力と思えればどうということはないし、剣に振り回されるようでは剣士としての名折れ。
如何なる剣であろうと支配してこその真の剣士で、ライシは嬉々とした
刃長はおよそ
後はどうやって立ち回るかは、ライシは差して気にしていない。前世の記憶がなければきっと、一生思いつかなかったろう。
「月光剣の切れ味が最高に達している時は刀身が輝いている時のみで、光が失われている状態は単なる鈍器と変わりませんし耐久性も著しく低下してしまいます。ですので取り扱いには細心のご注意を払ってください」
「なるほど、了解です。でもこんな素敵な太刀を打ってくれてハルファスさんには感謝しかないですよ。本当にありがとうございました!」
「いえいえ、これからも日々ライシ様のお役に立てるよう、このハルファス全力を尽くさせていだたきます!」
「よし、それじゃあ早速――」
鋼鉄をも両断する斬れ味を是非とも試そうと工房を後にしたライシは、いったいいつからそこで待機していたのやら。額にうっすらと汗を滲ませたアモンの
「これほどの熱い工房に、何故貴様はそうも平然としていられるのだ小僧よ」
「さぁ? なんていうか、慣れちゃったみたいな?」
「慣れでどうにかなるものなのか? まぁいい。それよりも修練の時間だ。貴様のことだ、それを試したくてウズウズしているところだろう?」
そんなに顔に出てるのか、俺。とはいえアモンの指摘は正しいのでライシは意気揚々と早速修練場へと赴いた。
利用者がいない修練場は酷くがらんとして物寂しく、だがこれより修練をする二人にとっては好都合と言う他ない。大方、アモンがそうなるように計らってくれたのだろうと、ライシは腰に差した太刀を構えた。
「……小僧、それはなんのつもりだ?」
と、訝し気に睨むアモンにライシは、やっぱりこの世界にはない技術なんだな、とつくづく実感する。これで構えだと言われても大抵の者はきっとアモンと同じような反応を示すに違いあるまい。納刀したままの構えなど、考えすら至らないだろうから。
彼らが知らないのもまぁ無理もない。
前世の記憶があるライシだからこそ、これが技であると知っている。
名を、抜刀術と言う。
「なるほど。どうやらハッタリの類ではないらしい。ならばその力、この我に見せてみるといい」
「……アモン。最初に言っておきます。この太刀の斬れ味は俺にもわからないんです。だから、危ないと思ったらすぐに避けてください」
鯉口を切って刀身が射出されて、中空に描くそれは一条の流星の如く。
たった一瞬だけただっ広い室内に現れた流星に、あのアモンが驚愕に目を見開いているだけでなく、完全防御の体勢を取っただけにさしものライシも困惑を禁じ得ない。
手応えは、なかった。それと同時にホッと安堵する。
万が一斬ってしまうようなことがあったらどうしよう、という不安とアモンならばきっと大丈夫だと言う感情の板挟みにあったライシは、ふっと小さく微笑んだ。
――ハルファスさん、どうやらこの太刀……かなり凄いみたいです。
抜刀術の体勢へと入ったライシに、アモンの眼光に鋭さが増した。
どうやら本気のスイッチを入れたらしく、これまで本気にさせたことが一度もなかったライシは、ようやく本気のアモンと相まみえたことを心より喜んだ。
こっからが本番だ! 深く腰を落とすライシに、アモンが取った行動は飛翔である。
身の丈以上の双翼をもって空へと回避したアモンに、先程までの笑みから苦虫を嚙み潰したような顔をライシは示した。
何度も言うが、如何に強大な力であろうと直撃しなければ意味がない。
「さすがに我も先の一撃には肝を冷やされたぞ……あの鍛冶師め、小僧にとんでもないものを渡したらしい。だが――」
空中にいるから攻撃が当たることはない、とそう高を括ってなのかこれが修練であることを忘れているかの如く激しい攻撃がライシへと降り注ぐ。
炎の雨を防ぐための道具があの時のように現在は手元になく、ならば駄目元でと太刀を振るったことでライシのみならずアモンでさえも、その結果は驚愕から目をぎょっと丸くすることとなる。
回数はたったの一回。
納めていた太刀を一気に抜き放ったそれのみ。
一個の炎に対してならばそれでも十分事足りよう。結果はライシの予想に反して、アモンの炎をすべてたった一度だけで両断した。
やってみれば案外いけるものらしい。
同時にハルファスの鍛冶師としての凄さを証明された瞬間にも立ち会ったライシは、ここぞとばかりに地をどんと強く蹴り上げる。力もなかった、幼い頃の少年だったならば決して届かなかった空にも、今は羽ばたくことも不可能ではない。
ぐんぐんと飛翔するように、ついに刃が届く距離に達したライシだったが、肝心の一撃はアモンをやはり捉えない。
飛ぶのがやっとのライシとは違って、敵手は大空を自由に駆る支配者なのだから、機動力においても相手側に大きな優位性が働くのは至極当然だ。
「くっそー! 後ちょっとだったのに!」
「我が思うよりもずっと成長したようだな小僧、がまだまだ甘い」
「やっぱり空飛ぶにナシにしてくれませんか?」
「まったく……何を甘いことを言っているのだ貴様は」
文句を垂れるライシに、アモンは呆れ顔で地上へとそっと降り立った。
もうアモンに戦闘の意志は微塵もなく、ライシも輝きが失せた月光剣を静かに納刀した。朝食抜きの修練ではこの辺りで終いにするのが妥当だろう、くぅくぅと情けなく鳴く腹の虫も、突然の予期せぬ騒音にすっかり引っ込んだ。
「こ、ここにいたんですね!」
と、その悪魔の慌てぶりから只事でないと察するのは容易で、人間が侵入してきたと身構えたライシを制するようにアモンが悪魔から事の次第について尋ねた。
「いったい何事だ?」と、アモン。
「そ、それが……! きょ、今日来客があると突然アスタロッテ様が仰られまして……」
「来客だと? いったい誰が……」
ここでアモンが不意に、ハッとした顔を浮かべた。
最初こそライシも誰がくるのはわからずにいたが程なくして、まさか本当にくるのかと気付いたライシの顔にも嫌そうな色が濃く浮かべた。
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