彼女たちと旅に出た吸血鬼

夏木

吸血鬼は退屈していた


『いつか一緒に世界中を旅しようね』


 そう言っていた彼女は、寒い夜にあっけなく俺の腕の中から帰らぬ空の旅に出た。

 小さな娘を俺に託して。



 ☆



 彼女がいなくなってから十年が経った。

 残された彼女の娘、ラウラも十六になった。今では俺よりもずっとしっかりしている。



「ねえねえ。何でザクタルは何も食べないの?」



 雪が積もった日の朝。

 寒さに負けることなく、早起きして自分で作った朝食を食べるラウラが、向かいで本を読む俺に聞く。


 俺の席の前に朝食はない。

 それが常である。だが、ラウラはたびたびこの質問をしてくる。

 その度に同じ答えを返す。



「俺が吸血鬼だから」



 俺は人間じゃない。

 れっきとした吸血鬼だ。

 老いることもない純血の吸血鬼。


 主食は血液。

 だから、人間のようにパンやらスープやらを摂取してもエネルギーにはならない。


 かと言って、必ず血液を摂取しなければならないというわけでもない。


 摂らなくても死にやしない。ただ力が弱る程度。だったら飲まなくてもいいやと思った。特段理由が無ければ飲んでないから、もう血を絶ってから十年か。肌は随分白くなったけど、生きていけてる。


 もし死にたいなら、心臓を杭で打つか、銀の武器で一発ドンと。

 それくらいしないと死なない厄介な生き物なんだよ、俺は。



「えー。またまたー。そんなのいるわけないでしょー」

「いるんだなー、それが」

「ザクタルって変なの」

「まあな」



 他愛もない会話。

 ラウラは手を止めつつ話していたからか、皿に多くを残したままに立ち上がる。



「こんな時間になっちゃった。学校いってきまーす」

「はいよ。気をつけてな」



 今の子供は吸血鬼を信じていない。

 そりゃそうか。全て科学で解明されているから、非科学的な吸血鬼なんて空想だと思っているのだろう。


 俺も暫く同族は見かけていない。純血なんてなおさら。

 最後に会った吸血鬼は人間との混血だったかな。もう百年ぐらい前になるが。


 俺の言葉に納得いかない顔をしつつも、ラウラは忙しそうに荷物を持って出ていった。


 母親がいなくても、ラウラはしっかりしている。

 遅刻もしたことないし、成績だっていい。今後の進路は知らないけれど、この調子で大人になって、結婚して家を出て行くだろう。


 俺はラウラの人生を見守る。

 それが彼女との約束だから。


 人間との関わりは避けてきたんだけど、たまたま会った彼女と厄介な約束をしたものだのな。



「はぁ……この本も飽きてきたな」



 無限の時間をラウラと本に費やしてきた。

 絵本も含めて今家にある本ももう何回も読んでいて、内容が全てインプットされている。


 読み切った本を棚に戻し、グッとからだを伸ばしたら体がゴリゴリ音を立てた。

 ろくに運動もしていないし、食事もしてない。

 そろそろ体を動かそうか。



「……部屋の片付けぐらいはしておくか。ラウラに怒られるし。な?」



 ただ家にこもって何もせずにいると、ラウラがとても怒る。

 ラウラが学校へ行っている間に、俺は掃除を始めた。


 玄関、キッチン、リビング。

 そして個室。

 俺の部屋兼書斎に加えて、ラウラの部屋も。

 思春期真っ只中だけど、綺麗にしていく。ああ、ちゃんとプライバシーは配慮してるさ。引き出しとかは勝手に開けたりしないって。



「……? 何だ、これ……」



 ラウラの部屋の床を磨いていたら、ベッドからカサッと何かが落ちた。


 手に取って見れば、小さなメモ用紙に文字が綴られている。

 達筆なこれはラウラの筆跡じゃない。読みにくい文字の解読を試みる。



「嘘、だろ……?」



 書かれていたのは、彼女の死因である治療不可能と言われている不治の病と『余命半年』の文字だった。


 これだけなら、ただの勉強していた記録かもしれないし、何処かで聞いただけの殴り書きかもしれない。


 まさかラウラが。

 いや、きっと違う。


 不安を消したくて、紙が置いてあったであろうベッドに目を向ける。他に何か情報があるのではないかと思ったから。

 そうしたら案の定、枕の下に紙袋を見つけた。


 何が入っているのか手に取って確認する。


 そこには数種類の薬が入っていた。


 見た瞬間に、時間を本に費やしてきたことを後悔する。

 この薬が、不治の病の症状緩和に使われる薬だとわかってしまったから。



 ☆



 ラウラにちゃんと聞こうと思った。

 ラウラの口から、病について聞きたい。本当に患っているのかどうかを。


 だけど日が傾き、いつもラウラが帰ってくる時間になっても帰ってこない。


 一時間。

 また一時間と過ぎ、ついに太陽が沈んだ。

 それでもラウラの気配がない。



「ラウラっ……」



 嫌な予感がした。

 ラウラの母を亡くした日以来の予感だ。

 心臓が強く脈打ち、冷たい汗が背中を流れる。



 俺の足は自然と外へ向かった。



 家から学校までの最短距離である道を進む。

 暗い中に人の影はない。

 でも。



「血……ラウラ?」



 風に乗り、血の匂いがする。

 吸血鬼である以上、血には敏感だ。一度嗅いだことのある血の匂いなら、すぐに誰のものかわかる。


 この匂いは確実にラウラだ。


 匂いの元を辿る。

 久々に動かす体は、あまりにも鈍い。でも、人間よりはずっとスピードが出ている。


 学校の裏、林の中。

 うっそうとした木々の奥に、見覚えのある古びた小屋があった。


 ここはラウラの母親を看取った場所だ。

 彼女の墓はこの近くにある。ラウラも何度か訪れている。


 小屋の鍵は俺が持っている。でも、いつの日か鍵は役割を放棄してしまっていたようで、ドアは難なく開いた。



「ラウラ!」



 部屋の奥にラウラは壁に背中を預けて力なく座っていた。

 声を上げて駆け寄れば、ゆっくりと顔を俺に向ける。



「あ、ザクタル……」

「そうだ、俺だ。ラウラ、何でこうなるまで黙ってたんだよ……!」


 ラウラはもう、助からない。

 すぐにそうわかった。


 なぜならラウラの口元も、服も血で染まっている。

 病が進行し、吐血したのだ。



「だって、ザクタルが心配するでしょ?」



 引きつった顔でラウラはニコリと言った。

 その顔は彼女そっくりだ。


 無理をして、我慢して。それでも笑う。

 やっぱり彼女の子なんだ、ラウラは。



「もう、泣かないでよ。お母さんのときも泣いたの?」

「ちがっ……く、ない……」



 いつの間にか涙が出ていた。

 十年前の記憶が蘇る。どんどん冷たくなっていった彼女が。そして彼女に俺がしたことも。



「お母さんと同じ病気だったみたい。この本に書いてあった。これ、お母さんが書いたでしょ?」



 ラウラが抱き締めていたのは、亡くなった彼女が綴っていた日記。

 この小屋に残していたままだったものだ。



「お母さん、旅したかったんだね。私と一緒だ……げほっ」

「ラウラ……」



 ラウラが初めてやりたいことを言った。

 これを叶えたい。そう思ったのは、のせいだ。



「ごめん、叶えられなくて……」



 瀕死のラウラを連れて旅に出ることは無理だ。それが目に見えているし、ラウラも理解している。

 でも、それを叶える術がないわけではない。だけどそれは……



「ねえ、ザクタル」

「?」



 血で汚れた口元を拭いながらラウラは言う。



「私の血を全部飲んで」

「っ……! そ、それは……」



 今朝は吸血鬼を信じていない様子だったが、今は違うようだ。きっと彼女の日記を読んだからだろう。彼女は俺のことも日記に書いていたから。


 血を飲むことは出来る。

 でも、それは……。


 ラウラは言葉の意味がわかっているのだろうか。その行為が何を示すのかを。



「ママの日記に書いてあったよ。血を全部飲んだら、ザクタルの中で生き続けるんだよね?」



 嗚呼、そうだ。

 生きている人間の血を全て飲んだとき、肉体は滅びるが、俺の中にその人の魂がこもる。つまり、俺の中で生き続けることになるのだ。


 輪廻から外れて、人の理からも外れて。

 行く末はつまらない夜の世界。

 そこへ連れて行くのも、実質俺が最期に殺すことになるのも耐えがたいもの。

 不可能ではないけど、やりたくない。


 何も答えなかったからか、ラウラは眉を下げて続ける。



「私もザクタルと一緒がいいんだ……ママも、いるでしょ……?」

「……そこまで、知って……」

「うん。ザクタルがママの血を飲んでたのを見てたんだ」



 見られていたのか、十年前のことを。

 確かに俺は、ラウラの母が亡くなる前に彼女の血を飲みほした。俺も彼女が好きだったから。彼女の願いである旅に行くことを叶えると決めたから。

 彼女もそれを望んだから。


 泣きながら飲んだ彼女の血は、とても悲しい味がした。


 それ以来、血は飲んでいない。



「みんな一緒がいい」



 ラウラは弱い力で俺にしがみつく。



「本当にいいのか?」

「うん」



 ラウラの首に泣きながら噛みつく。

 涙が肌に触れたのか、ラウラは俺の頭を撫でていた。

 だけど次第にその手は動かなくなり、だらりと下がる。そしてラウラの体は静かに冷たくなっていった。



 ☆



 今、俺は北国に来ている。

 目当てはオーロラ。

 俺が、というより二人が見たいって煩いから。



『ペンギンいないの!?』

『ラウラは馬鹿なのかしら? 見に来たのはオーロラでしょ。上を見なさい、上を』

『ママ煩い! それも見るけど、動物見たい!』



 俺の中で喧嘩が怒ることはしょっちゅうだ。

 体は無くても生き続けることになった二人がやっと再会した途端に、喜ぶのかと思いきや喧嘩だから困った。


 今はオーロラで揉めてるけど、度々俺のことがどれだけ好きかで揉めるから本当に困る。



「あ、オーロラでてきた」



 オーロラを見上げると、二人は揃って『綺麗』と言い静かになった。



「次はペンギン探すか」



 そう言えばラウラが歓喜の声を上げた。





 形が違えど、俺たちは共にこれからも旅をしていく。

 終わりのない俺の時間は、楽しくなりそうだ。


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