第132話:人生色々、卓球も色々

 どちらも必死、執念を身にまとい卓球へ尽くしている。

 されど、その姿はきわめて対照的であった。

「ガンガンいくでェ!」

 灼熱の情熱を剥き出しに全身全霊、己の卓球を貫き通す者。

「……」

 冷徹、感情も感覚も全部捨て、ただひたすらに数字のみを追う者。

 地力は灼熱に傾き、卓球の相性は冷徹に傾く。

 開き直った有栖川聖の卓球は、誤魔化そうとしていた時よりもずっと真っすぐで、精度が上がった分、より数字が刺さるようになってしまった。

 ただ、

「あっ」

「卓球、甘ないで」

「……」

 神崎沙紀はどう機械に徹しようとしても人間である。その上、卓球に本気で打ち込んできた時間も短い。

 人間、凡人、どうしたってミスは出てしまう。

 灼熱はそれを逃さない。

 確実に咎めてくる。

(……ミスは駄目。確率勝負を自分で悪くしてどうすんのよ!)

 計算を間違えるのはあり得ない。しかし、その先でミスをすることも、今の聖が相手では許されない状況となってしまった。

 先ほどまでならば、読みが当たった時点で諦めてくれていたのが、ミスしろ、と願われ、待たれている状況へと変化していたのだ。

 ミスしてはならない。

 そう考えるほどに、人はドツボにハマってしまう。

 それは――

「……ふぅー」

 何も対策を打たなければ、そうなると言うこと。

「……」

 沙紀はよくない思考が過ぎった時、あえて頭を聖対策の復習で無理やり埋める。余計な考えを介在させない。考える余地をなくすのだ。

 これが、

「……ほんまに人間か、自分」

「見ての通りよ」

「……ボクにはロボットに見えるわ」

「なら、そうかもね」

 神崎沙紀のルーティン。自分を数字に引き戻し、人間に戻りかけた自我を学習で殴殺、自分を殺して数字のみを追うロボットに成り代わる。

 計算は間違えない。

 ミスも重ねない。

 数式を、自分の手で破壊する愚は犯さない。

 そしてもう一つ、龍星館の、有栖川聖の誤算があるとすれば――

(冷静になって思えば、佐久間姉妹が一番巧いのは当たり前やけど、神崎ちゃんも随分と達者やないか。ボールタッチなんて、結構ええセンいっとる)

 いくらブロッキングが主体とは言え、そもそも痩せても枯れても元女王、魔法が解けたとて全国屈指の強豪が相手であることに違いはない。普通、もっと技術的なぼろが出るはずなのだ。粗が出てくるはずなのだ。

 少なくとも聖視点、強さはともかく香月、紅子谷、この両名にはそれがあった。

 巧さが強さとイコールにはならないのは卓球の難しいところであるが、その巧さというものは一朝一夕で身につくものではない。

 だが、何故か沙紀には巧さがあった。

 それも簡単に身につくものではないような、

「あの子だけ、経験者ですか?」

「ううん、違うよ、如月さん。きちんと取り組んだのは、この一年と少し。それは間違いないの。でも、でもね……卓球には、触れていたんだ。湊君にはよく、温泉卓球って言われていたけど……それでもずっと、一緒にやっていたから」

「……なるほど。その情報は……さすがに龍星館にもないでしょうね」

 遊びの範疇、ただの児戯なれど、それに触れていた時間は確かにあった。おじいちゃんやおばあちゃんに連れられて、そういう世代の人たちに囲まれて、全然上手な人はいない、下手の横好きばかりだけれど――

「っ⁉」

「私、だって――」

 聖が執念で拾った球、計算の範囲外であるが、返されたから終わりではない。ぶち抜かれたなら仕方がないけれど、手を伸ばせば届くなら当然伸ばす。

 ぐん、と手を伸ばし、足りない距離はラケットのグリップ、その末端を握ることで伸ばした。それで当てることは出来る。

 ならあとは、

(何処に、落とす、か)

 瞬時に沙紀は落とすべきポイントに、精確に球を落として見せた。聖はすかさず、それを打ちに来る。角度を付けられたことで回り込むが、その速さは龍星館仕込み。ぎゅんと音が出るほどに回り込み、打ち抜く。

 今度こそぶち抜く。

 だが、

「ふっ」

「……エグぅ」

 沙紀は打たれたコースを読み、すでにフルスイングの体勢を取っていたのだ。あの落としが出来た時点で、有栖川聖用の式すら必要がない。

 何故ならコースはただ、その一点にしかなかったから。

 自信を持って振り抜く。

 そしてぶち抜く。

「よし!」

 11-9、ここに来て2-2まで追いつかれた。あと1点落とせばデュースであったのに、小憎らしいほどに冷静沈着な試合運びである。

 聖は悔しげに笑い、

(……あの姿勢で、ギリギリ届くかどうかって球を、ああも見事に落としたいとこに落とされたんじゃ、そらやられるわな)

 今の明暗を分けた落とし、それを想う。

 ここに来て見えづらかった神崎沙紀自身の技術、身体能力にようやく目が行く。龍星館視点で高い技術とまでは思わないが、それでも間違いなく積んできた、急ごしらえとは一線を画すものを感じる。

 あと単純に、身体能力もかなり高い。紅子谷花音が抜け過ぎているのと、逆に香月小春が足りな過ぎること、それらにばかり目が行ってしまうが、よくよく見ると神崎沙紀もスペックがかなり高いのだ。

 高水準なものを持っている。

 一つ一つは一線級には届かずとも、全部水準が高ければ決して侮っていい相手ではない。何しろ、そういう相手が聖対策に全部注いできたのだから――

「調子出てきたね、聖」

「一本取られたんやでー、猫ちゃん」

「それはそれ、これはこれ」

「なんやそら」

 けらけら笑う余裕がある。と言うよりも、

「楽しんで、聖」

「あいよ、犬ちゃん」

 心底、有栖川聖はこの状況を楽しんでいた。よくもまあ、此処まで知恵と工夫で埋めてきたな、と言う感心もある。久方ぶりに集中できている、いい卓球が出来ている感覚もある。それらは小さくない。

 でも――

「あんな卓球、あるんやね。どう思う、徹君は?」

「俺には出来ん。だが、だからこそ……面白いと思う」

「せやね、ほんま……おもろいわ」

 新しい卓球、自分の中にはなかった、見たことのない可能性。それが聖の胸を躍らせていた。もしかすると――

 そして明菱ベンチでは、

「……」

「……」

 特に言うこともないのか現コーチの石山百合は沈黙し、神崎沙紀もまた黙って小春特製のクソ甘い謎のドリンクを飲んでいた。

 やることは一つ。

 今更、これ以上など望まない。

 頑張って、そういう言葉を小春たちはぐっと飲み込む。沙紀は充分、この日、この時のために頑張ってきた。それを皆は見ている。

 見てきたから、何も言えないのだ。

「よし」

 泣いても笑ってもラスト1ゲーム。

 その揺らがぬ背に、

「神崎部長」

「なに、不知火」

「……楽しんできてください」

「……ん、ようやくわかったか。未熟者」

 湊はその言葉をかけた。そう、湊はわかっていなかったのだ。沙紀はあの卓球を苦しんでやっている、チームのために無理をしている、そう思っていた。

 だから反発していたし、間違っているとも思っていた。

 でも、違ったのだ。

「……僕は、馬鹿だな。紅子谷」

「今に始まったことじゃねえよ。つか、あたしらだって勘違いしてた」

 沙紀はあの卓球を苦しんでやっているわけでも、無理をしてやっているわけでもなかったのだ。本人は自分の特性にマッチした卓球を、楽しんでやっていた。

 世の中には一般的に辛いとされる勉強を楽しんでやる人種がいる。学びを得ることへの充足、問題をゲーム感覚で解き、理解すること自体に快感を得る者もいる。

 神崎沙紀もそういう人種だった。

 だから、彼女は今楽しんでいるし、此処までの積み重ねも苦労したなどと一つも思っていない。今この時、彼女は心底楽しんでいたのだ。

 有栖川聖という問題、その証明を。

 それを湊は理解できていなかった。

「……広くて、多彩な卓球が一番いいと思っていた。それを楽しむ道が、正しいとすら思っていた。……はは、自分の見識の浅さが嫌になる」

「……」

「色んな形の卓球がある。それは全部間違いじゃない。僕が否定しようとした父さんの卓球も……香月には合っていたしね」

「あの頃は一番、あいつが伸びてたからな」

 それしか知らなかった頃、卓球の教え方は父のそれしかなかった。だから、それで接し、結果として香月が一番伸びた。水に合った。

 きっと、自分が父の卓球に、父が卓球に向き合う姿勢に、合わなかっただけだったのだ。父も悪意があったわけじゃない。自分がそうしてきたから、自分がそのやり方しか知らなかったから、自分が一番いいと思う卓球を息子に教えただけ。

 父と湊の道が違っただけ。

 ただ、それだけだった。

「ま、よかったじゃねえか」

「よくはないだろ。ずっと、広く見よう、って心がけていたのにさ。見方を変えたら結局父さんと何も変わらない、頑なだったんだから」

 多彩な卓球、楽しい卓球を押し付ける。それは逆に、父や香月のような向き合い方をする者にとっては、可能性を閉ざすことであったのかもしれない。

 しかも広い視野を持っているつもりなのだから、ある意味父よりもずっと救えない存在に、いつかそういう毒指導者になっていたかもしれない。

「でも、沙紀さんのおかげでわかったんだろ? なら、やっぱよかったじゃねえか。指導者になる前でよ」

「……確かに、そりゃ、そうだ」

「な」

 前向きな紅子谷の言葉に救われる。そう、今でよかったのだ。

 本当に――

「……僕は、恵まれているなぁ」

「……ハッ、それに関しちゃお相子だよ」

 あの時、意固地になって自分は指導者になるんだ、と決めなくてよかった。一旦選手として見識を深める道、それを取ったからこうして客観的な視点を持ち、今日の対戦を見つめることが出来た。

 本当の意味で、広い卓球、それを知ることが出来た、ような気がする。

「二人とも応援! 声出してよ!」

 小春ががるる、と二人に応援しろ、と言った。

 何だかんだ、彼女も先輩を慕っているのだ。

 それはもちろん、

「上等だ! 戻した体力、全部応援に吐き出してやるよ」

「僕も明日の分、此処で出し切るよ」

「「それはやめろ」」

「……はい」

 この二人も同じ。三人の絡みに気づかず、一年生たちと応援の段取りを組んでいる円城寺秋良も同じ。

 この一年、彼女のおかげで明菱はしっかりとした部になった。

 きっと明日も、来年も、再来年も、続いていく、そんな部になったのだ。

「なあ、神崎ちゃん」

「何ですか?」

「神崎ちゃんってトーダイとか目指しとるん?」

「へ?」

「いや、めっちゃ頭良さそうやなぁ、って」

「い、今話すことですか、それ」

「別にちゃうなぁ……ま、ちびっと気になっただけやから」

 よくわからない会話。

 だけど何となく――

「……それが東大かはわからないけれど、出来るだけ上を目指してみようとは思っています。挑戦したいって……今は思えるから」

 何となく、真面目に答えた。

 それを聞き、

「ほーか。ボクもな、もっかい上目指すで。今な、そう思えるようになってん」

 有栖川聖は嬉しそうに、自分もと言った。

 その笑顔は友達に向けるような、同志に向けるような、不思議なものであった。

「ほな、全力で」

「ええ。倒します」

「はは、ほたえなや」

 二人は同じ笑みを浮かべて笑い合った後、互いに背を向ける。

 その瞬間には、

「「……」」

 どっちの貌にも同じ、穏やかな笑みをなかった。

 片方は獰猛に、もう片方は喜怒哀楽を削り、対照的な顔つきと成る。

 全身全霊、自分の卓球を貫き通す。

 そういう――貌である。

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