第63話 恋する私
好きという気持ちは、なんとなく信号のようなものだと想ってた。
嫌いが赤。
普通が黄色。
好きが青。
それで、私から見た世界はどれもかれも黄色と赤で満たされていた。
私は見て怖い人たちはその頭に赤色を点灯させて、困ったり興味なさそうな人の頭には黄色が点灯してる。
そんなんだから、私にとって誰かの好意っていうのは、夢のような―――現実のものでもないような、ありえないようなものに見えた。
この世のどこかには確かにあるけれど、自分にはきっと縁などないような。
この世の中には、例えばアイドルとして皆に愛されている人は確かにいるけれど、私がそれになれる可能性は一ミリもないのと同じよう。
テレビの中、スマホの画面の中、マンガの中、小説の中。
どれでもいいけど、どれにしても手の届かない、そんな世界。
だからかな、好きという気持ちが自分に向けられたら、なんだか何もかもが変わる気がしてた。
もしそれを受け取ることができたなら、それを受け取れるくらい自分が素敵な人になれたなら。
自分の胸の奥でずっと潜み続ける、じくじくとした痛みが消えて無くなっていくんじゃないかって。
そんな、夢みたいな妄想を一体、幾度しただろう。
子どもの頃に、そんな妄想に取りつかれて、手当たり次第に誰かを探したっけ。
いつ頃からか大人になって、そんな人などこの世のどこにもいないんだと諦めたっけ。
私は一体、そうやって何回諦めてきたのだろう。
なのに。
だというのに。
「――――私もう、結構ここねのこと好きだけどね?」
そうやって、ひどくあっさりとあなたは告げてきた。
………………えと、えと。
どうすれば、いいんだろ?
一緒に部屋を探す?
それは! まだ! 心の準備ができません!!
※
「一か月まるっと一緒に過ごしといて何をいまさら……」
「別です! 一か月なんてホームステイみたいなものじゃないですか?! 一緒に部屋を探したらそれはもう同棲ですよ?! 親御さんに挨拶もしにいかないといけないし、そしたら私たちの関係説明しないといけないし、会社にもなんで住所が同じか説明しないといけないし―――?!」
「ははは、飛躍しすぎでしょ。もっと気楽にしたらいいんだよ。ルームシェアとなんにもかわんないし」
「私が気楽に想えないんですーーー!!」
私が必死に言う言葉を、みそのさんは気楽にころころ笑ってしまう。なんとかなるよと、大丈夫って、普段なら安心してしまう言葉だけど。今、この時だけはそこに安心させられても困ってしまう。
いや、別に困らないはずなのだけど、そのなんというか、心がついていかないので今はダメ、ダメなのです。ダメダメなのです。
「……そかあ、まあここねがそう言うんなら仕方ない」
「は、はい……」
どうにか突如としての同棲話がひと段落したことに安心しつつ息を吐く。
うう、心臓がばくばくする。こんなので私は本当に、この延長戦の共同生活をやっていくことができるんだろうか。ただでさえ初めて誰かから向けられた好意なんて、持て余し気味だっていうのに。
しかも、それが自分の好きな―――人から向けられているわけで。
………………。
………………?
世の中ではそういうのを両想いっていうんじゃなかったっけ?
はは、まっさかあ。
それはちょっと飛躍が過ぎるんじゃないですか。
ちょっと相手に好きって言われたからって、それがなんだと。
きっと、私にとっての好きと、みそのさんが言う好きは重さが違うのだ。
そこんとこわかってないと、調子に乗って痛いことを言ってしまうに違いないですよ。ふっふっふ、大丈夫。大丈夫。
「まあ……そっか。ごめんね、いきなり言っても慌てるよね」
「はい……さすがにいきなり同棲は……」
ただ、同棲と口に出して少しだけ浮ついた気分になるのも確かだった。なんというか胸の奥がふんわりと浮くような、座っている足がむずがゆくて落ち着かないような、そんな感じがする。
あれ、うきうきしてる。どうしよ、こんなに浮ついている場合じゃあないんだけど。
あれ、えへ、頬が自然と笑ってしまいそうになる。
今の自分の不幸なんて全部忘れてしまいそうになる。
おっかしいなあ、辛いこととか、しんどいこととか、苦しいこととか、一杯、一杯あったはずなのに。
全部、全部、帳消しにでもなったみたいだ。
たった一つの些細な発見で。
たった一つの誰かの好意で。
こんな私でも、価値があるんじゃないかって。
そんなことを想ってしまいそうになる。
そんなことあるわけないよって誰かが言って。
そんなことがもしかしたら、あるかなあって誰かが言った。
えへへ、なんで、こんなことを話しているだけで、笑顔が零れてくるんだろう。
ぼろぼろと、ぼろぼろとどうしようもないくらいの何かが、どうしてこんなに零れてくるんだろうか。
「やっぱりみそのさんはすごいですね」
「うん。……うん? それ褒め言葉として受け取っても大丈夫なやつ?」
「はい、すっごく褒めてます。私の出会ってきた仲で一番素敵な人です」
「たはは、そこまで持ち上げられると照れるんだけど。もうちょっといい人いたでしょうよ」
「いーえ、少なくとも私にとってはみそのさんが一番素敵な人ですから!」
使う言葉は、単純で、飾りっ毛も何もないのに、これが嘘じゃないと言うことだけはよくわかる。
だって嘘をつくときに感じる胸の痛さが、何一つだってないんだから。
私を見て、たった一人の青信号が点滅してる。
それだけで、私はもう少しだけ頑張れる気がしてた。
恋の寿命が三年だけというのなら、もしかしたらこの気持ちもいつかはなくなってしまうかな。
それでもいい。それでもいいから、今は、今は、今だけは。
この気持ちのまま、あなたに向きあっていたかった。
あなたの抱いた想いが、燃えるような恋じゃなくても、染み込むような愛じゃなくても。
本当に些細な、ちょっとした、好きであっても。
それが私に向いている。
ただそれだけで、私は今、ここにいていい気がしてた。
そうしたら、明日、少しだけ前を向いて生きていける。
そんな気がしてたんだ。
「今日のご飯なにしよっか」
「そうですね、何しましょう!?」
「ここねは、ご機嫌だねえ」
「はい! ご機嫌です! きっと生まれてきて今までで一番ご機嫌です!」
「ふふ、いいねそれ。なら私もご機嫌にご飯作ろ。とりあえずお米たこっか」
「はい!」
この気持ちを人は恋と呼ぶそうです。
多分、今、この時初めて、私は本当の意味で。
あなたに恋をしたんです。
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