第30話私が詩を書き始めたきっかけは少女マンガでした

 私が詩を書き始めたのは、小学校高学年の頃だったと思います。きっかけは少女マンガでした。


 当時、少女フレンドとか週刊マーガレットとか、少女向けの週刊マンガ雑誌があって、お小遣いで買っていました。その中に、詩をモチーフにしたお話があって、心を引かれたのです。


 マンガのストーリーは覚えていないのですが、高村光太郎の「智恵子抄」や新川和江の「記事にならない事件」の詩が使われていたことがあって、ノートに書き写して、今でも暗唱できるくらい何度も読んでいました。

他にも、雑誌や本などに気に入った詩があると、ノートに書いて読みました。


 小学生くらいで内容が理解できていたかどうかはともかく、言葉が持っているリズムや調べが心地よくて、それに、ちょっと大人っぽい趣味のような気もしていました。


  見よう見まねで詩を書き始めたのは、中学生になってからだと思いますが、子供が書くような素直で素朴な詩ではなくて、少女マンガの複雑な人間関係を題材にしたり、心や愛や人生をテーマにしたりで、ちょっと背伸びしていました。


当時書いていた詩のノートは、どこかに紛れてしまったらしく残っていないのです。どんな詩を書いたかの記憶がまったくないので、幻になってしまいましたけれど、今となっては、ちょっと読んでみたいような気もします。


 高校生の頃、十代後半に書いていた詩のいくつかは、成人式の記念に詩集にまとめました。とても幼くて恥ずかしいので、ほとんど読み返すことはありませんが。


 でも、詩集という形で残しておいたからこそ、当時の詩を残すことができたので、良かったかなと思います。


  大学生になってから以降、二十代に書いていた詩は、当時ファンタジーに興味を持って、幻想小説や魔術、古代宗教や象徴哲学の本など、オカルト系の本をを読みあさっていたため、その影響が多い詩でした。


 後に、同じ会社に勤めていた詩人の秋原秀夫氏が「象徴詩」だねと言ってくださったことがあるのですが、生活詩や叙情詩などとは少し毛色の変わった作品だったと思います。


 この頃の詩は、二八才の時に、結婚の記念に詩集としてまとめました。


 田舎に帰って結婚してからは、日常にどっぷり浸かってほとんど詩を書けなくなってしまいました。それでも、忘れた頃に一年か二年に一篇くらいは、文芸同人誌に投稿していたかもしれません。


若い頃に考えた予定では、三十代の詩、四十代の詩、五十代の詩と、世代ごとに詩集を編むつもりだったのですけれど、詩自体を書かなくなってしまったので、適わぬ夢になりました。


 考えてみると、 私が詩を書く原動力になっていたのは、自分の中にある弱い部分や悩み、コンプレックスなどを、自ら昇華させるためだったように思うのです。


 そういう気持ちをストレートに表現するのではなくて、ファンタジーというベールに包んで表現していたのです。


 三十代以降は、田舎に帰って、家族と暮らすようになり、伴侶も得て、心身ともに安定した生活になりました。そのため、詩が入る余地がなくなってしまったのかもしれません。


子供が授からないという寂しさはありましたけれど、私にとってはそれが大きな悩みでは無かったのだと思います。


詩を書かなくなった代わりに、ブログで文章を書くようになったので、書くことは続けていましたけれど、文学からは少しズレた場所にいました。


おそらくは、このまま再び詩を書くことはないだろうと考えていたのですが、どうなのでしょう、これからのこと自分でもわかりません。


※(2016-07-04)ブログに投稿していた文章の転載です。

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