5・3② 未来予想

 朝方、何の前触れもなく「カラオケ行こう」と誘ってきたのは由利だった。


 どうやら彼女に振られたらしく、ストレス発散に付き合ってほしいらしい。久々にみんなで集まるのもいいかもしれないと思い、駅前にあるカラ館に向かったのは昼過ぎのこと。


 何杯目かのドリンクを飲み干し、次はホットコーヒーをたっぷり入れて部屋へ戻ると、タンバリンとマラカスを持って暴れ狂う男の姿が目に入った。別の男は歌いながらセーターをライブタオルのように振り回している。このまま引き返そうかと思った。


 息を止め、身を屈めながら席に戻ると、デンモクを操作していた森崎が「……か?」と俺を小突いた。しかし三木が吠えるような声量で『イチブトゼンブ』を歌唱しているせいで、由利が太鼓のようにタンバリンを叩きならしているせいで、何も聞き取れやしなかった。


「聞こえねえ! もっとでかい声で言え!」


 耳元で言うと、森崎も俺の耳元で「お前次の曲入れたか!?」と怒鳴ってきた。鼓膜の痛みに苛つき、「入れてねえよ!」と怒鳴り返してやった。


 久々に会った森崎は、すっかり落ち着いた風貌になっていた。眉毛が見えるまで短く切られた髪はワックスすら必要なさそうなほどで、耳からもピアスが消えている。腕にも腰回りにも何も装飾品らしきものはない。つい数か月前までバンドやっていましたと言っても誰も信じないだろう。


 森崎が部活を辞めたいと言ってきたのは夏休み明けのこと。受験に向け、勉強に集中したいということだった。

 その言葉に誰も反対しなかった。森崎がバンド練習よりも予備校を優先し始めたころから、皆が薄々気が付いていたからだ。


 それから俺も辞める、と皆が揃いも揃って退部を言い出した。散々森崎の甘い汁を吸ってきた俺たちが新たなバンドで生きていけるわけがなかったのだ。


 文化祭ステージを最後に俺たちは晴れて帰宅部となり、今日まで全員で集まることが一度もなかった。部活という大義名分がない限り、クラスの異なる男どもが無邪気に集まることは案外ないらしい。


 俺もデンモク操作をしていると、森崎が唐突に「なあお前ら、iPhoneって持ってるか?」と言った。すぐに由利が「あれだろ? めちゃくちゃ高いやつだろ」と反応した。


「親父がこういうの好きでさ、ついに買ってきたんだけどヤバいぞ。もう携帯電話の時代は終わりだな。すぐにiPhoneの時代になる」

「は? ケータイで十分だろ? ネットも使えるし、電話もできるし、メールもできるし、テレビ電話だってできるし、ワンセグもある。何が不満だ? 物珍しいものはそりゃあ一旦は注目されるけど、どうせすぐ飽きられるんだって。一発屋芸人とかナタデココみたいなもんさ」

「なんでそんな否定的なんだ。Appleに恨みでもあるのか」

「だってそうだろ? そもそも会社名がふざけてる。小学生が考えたのかって感じだ。何秒で思いついたんだろうな。俺もバナナの絵をロゴにした会社作ろうかな」


 二人が生産性のない言い合いをしている間にも、三木は次の曲を歌い始めていた。明るい曲調だが、ちっとも知らない。曲名を見ると、『10年桜』と書かれていた。


 何気なく画面を見つめた瞬間、飛び込んできた歌詞。10年後にまた会おう。


 10年後ということは、2019年。年齢でいうと27歳か。未知すぎて想像すらつかないけど、事故や病気にならない限り確実に訪れる未来だ。


 どうやら歌を知らないのは俺だけではなかったらしく、森崎も由利もポカーンとした顔で画面を見つめていた。


 曲が終わるなり、森崎が「さっきのって誰の歌?」と尋ねた。三木はドリンクを飲みながら、「AKB48っていうんだけど、知らない?」と言った。その名前になんとなく聞き覚えがあった。

 「AKBって何の略だっけ?」と俺が聞くと、「秋葉原だよ」と三木が答えた。由利はすぐさま「なんか売れなさそうな名前だな」と言った。


「バカ言え! 絶対AKBは日本のトップアイドルになる。意外と俺は見る目があるんだ。今年の紅白だって出るんだぞ」


 推しているアイドルをけなされたのが気に入らないのか、三木が立ち上がった。


「いいや、絶対すぐ消えるね。アイドルはかわいいだけじゃダメなんだよ。それになんだ秋葉原48って。ダサすぎだろ」

「ダサくない! バカにするな! じゃあ賭けるか? この子たちが売れるかどうか!」

「ああ、賭けてやるよ。絶対売れないから。よし、じゃあみんな賭けようぜ! アキバ48がヒットするかどうか!」

「アキバじゃない! えーけーびーだ!」


 彼女に振られたショックのせいか、今日の由利はやたら攻撃的だ。必要以上に会話しないのが無難かもしれない。


 コーヒーが冷めないうちに口に運ぶ。ミルクを取ってくるのを忘れたな、なんて思っているうちに、突然「そういえばさ、みんな進路ってどうすんの?」という森崎の声が飛んできた。


「いや、もう3年だからさ。みんなどうするんだろなって気になって」


 いつの間にか由利の胸倉を掴んでいた三木が、ゆっくり着席した。そして「俺は大学とかあんま興味ないし、地元を出る気もないから適当に就職するつもりだけど……」と言った。


「俺は音楽系の専門行こうかなって」


 思わず「えっ」と声が出た。由利が恥ずかしそうに「なんだよ」と笑った。


「いろんなアーティストのツアーに同行するのが夢なんだよ。だから本格的に勉強したくてさ。親からめちゃくちゃ反対されてるけどな」


 知らなかったのは俺だけではなかったらしく、三木も森崎も「へー」と唸った。自分に視線が集まっているのが耐えられなかったのか、森崎は慌てた様子で「で、森崎は受験だもんな」と言った。


「あ、ああ。工学系の大学行くつもり」


 今度は俺も「へー」と唸っていた。同じ場所にいたはずなのに、まったく違う道に進んでいく。全員矢印の向いている方向が違う。


「杉山は?」

「え」

「どうすんの、進路」

「……まだはっきりとは考えてない。進学しようがしまいがどうせ会社員になるんだろうけど」


 すると由利の「なんか夢がないなあ。一つぐらい野望はないのか? 世界中旅したいとか、金持ちになりたいとか、いい女捕まえたいとかさ」というヤジが飛んだ。三木も「別に進学とか仕事の話じゃなくてもいいんだよ。将来こうなったらいいなっていうのとかないのか」と続けた。


 夢。野望。将来こうなったらいいな。言葉たちが頭の奥で停滞する。


 もし10年後の自分の姿を知ることができたら、どんなに楽だろう。漠然とした名前のない感情に苛まれることも、残りわずかな時間で究極の選択をする必要もなくなる。場合によっては、希望も絶望も味わうことになるかもしれないけど。


「まあ……結婚できてたら嬉しいかもな」






 帰る頃には、雪はすっかり止んでいた。暗い空は星一つ見えない。それでも寒さは相変わらずで、外に出るなり口の中がカチカチと鳴り始めて止まらない。


 毎度同じく由利と三木とは駅前で別れ、森崎とバス停へ向かって歩いた。駐輪場を通り過ぎると、自転車に乗った小学生くらいの男女が仲良く信号を渡って行った。「明日お前の家でスマブラやろうな」という声が風に乗って届く。幼馴染だろうか。クラスメイトだろうか。


 きっと仲良く遊んでいられるのは今のうちだから、たくさん会っておけよ。そう声をかけそうになる。


「お前って結局進学するんだっけ?」


 遠くの信号が赤に変わる。森崎はその光を見つめていた。鼻先が赤みを帯びている。


「いや、考え中。行きたい学校とか正直なくてさ。勉強するにも何から始めるたらいいのやらって感じ」

「じゃあお兄さんに頼めば? 頭いいんだろ? 勉強や受験のノウハウ教えてくれるんじゃないの」

「ノウハウねえ……。でもきっと理解し合えなくてお互いイライラする気がする。浪人してるやつ手を煩わせるようなことはできないし」

「なんで? 赤の他人ならまだしも兄弟だろ?」

「あのなあ、兄弟って言ったって、頭のレベルが天地の差なんだよ」

「だから?」

「バカには天才の考えてることが理解不能だし、天才もバカの気持ちが分からないってこと。バカはどうしてそんなに勉強してられるのか、公式やら方程式やらをすんなり受け入れられるのか、なんの役に立つのか分からない知識を吸収していられるのかさっぱりなんだよ。逆に天才はなんでこんな簡単な問題も解けないのか、ちょっとした人物名も暗記できないのか分からないわけだ」


 森崎が「なるほどな」と笑う。そして手袋を外し、ケータイを打ち始めた。カチカチ、と鳴る音が、まるでカウントダウンのように響く。


 3年になっても別のクラスだったとしたら、今以上にみんなで集まることが無くなったとしたら、卒業までの間にあと何回森崎と話せるのだろう。


 俺もなんとなくケータイを取り出す。何もないと思っていたが、意外にも夏からメールが来ていた。『何時に帰る?』という文字が画面で踊っている。


「お前も奥手だよな」


 突然横から飛んできた槍。森崎が俺のケータイを覗き込んでいた。「見んなよ」と言った途端、『帰りにハーゲンダッツ買ってきて』という夏の追い打ちメールが届いた。


「さっさと告っちまえばいいのに。何年拗らせてんだよ」


 男子高校生らしく、森崎が意地悪く微笑む。


「なんか事情でもあるわけ? それとももう振られた?」

「うるせえなあ。なんもないっての」


 目の前の信号が青に変わる。歩きながら、ひたすら手を擦った。再びケータイが小さく震えた。


『今度買い物付き合って。どうせ暇でしょ?』


 どうせってなんだよ。これぐらいのこと家で言えよ。


 音声化されない言葉が、頭の隅から形もないまま消えていく。


 バス停に辿り着くまでの間、森崎が口を開くことも、俺がメールの返信をすることも、指先の温もりが蘇ることもなかった。

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