エーレズの地下書庫 第六層

「はぁ、ようやくここまで来たわね。簡単じゃないとわかってはいたけど、ダンタリアンの書架まであと少しだわ」


 カツカツという階段を下りる音が薄暗い空間に響く中、ナルディーンが溜息混じりにつぶやいた。

 そういえば彼女は自分たちの護衛以外にも目的があるみたいなことを言っていたっけ。


「……本当に第七層に行く気なんですか?」


 ナルディーンのつぶやきが聞こえたのか、一番前を進むアナベルが返す。


「当然よ! 何のために殿下に面倒な恩を売ってまでここに入る許可を得たと思ってるの!?」


「あ、いえ、その、それは僕には関係ないことなので知りませんけど……」


「フン! これで有意な情報を得られれば、私の研究も大幅に進むわ。過去の遺物は今の世界の常識じゃ測れないような貴重なサンプルも多いんだから」


「まぁ、僕は案内できないんで、行くなら気を付けて行って来て下さいね」


「……何よ。私の案内は仕事じゃないからできないってわけ?!」


「いえ、そうじゃなく、僕が知ってるのは第六層までなんで、案内しようにも道がわかりません。というか、今の潜行官ルインダイバーで第七層を案内できる人はいないと思いますよ」


「……どういう意味?」


「そのままの意味です。第七層はほぼ未調査で、罠や敵性体の有無もわかりません。今わかっているのは第七層が最深部ではないということ、それと、これまでに発見された文献に記された内容から第七層に保管されている文献の一部がわかっているだけです」


「……」


「道がわからないんじゃ、僕みたいに目の見えない人間なんて足手まといにしかならないでしょう? だから付いて行く意味はないでしょうし、行くなら置いてって下さいって言ったんですよ」


 ナルディーンは何も言わない。

 しかしその表情から何を考えているのかは何となくわかった。

 第七層に〝行けない〟理由があるのではないか、もしくは今まで以上に危険な何かがある、ということではないか。

 眉間に皺を寄せたナルディーンは、恐らくそんなことを懸念して黙り込んだのだろう。


「さ、着きましたよ。第六層です」


 第四層と第五層、円筒状の巨大な空間を抜け、第六層へと続く階段を下りた先。

 アナベルとナルディーンのやり取りを聞いていると底が見えてきた。

 最奥にあったのは黒ずんだ扉。

 それに手を置いた状態で、アナベルが言い淀む。


「ここ、部屋については僕が説明すること無いんですよね」


「え?」


「よいしょ」


 ギギギという耳に残る音を立てて扉が押し開かれる。

 そこから見えたのは拍子抜けするほどにありきたりな部屋だった。

 身構えていた全員が一瞬呆けた顔になる。

 ここまで色々と神経を擦り減らすことが続いていた。

 それも下りれば下りるほどに悲惨になる一方。

 順当にいけば、今まで以上の罠や敵がいてもおかしくは無いと思うのだが……。


「何というか……」


「今までと趣が違うな」


 部屋の中は本当に普通だった。

 天井の高さも普通、広さは中規模の図書館くらいだろうか。

 壁際に綺麗に並べられた書棚には、これまた綺麗に装丁された本が詰め込まれ、静かに来訪者を待っている。

 それと向かい合うように縦列に並べられた書棚は、正に図書館といった見た目。

 一番奥には第七層への入り口なのか、鈍い銀色の扉が見えた。


 装飾の類もほとんどなく、本棚以外は執務机と椅子、燭台、羽ペン立て、棚があるだけだ。

 ……いや、装飾なのかわからないが、一際目を惹くものがあった。

 女性の胸像……と言えばいいのだろうか。

 出口と思しき銀色の扉の上に、美しい女性を模った半身の像が突き出している。


 静かで穏やかな表情と、均整のとれた上半身。

 長い髪と花の髪飾りの彫刻は繊細で時間をかけてつくられたものだということがわかる。

 誰がモチーフなのかはわからないが、芸術に疎い自分から見ても、とても美しく思えた。


「……学院の図書館みたい……」


 スティカがぽつりとつぶやく。

 スティカの言う通り、閉塞感に目を瞑り学生服の人間が行き交っていれば正に学校の図書室と言った感じだろう。


「……それより説明が無いとはどういうことだ?」


「いや、そのままの意味です。本当にここ、ただの部屋なんですよ。フロアに罠も無いし、襲ってくるような魔物とかもいないし、ただ本棚が並んでいるだけなんで」


「上にきっつい罠を用意してあるし、ここまでは降りてこられないだろうから罠なんて必要ない、ってことかな?」


「ということはここではゆっくり本を見れるってことですね。はぁー、ここまで怖かったしちょっと気が紛れそうですぅー」


「そうですね。私たちの探している文献はここにあるみたいですし、ゆっくり探せそうですね、クロさん」


 ほっと胸を撫でおろす女性陣。

 高所から解放されて自分の足でここまで下りてきたエシリースも弱音を吐かずに黙々とついてきたスティカも、精神的な疲れから表情にも余裕がなくなっていた。

 しかし安心したのか幾分の笑顔が戻った。


 アンナはいくらかそんな戦いの空気にも慣れてきたようで、アーティファクトの効果もあり二人よりもまだ余裕がありそうだった。

 メリエはさすがというべきか、このくらいでは汗もかいていない。


「ここまで何も無いと、逆に何かあるのではと警戒してしまうな」


 少し緊張気味に、部屋の中に歩を進める。


「(うおッ!!?)」


「きゃっ!?」


 アンナが扉を潜った途端、アンナに肩車をされたままここまでついてきたライカが変な声を出し、ブワッと毛を逆立てた。

 それにびっくりしたアンナがビクリと痙攣して悲鳴を上げる。


「何だ? どうした?」


 アンナの悲鳴に全員の視線が集まる。


「あ、いえ、急にその……」


「(ライカ?! どうかしたの?)」


「(呪いの匂いだ……それもかなり強烈だぞ。何だこれは!?)」


 ライカの言葉に周囲を見渡すが、自分に異常は感じない。

 それは周囲の面々も同じようだった。

 だが、最後に部屋に入ったナルディーンだけは違った。

 一歩踏み入った直後、表情を険しくして叫ぶ。


「待って! 止まりなさい!」


「!?」


「どうした!?」


 それに反応してアルバートが杖を構えて警戒態勢を取った。


「何てこと……信じられない。まるで呪詛溜りだわ……」


「呪詛溜り?」


「呪いよ。それも……瘴気に近いほどの」


 ナルディーンの切迫したような声に、ほっとしていたエシリースがまた自分にしがみついてきた。


「と、特に異常は感じないですけど……」


「あなた達が異常を感じたらもう手遅れよ。この部屋ではなく、本に込められているみたいだけど、それでも部屋全体に漏れ出る程とは尋常じゃないわね。いい? 絶対に無暗に触ってはダメよ」


「どういうことだ? 何も無いんじゃなかったのか?」


 アルバートがアナベルに問いかける。

 アナベルは表情を変えず、淡々と答えた。 


「部屋には何もありませんよ。自由に動き回って問題ないです。

 文献についてはヴェルタがこの第六層に持ち込んだ分くらいは覚えてますけど、それ以外の元から置かれている本については何もわかりません。調査団もここにある本は殆ど見ることができていないんです。だから何の本があるかはわかりません」


「当然ね。このレベルの呪いが漏れ出る程の本を調査団程度が簡単に開けるはずが無いわ」


 安全なフロアなら、少なくとも五層とかの文献よりは調査が進んでいそうなものだが、そうではないらしい。


「……部屋ではなく、本そのものが罠……ということか」


「んー。それもちょっと違う気もしますけど」


「……罠というよりは、本の内容が原因だと思うわ。これは無暗に触れないわね。解呪できなければ、重度の呪いに侵されることになる」


「ナルディーンさんは呪いのことに詳しいんですか?」


「一応ね。ここに来たのもあなた達を呪いから守るためだしね」


 そういえば自己紹介の時に呪い関係の対策人員みたいなことを言っていたっけ。


「恐らくだけど、ここの本の殆どが封印書なのだと思うわ。封印書は内容を魔法で封じている書物のことね」


「ここの文献に書かれていることは封印しなければならない程の何か、ということか」


「ええ。それが単純に〝人に見られたくない〟から開けないようにしているっていう程度の封印書ならいいんだけど、ここの状況を見るにそんな生易しいものじゃないわ。

 呪いの状況やエーレズの地下書庫の深部にあることから考えても、ここにある書物は〝本が自ら開くことを封じられた〟文献でしょうね。

 例えば……そうね。精神や概念を破壊するような術式が組み込まれた過激な文書、禁術や禁式のような〝在るだけで〟世界そのものに影響を与えてしまう魔導書、悪霊みたいな思念体を封じ込んだものまで様々だけど、どれも耐性や知識のない人間には持てあますようなものばかりよ」


「それと呪いと、どう関係あるんですか?」


「これも予想でしかないけど、本や文字列、式なんかに込められた邪念や怨念、悪意、純粋な力なんかが綯い交ぜになって、封印に使われた魔法の綻びから漏れ出ているんだと思うわ。魔導書なんかではよくあるんだけど、術式そのものが意思を持ってしまうなんてこともあるのよ。大抵、面倒事を招くような悪意なんだけどね」


 呪いは悪意や邪念、思念を、何らかの力で魔法のように利用するものだったか。

 不死種なんかが使うとか言っていたっけ。

 そんな思念と魔導書に込められた力が混ぜ合わさり、呪いとして顕現しているということか。


「呪いは厄介よ。知らず知らずのうちに体に溜め込まれ、症状が出たらもう手遅れ。呪いに込められた思念の種類によって様々な症状が出るわ。病気のようなものから精神を狂わされるもの、攻撃魔法のように直接的に体の内部を破壊するもの、特定の行動を制限したり、特定の行動を強制するもの。

 解呪するのも大変で、何日もかけて呪いを抜かないといけないんだけど、症状によってはそれすらできないこともある。ここの呪いで引き起こされる症状なんて、想像したくも無いわね。

 私の研究はそんな呪いの機序を解明することなの。そういう意味では、ここは格好の研究スポットになりそうだけど、ここに居たらすぐにでも呪いが体の許容量を超えて溜まってしまいそうで怖いわね」


 今までの様子とは全く違う、研究者のような雰囲気で語るナルディーンの言葉に、エシリースが息をのむ。

 アルバートも知らなかったようで、真剣に耳を傾けていた。


「……何だか、魔法と似ていますね」


「ええ、そうね。呪いや呪詛も大別すると魔法四大体系に含まれるのよ。普通の魔法と大きく違うのは魔力以外の力を使うこと、思念の力、取り分け死者の念に強く呼応すること、そしてかけられた者の運命や因果律にすらも干渉する力があるということ。簡単に言えば不幸や災厄を呼び込むってことかしらね。

 まだまだ研究が進んでいない分野だから、他にも特性があると思うけど、今現在でわかっていることだけでもかなりの脅威ね。四象魔法や血質魔法は運命に干渉するなんてことはできないわ」


「……ということは、ここに長居することは危険か?」


「危険なんてものじゃないわ。瘴気のように呪いが蔓延している場所なんて滅多にないわよ。急いで必要なものを見て出るべきね」


「(クロ、私からも進言しよう。ここはさっさと出ろ。私やクロならいいが、アンナ達はまずいぞ。クロのアーティファクトがあったとしてもだ)」


 これはさっさと目的の物を見つけてしまった方が良さそうだ。


「……第七層はいいんですか?」


「……こんな機会は滅多にないし、口惜しいけど、ここの状況を見る限り、今の私が進むのは無理……諦めるわ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る