精なる石
「でも、場所覚えるの大変だなこりゃ……」
地図を持ち出せないので場所については覚えておくしかないのだが、全く知らない世界の国の地図を頭に入れるのはかなり大変だ。
読めない上に縮尺もよくわからないし、描かれている絵だって地球の地図とは比べ物にならない精度。
これではちゃんと記憶しておける自信がない。
それでなくても覚える系の科目は苦手だというのに……。
「クロ様……じゃない、クロさん。私覚えるの得意ですから、私が覚えます」
スティカがそう申し出る。
「そうなの? 助かるよ」
王立学院で学んでいたスティカなら任せても大丈夫そうだ。
こういう知識面でのサポートは本当にありがたい。
「む! 私! 私も覚えるの少し得意ですよクロさん!」
「……アンナ、地図だけ覚えても土地勘や旅経験が少ないとあまり役に立たないと思うぞ。ある程度は国や都市のことがわからないとな」
「えう!? ぐぬぬー」
対抗心を燃やしたアンナだが、ここはスティカに任せた方がいいだろう。
元々村娘だったアンナは地理に関する知識が乏しい。
まだメリエの方がわかりそうだ。
「さて、ここはもういいですか? 他に第四層で見たいものはありますか? 他にも軍事関連のものは第四層に保管されていますよ」
アナベルが全員に聞くが、誰も口を開かない。
アルバートは腕を組んだまま押し黙り、ナルディーンも何も言うことはなかった。
アルバートはただの護衛役だから見るものはないし、ナルディーンの求める魔導書も第四層には無いということなのだろう。
「……では第六層目指して下りるとしますか」
「ひぃぃぃん! そりゃ上ったら下りますもんねぇー! クロさーん!」
アナベルがまたこの何も見えない迷路を下りていくと言ったため、エシリースが悲鳴を上げて背中に跳びついてきた。
そのまま両手両足を絡め、こなきじじいよろしく、背中にへばりつく。
年頃の女性がはしたなく足を回して男にしがみついているのに思うところがないわけではないが、それよりも不憫さが勝ってしまう。
初めはエシリースに不満そうな顔をしていた女性陣も、今は気の毒そうな視線を送っている。
地図を元の場所に戻し、またアナベルを先頭にして移動を始める。
クネクネと空中を歩きつつ、見えない下り階段を幾度となく下りる。
見えない階段を下りるというのは想像以上に怖いものだった。
上る以上に下を気にする必要があるため、否が応でも奈落の底を意識しなければならない。
山岳登山などで崖にある急勾配の階段を下りるときの恐怖と言えばいいのだろうか。
一歩踏み外して転がり落ちれば即アウト、それを何倍にもした恐怖感があるのだ。
上るときは堂々と歩いていたアルバートですら、一歩一歩を確かめながら慎重にアナベルについていっている。
そんなこんなで数十分。
整然と空中に浮かぶ書棚を横目に見ながら下り続ける。
書棚に並ぶ本も上の方の物とは違ってきていた。
明らかに何かの力が込められていると感じるような本が所々に散見される。
見た目とかではなく、文字通り何かの気配を感じるのだ。
アンナの背中に乗っているライカは特に気にする風でもなく通り過ぎているので、そこまで気にするようなものではないようだが、それでも静かに鎮座する本から発せられる何者かの気配に目を向けずにはいられなかった。
「ここから第五層です」
何もない足場を歩きながら、アナベルが言う。
それに全員が首を傾げた。
「……特に何も目印なんてないけど、どうしてここから第五層だって言えるの?」
ナルディーンが全員を代表して問いかける。
周りには相変わらず浮かぶ書棚の群れ。
ここに入ってから変わらぬ風景だ。
底で光っている何かが着実に近付いてきてはいるが、この広大な円筒状の空間のどの程度の位置なのかは大雑把にしかわからない。
「あはは。まぁ僕の感覚ですね。ここっていつも空気が違うって上で言いましたけど、第五層ではそれがより顕著になるんですよ」
「……ふーん」
彼特有の感覚で判断していたら、そりゃあ自分達では判断のしようもない。
そんなものかと納得したところで、ライカから意思が飛んでくる。
「(……クロ、ここからは少し注意しておけ)」
「(どうかした?)」
「(妖のものどもの気配だ。底の方からだな)」
妖……精霊のことだったか。
そういえばアルバートも中層から下には狂乱した精霊がいるとか言っていたっけ。
カラムと一緒にいた上位水精霊のミラ以外に、まだ精霊を目にしていない。
そのミラも人間に擬態していたので精霊と言われてもあまりピンときていなかった。
「(……注意しろってことは、攻撃してくるかもしれないってこと?)」
「(わからん。だが、こんな場所だ。気を付けておくに越したことはない)」
「(……御尤も)」
足元だけではなく、周囲の気配にも気を配るようにしながら更に下り続ける。
やがて底にある光っている物の形を判別できるまでになった。
「ウソ……まさかあれって……」
「……汽精石の結晶か……凄まじい量だな」
薄黄色に光っているのは、巨大な針山のように鋭い鉱物の結晶だった。
びっしりと無秩序に伸びる結晶の刃。
それが床一面を覆っている。
「その、キセイセキって何ですか?」
「精霊の力が凝集したものと言われているが、よくわかっていない。精霊が集まる場所で稀に見つかるが、天然の物は発見される量が少ないんだ。かつては魔法を駆使して創り出すことができたらしいが、数百年前に技術を保有していた国が崩壊し、今では遺失技術となっている。
アルバートが下を見詰めたまま答えると、ナルディーンが続ける。
「精霊力に満ちていて、途轍もない魔力親和性があるの。強力な魔道具や触媒、アーティファクトの材料として使われるんだけど、その実用性と希少度から高値で取引されるわ。実際、これで作られた装備品は上位実力者の御用達ね。宮殿魔術師だと多くが汽精石の入った装備を持っているとか。貴族もステータスとして子弟に持たせたりもするわ。
これを生成する技術を持っていた国というのも、この力を軍事力に使われることを恐れた周辺各国が、裏で糸を引いて内部崩壊を誘発したなんて話もあるわね」
「天然でこれだけの量はまずあるまい。ということは、ここを創造した者は失われた製法で作り出したのだろうな」
「これだけあれば新たに国家を打ち立てるだけの資金にもなりそうだけど、どうして回収しないのかしら」
「あはは。その理由はもう少し下りるとわかりますよ」
アナベルの言葉にナルディーンがピクリと反応する。
アナベルがこう言う時は大体嫌な理由だ。
今までがそうだっただけに、ナルディーンも同じように考えたのだろう。
更に下り、結晶の光が強くなる。
真昼の、とまでは言わないが、何不自由なく作業ができるだけの光だ。
その光に混じって、見慣れないものが漂っていた。
「……あそこ、何か浮いていませんか?」
アンナの指差した方向に目を向けると、煙のように見える薄ぼんやりとしたものが書棚の間を通り抜ける。
雲や霧のようにも見えたが、こんな場所でそれは無いだろう。
「ひっ!? ゆゆゆ幽霊!?」
「……確かにここならば悪霊や不死種の類が出ても驚かないが、違うな。風の精霊だ」
「精霊? あれが?」
よく見ると他の場所にも黄色い煙のようなものがフヨフヨと漂っていた。
流れるようにするすると書棚の間を通っていく。
上位水精霊のミラに比べると随分と姿が違う。
「まだ精霊力の集合率が低い下位精霊だな。中位精霊に成長すると周囲の環境とその属性により様々な形を取り始め、個我を持つものが現れる。
……そうか。エーレズの地下書庫に狂精が湧くというのはこの汽精石のためか」
「俗に言う精霊魔法っていうのは、ああした精霊を構成する精霊力に干渉できる特殊な魔力を持つ者が使えるのよ。あのくらいの下位精霊なら駆け出しの精霊魔術師でも操れるわね。研鑽を積めば精霊力を操る過程で個我を持つ精霊を使役したりもできるようになる。それは先天的に持った血の素養によるもので、そうした血の特質で行使される魔法を血質魔法と呼ぶの。さっき話した四大魔法体系の一つね」
「……その血? を受け継いでないと精霊と仲良くできないってことですか?」
「……いや、個我を持つ精霊が好意を持てば別だな。精霊力を操れなくても、精霊と親密になれればそれに準じる力を貸してもらうことはできる。ついでに補足すると、精霊魔法を使う素養は子に受け継がれるものではないとされている。両親が精霊魔法使いだとしても、その子が確実に精霊力を操れるというわけではない。ま、神からの贈り物というわけだ」
成程。
カラムとミラは後者のようだ。
カラムも上位水精霊のミラの力を借りていると言っていたし。
「ここの出口付近にはもっといますよ。……それに、厄介なヤツもね」
「厄介って?」
「……ここの、第五層の番人みたいなもんです。元から居たのか、後から居付いたのかは知りませんけどね」
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