封印された書庫

「ここまで来れれば大丈夫。ただ、あまり広くありませんので、このテーブルから離れすぎないように」


「ふぅ。嫌な汗をかくな」


「は、はい。気が気じゃありませんでした……」


 メリエとアンナも額に浮かぶ汗を拭った。

 ただ歩いているだけなのに、さっきの戦闘よりも汗をかいている。


「エシー、一回下りる?」


「で、できればこのままで……」


 背中に張り付いたままエシリースが答える。

 ずっと目を瞑りっ放しの上、がっちり掴まっているのでそろそろ疲れているだろうと思ったのだが、やはり下りられないか。

 それを見て疲労の色が濃いアンナとスティカがじろりとした視線を送ってきたが、エシリースを慮ってか何も言うことは無かった。


 アナベルに付いて何もない空中を歩き続け、四角い会議テーブルがある場所までやってきた。

 実際には見えない通路があるのだが、本当に空気の上を歩いているかのように何も見えないため、想像以上に神経を擦り減らされる。

 十数分くらい歩いただけだと思うのだが、凄まじい疲労感を感じた。


 地球で一度だけガラス張りの高所を歩いたことがあったが、いくら足元が透けて見えると言ってもガラスの質感は見えるわけだし、安全のための手すりもあった。

 それに比べ、こちらはそうしたものが一切無い。

 落ちないようにするための注意疲れだけではなく、〝いつ落ちるかわからない〟という緊縛感にも似た重圧が一歩一歩全てにあるのだ。


 いくら頑強な古竜の肉体になり、空を飛ぶことを覚えているとはいえ、人間だった頃の感覚が失われたわけではない。

 いざとなったらどうにでもできる手段があったとしても、それは圧し掛かってくる。

 例え落ちても生き残る手段がある自分でもそうなのだ。

 だとしたら、アナベル以外の全員が自分以上の疲労感を覚えているだろう。


「にしても……ここは、何だ?」


 書棚の浮かぶ中、ポツンとあるテーブルと椅子にメリエが疑問を口にする。


「なんだか不思議な場所ですね」


「まあ休憩所みたいなもんです。ところどころにテーブルとか椅子が置いてあるんですけど、その部分は動かないのでいくらか安全なんですよ」


 確かに図書館などには読書スペースとして机があったりする場所もあるが……それより気になる言葉にナルディーンが反応した。


「……ちょっと、動かないってどういうことよ?」


「んーと、何て言えばいいんですかね。今歩いてきた足場は定期的に変化して、道順が変わるんですよ」


「……何だと?」


「過去の文献や調査団の調べた結果によると、5パターンくらいの道順からランダムに変化するらしいです。何て言ってたっけ……僕は見えないからわからないんですけど、第五層の光ってる底の色が変わると、一緒に道も変わるとか言っていたような……運が悪いと突然道が消えて下に真っ逆さま、ってこともあって、実際今までに調査団の人が何十人と落下死してるとか」


 アナベルの言葉に全員が透明な足場から下を覗き込む。

 深すぎて何がぼんやりとした光を発しているのかまではわからないが、今は淡い黄色に光っている。

 その光に浮かび上がる無数の書棚の群れは、場違いにも幻想的で心奪われる光景だった。


 アナベルが言うことが本当なら、ここは想像以上に危険な場所だ。

 迷路のような道順を探るにしてもこの完全に透明な足場……その上時間をかけて手探りしていては突然足場がなくなり、落とされることになる。

 アルバートが言ったように空を飛んで行こうにも、歩いた感じではかなり入り組んだ構造だ。

 森の中、枝を縫って飛ぶようなものになるはず、となればこれらが突然動いたら危険なんてものではない。


「……なら、なぜ君は道がわかるんだ?」


「僕の感覚を人に伝えるのは極めて難しいんですが……この部屋って毎回入るたびに雰囲気が違うんですよね」


「雰囲気?」


「何というか、空気の匂い? 感じ? みたいなものです。初めてここに来た時は気にしなかったんですけど、何度か来て道順を覚えている時にそれに気付いたんです。この道順の時は何かスッキリした空気、とか。この道順の時は湿った感じの空気、とか。

 最初は気のせいかと思ったんですけど何度も来ているうちに確信して、主要な道順を覚える頃には空気の感じで今の道順のパターンがわかるようになっていました」


 ……視覚は人間の五感から得られる情報の80%から90%を占めるともいわれている。

 それが使えなくなると、他の感覚が鋭敏になるという話を思い出した。

 視覚から情報を得られないなら他の感覚を訓練し、研ぎ澄まさなければ生き残れなくなるからだ。


 恐らくアナベルも視覚以外の五感が他の人よりも優れているのだろう。

 ライカのように匂いから何かを感じ取って判断するのも生き残るための手段の一つということだ。

 脳のメカニズムを少なからず知っている自分はある程度納得できたが、ナルディーンもアルバートも懐疑的だった。


「そんな不確かなもので今まで歩いてたの!?」


「えー? でも落ちなかったでしょう?」


「う、ま、まあそうだけど……」


「それにそんなに頻繁に変わったりはしませんよ。日に一回とかそれくらいの頻度ですし、僕の場合はその空気というか、雰囲気が変わるタイミングには兆候を感じ取れるのである程度猶予はあります。こうしたテーブルの場所まで来ていれば道順が変化した時に落ちる心配はありません」


「……それが本当なら、ここの創造者は何を考えているんだろうな。書庫、というには余りに度が過ぎている」


「あはは、やっぱりそう思います? まぁ極論すると第三層から下の文献は、文書室に置いてあって必要な時に読みに来るってモノとは根本から違うんですよね。よっと」


 そう言いながらアナベルは持って来ていた雑嚢をテーブルに下ろす。


「簡単に言えば封印。ここに仕舞ったらもう、誰も読めないようにしているってことと同義なんです。でなきゃ一番安全である王城、その地下にこんな仰々しい場所まで用意して仕舞わないでしょう。

 ここには汚点から機密、禁術や原初の魔導書、禁秘文書、捨てるに捨てられないものや危険で世に出せば混乱を招くもの、秘匿しなければならない色々なものが詰め込まれているんです」


「……」


 そう言って水筒を取り出し、喉を潤した。

 確かに地図だって重要な機密だ。

 間諜にでも見られたら一大事だし、物理的に手の届かないところに保管するのは不便かもしれないが上策と言える。

 見たことも無い魔法や常軌を逸した潜在スキルを持つ人間がいる世界だ。

 単に鍵をかけて保管しておくだけでは安全にはならないのだろう。

 そのための大掛かりな書庫ということか。


「ですけど、それも第四層までです。第三層、第四層には重要度の違いはあれど、多くのヴェルタの書類が仕舞ってあります。けれど、それより下層にある書架にはエーレズに元からあった文献が大多数を占めています。

 ま、第四層までしかまともに調査できてなくて、それより下に文書を持ち込めてないってことなんでしょうけど。実際、今現在で確認されているのは第七層までで、調査が進んでいるのはここ第四層までなんです」


 飲み終わった水筒を雑嚢に仕舞って持ち直し、テーブルを回るように歩いた。


「休憩はいいですか? じゃあ行きましょう。地図の書架はもうすぐそこなんで、取ってきたらこのテーブルで見たらいいと思いますよ」


「いよいよ……私の出番です!」


 スティカが気合を入れるようにムンと拳を作る。


「う、う、わ、私もちょっとは役に立ってみせます~」


 背中のエシリースも泣きそうな声だったが自己主張した。

 それを聞いてメリエに視線を向けたが、メリエはどこか不安そうな表情だった。

 メリエの母親の手掛かりの一つになるかもしれない【竜憶】の記録。

 それをこの世界の地図に照らし合わせて場所が判明すれば、竜人種の何かがわかるかもしれない。

 ここに来た最大の目的の一つ。

 だが、絶対に手掛かりが手に入るというわけでもない。

 不安と期待が、その表情に顕れているということだろう。


 アナベルに付いてテーブルの場所からまた少しだけ上る。

 本当にすぐに目的の書棚にたどり着いた。

 時間にしたら一、二分だ。


「これです。この書架の端から端まで全部地理関連ですね」


 書棚には本ではなく、巻物が詰め込まれていた。

 書いてあることが読めないので、ここでスティカに代わる。


「地図……周辺……近隣……未開地……ダンジョン……ラベルには色々と書いてありますが、どれを持っていきますか?」


「わからないし、それっぽいの全部持って行っていいんじゃない?」


「じゃあ地図じゃないものは除外して……これとこれ、あとそこの段は全部……これは分析書です。これも。あ、それは周辺諸国の地図です。こっちは未開地の調査記録なので一応持っていきましょう」


 張り切るスティカがテキパキとラベルを読み、時には中を見て必要かどうかを判断してくれた。

 必要と思われるものだけを手分けして持つことにしたが、かさばるので結構持ちにくい。

 元に戻せばいいだろうということで、ラベルに地図と書かれているものをまとめて抱え、テーブルのところまで戻った。

 テーブルに地図の巻物をコロコロと並べる。

 落ちたら大変なので気をつけねば。


「で、どうする?」


「まず正確に思い出すから、ちょっと待っててくれる?」


 【竜憶】を使い、人間と暮らし、竜人の祖となった古竜の記録を引き出すため、静かに目を閉じる。

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