命の代償
自分の周囲に意識を戻すと、頭上に気配を感じる。
見上げると書架の上から最大の石像、飛竜型の像が睥睨していた。
飛竜型の石像は書架を足場にし、見下ろすように上から覗き込んでいる。
こちらが見上げるとほぼ同時に、飛竜型の石像がブワッと宙に舞う。
そのまま真上から落ちてきた。
「(さすがにそれは当たらないよ)」
後方に跳び、余裕を持って飛竜を躱す。
自分の周りに集まっていた石像群が、ゴバンという巨体の踏み付けに巻き込まれて砕け散った。
飛竜型と言えどさすがに石の体で飛ぶことはできないようで、翼は折りたたんだまま動かす気配はない。
巨体だが書架にぶつかることなく器用に動いている。
着地した飛竜は、その動くことのない石の眼をこちらに向け、前足を伸ばしてきた。
鋭い石爪の横薙ぎを潜って躱すと同時に、懐に入り込む。
如何に巨体と言えど、その体はただの石。
なら、巨岩を砕く古竜種の力があれば問題ではない。
スウッと深く息を吸い込み、それを吐き出す勢いで拳を突き出す。
飛竜型の石像の首の付け根あたりを打ち上げるように振り抜いた拳は、ゴギッという耳障りな音と共に石像の首に亀裂を入れる。
まず首が先に地に落ちて砕け、首から先が無くなった飛竜像の体はそのまま動かなくなる。
すぐさまアンナ達の方に視線を滑らせると、そちらも奮戦しているのが見える。
メリエは自分の間合いに入ってくる石像を全て一刀の元に沈めながら全員に気を配り、全体を見据えているのがわかる。
さすが経験者だ。
アンナは短剣の片方を弓に持ち替え、目標との距離に合わせて使い分けていた。
弓の命中精度もなかなかで、動く標的にも関わらず八割以上を命中させているようだ。
スティカはややもすれば飛び出してしまいそうに見えたが、エシリースを守ることが最優先と決めて動いているのがわかる。
積極的に前に出ることはせず、メリエ同様に間合いに入ってくる石像のみを狙ってエシリースから離れないようにしていた。
アルバートの援護とメリエの指揮のおかげで、ライカが出る幕も無さそうだ。
それに安堵の息を付き、自分の周りに集まってくる石像に集中しようとしたが───。
「……!」
「……止まった?」
石像達は一斉にその動きを止める。
動く気配が一気に消え、静寂が空気を支配した。
そして僅かな間の後、今度は一斉に踵を返した。
「……どうやら、彼が罠を解除したようだな」
「ふう……まったく、ヒヤヒヤするわね」
石像達は静かに自分の元居た台座に戻ると、各々がポーズを取って動かぬ石像に戻った。
「(……気配は無くなった)」
ヒクヒクと鼻を動かすライカのお墨付きも出たところで、臨戦態勢を解除する。
アンナは強張っていた肩の力を抜いて息を吐き、メリエもシャランという涼やかな音と共に剣を鞘に戻した。
スティカは腰の抜けたエシリースを支えて起こしている。
落ち着いたところでアルバートが言った。
「……いや、驚いたな。君たちがそこまで戦い慣れているとは思わなかった」
アルバートがアンナ達の動きを称賛すると、ナルディーンも続く。
「そうね、すごかったわ。王女殿下の件もあっててっきりどこかで手柄を上げた貴族なのかと思っていたけど、そうじゃないの?」
「いや、私たちはギルド連合登録のハンターだ。縁あって王女殿下の手助けをしたに過ぎない」
代表でメリエが答えると、アルバートは魔法商店でのことを思い出したのか、そういえばと頷いている。
「そうだったのか。どおりでな……」
「あの飛竜の巨像を素手だけで殴り倒す彼も含め、今の様子じゃそんじょそこらの罠なら護衛の必要はなさそうね」
「今回のような物理的なものならばな。だが、ここから先は魔術的な罠が大多数を占めるだろう。任された以上、手を抜くわけにはいかん」
「……大丈夫、それくらいわかっているわ」
アルバートとナルディーンがそんなことを言っていると、トテトテとライカが足元にやってきた。
そのままちょこんと座ると、スティカを見ながら【伝想】を飛ばしてくる。
「(……あの娘、決まりだな)」
「(え?)」
「(あの力だ……感情の昂揚でクロの力の片鱗を呼び覚ます。人の身でありながら、発する気配まで人のそれとは違うものに変わっていた。しかもあの匂いはどこかで……いや、それよりも、もしかしたらこの先、アーティファクトなしで竜語魔法を使えるようにすらなるかもしれんな。だが……これは諸刃の刃だぞ)」
真剣な声音で言ったのはスティカのことのようだ。
古竜種の血を摂取したことでの副作用のことか。
確かに
だが、最後が気になる。
「(諸刃ってどういうこと?)」
「(彼女の手を見てみろ)」
ライカに言われてエシリースと話しているスティカの手元を見やる。
本人は何も感じていないのか普通にしているが、スティカの拳からは血が滴っていた。
いや、よく見ると拳だけではなく、服の袖から見える腕に青痣のようなものも見える。
体を治療してからそんな怪我をするようなことは今までにしていなかったはずなので、あの痣も今の影響と考えるべきだろう。
大怪我ではなさそうだが、後で治療が必要だ。
「(力を呼び覚まし、覚醒状態にある時は筋力、体力、認識力などが格段に向上するようだが、あの怪我を見るに肉体そのものが古竜のそれに強化されているわけではないようだ。
今はクロのアーティファクトで身体もある程度強化されているからあの程度で済んでいるようだが、生身であの力を使ったら体の内部にダメージを負うぞ。力と並行して肉体も竜種並みの強度を持っているクロとは違う。注意してやることだな)」
成程、これは気にする必要がありそうだ。
感情が昂ることで発動するとなると、自制するのは極めて難しい。
その精神状態では加減もできないだろう。
そんな状態で生身のまま石を粉砕する古竜種の力を使えば、体は破壊される。
一時しのぎになるがそれなりの防具や武器で守り、今後は影響を取り除く方法を考えなければならないか。
しかし、それは後で考えよう。
「(確かに、これは大問題だね。スティカには自分の感情をコントロールする訓練をさせないとせっかく助けた命を擦り減らし兼ねないな)」
「(それだけじゃない。まだ気になることがある。あの娘に生えた角……肉体が人間のままだというのなら、あの額に生えた古竜種の角はどういうわけだろうな?)」
「(どういうこと?)」
「(食べ物と同じだ。口から取り込んだ食物は肉体に吸収され、全身を巡る。血となり肉となり体を形作り、命の燃料となる……同じように口から血を体内に取り込んだのなら、体に顕れる変化も全身に渡るようなものになるとは思わんか? その証拠に、欠損した四肢や体全体にあった傷は満遍なく癒された。
内面……精神への影響は概ね予想した通りだった。感情の昂りによって竜の血と星の血を混ぜ合わせて呼び覚まし、僅かなりとはいえ無意識のうちに古竜の力をその身に宿す。
では肉体への影響はどうだ? あんなにわかりやすく変化が顕れているというのに、本当に角が生えただけで肉体は人間のままか?)」
「(……スティカの体にはまだ顕れていない何らかの変化があるかもしれない……ってこと?)」
「(わからん。何しろ劇毒とまで言われていた高純度の古竜種の血を人間が体内に取り込んだ前例を知らんからな。あの娘が命を取り留めた時には、もしやもすれば半竜にまで近付くのではと思ってもいたが、今のところは限定的に小さな角が生えただけで気配も人間のものだ。
だが、私の経験と考えから、角が生えただけで終わるとは思えなくてな。まだ何かある、と思っておいた方がいいんじゃないかと思っただけだ)」
「(……わかった。このことは後で本人にも言って聞かせよう)」
「(無論、私の考えすぎというだけかもしれん。過剰に気にするだけ無駄な可能性もある。本当にクロといると飽きなくていい)」
体への影響……あの力を使った時に気配まで変化したということは、ライカの言うように星素の気配が強くなったということだろうか。
感情の昂りによって星素を無意識的に操るという人間には不可能な手段で限界以上の力を引き出す。
と、考えれば気配の変化は説明できるし、辻褄も合う。
だが、ライカが指摘したことも確かに引っかかる。
力を引き出している時もスティカに生えた角や肉体に劇的な変化は見られない。
強いて言えば瞳が竜のそれに変わるくらいだ。
心への影響はあれ程まで激しいものなのに、体の方は本当にそれだけなのだろうか?
これはライカの言うようなことも有り得るかもしれない。
そんなことを考えると、命を助けるために他に方法が無かったとはいえ、後悔が心を過った。
自分はスティカに、過酷な運命を背負わせてしまったのではないだろうか。
あの時は助けることしか頭になかったし、本人に確認するすべは無かった。
しかし、本人は人として死を迎えることを望んだのかもしれないのだ。
例えそれがどんなに理不尽な死だったとしても、人の道を踏み外してまで生きたかったのか、それとも人の身で命を終えたかったのか……。
そのことについてスティカは一切触れていない。
ただ助けてもらったことに感謝を示しただけだ。
しかし、今ライカに言われたことを伝えたらどう思うかはわからない。
両親から授かった人の体を、ヒトでないモノへと変えられたのかもしれないとわかったら……。
でも、これは自分の口から言わなければならない。
伝えなければならない。
他者の命を奪うことで判ったつもりでいた命の重みが、改めてその重圧を心に圧し付けてくるようだった。
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