夕日

「ふっ!! はっ!!」


「しっかり脇を締めて腰を落とすんだ。間合いを取るときは相手の体ではなく、やや足元を気にするように」


「はいっ!」


「凄い凄い! もう支えないでも歩けてるね! スティちゃん」


「う……と……と……。えへへ、ありがとうエシー姉。早くエシー姉と仕事できるように頑張る」


 夕刻。

 陽光がオレンジを帯び、間もなく夕食の時間になる頃。

 結局カガミ達が帰ってからは特に出かけたりもせず、ヴェルウォード邸にある訓練場を借りてスティカのリハビリの付き合いと、アンナとメリエが組手の練習をしているのをライカと座って眺めていた。


 スティカの回復速度は目覚ましく、鬼気迫るような真剣さで歩行訓練や手で物を使う訓練をしていた。

 エシリースの励ましやサポートも大きいようで、真剣にやりすぎ無理を顧みないスティカのブレーキ役として体を労わっている。

 それもあって、僅か二日ほどで支え無しの独力で歩けるまでになっていた。


 さすがにまだ足元が覚束ない部分もあるが、身体強化のアーティファクトを持たせればそれも問題なくなるだろう。

 スティカとエシリースのどちらかは王城地下の書庫に来てもらわねばならないと考えていたが、この調子ならスティカでも問題なさそうだ。


 アンナとメリエも暫くはギルドの訓練場に行くのは控えると言っていた。

 今回のことでアンナやメリエにも何かあるかもしれないし、ほとぼりが冷めるまではヴェルウォード邸にある訓練場で体力づくりに励むことに決めたらしい。

 ここならほぼ貸し切りにできる上、訓練用の武器もあるし、ポロを交えての連携も可能。

 広さは少し狭くなるが不自由することもない。

 貸してくれたシェリア達に感謝である。


 カガミ達の話に関してのことは、夕食時にシェリアやスイ達も一緒に話すことに決めていた。

 元々部屋を貸してくれて事情も知っている上、あれだけ心配して護衛や監視の手配までしてくれた訳だし、話さないわけにはいかないだろう。

 その時にこちらの考えも知らせるつもりだった。


「どう思う?」


 自分の隣に座るライカは人間の姿になっている。

 優雅に足を組み、肘をついて動き回るアンナ達を眺める姿は貫禄があると思ってしまう。

 そんなライカから投げかけられた問い。


「いいんじゃない? 格闘に関してはよくわかんないけど、動きのキレは前よりずっと良くなってる。スティカの体も問題ないみたいだしね」


「違う。奴らの話のことだ」


 アンナ達のことを眺めていたのでそっちのことかと思ったら、カガミ達についてのことだったようだ。

 ライカはあの後何も詮索してこなかった。

 ライカなりに考えがあるのだろうと思ってはいたが、今なら邪魔されずにそれを聞く良いチャンスかもしれない。


「……ライカが聞いててくれて嘘かどうか判断してくれたのは助かったよ。僕はある程度信用してもいいかもしれないと思ってるけど……まだ半信半疑くらいかな」


「そうか」


 嘘は言っていない。

 が、自分の勘がまだどこか違和感を訴えている気がした。

 それを察しているのかいないのか、ライカの横顔からはわからなかった。

 ライカは思うことがあるらしく、険しい表情だ。


「……何か気になることでも?」


「……奴らの言い分には食い違うことがあった。それが気になっている。

 それにあまり過信するなと言ったはずだぞ。思考の匂いを誤魔化し、私達をも騙す方法が無いわけではないからな」


「……向こうはライカを完全にただの動物と思い込んで油断していたみたいだったけど、そんな彼女達にライカを騙す方法なんてあるの?」


「いくつか手はある。まず最も単純なのは強さだ。我々以上の個の力を備えていれば気配や思考の匂いだって遮断することはできる。それだけの相手なら私を騙すことはできるだろうさ」


「……ライカから見てそんな強そうだった?」


「いいや、幻影については驚かされたが、奴ら個々の実力は人間種の範疇を出ない。だからその線は薄いと思っているがな……ま、あの様子では何か鬼札を隠しているのだろう。それを加味すれば侮れん連中なのは確かだ」


 やはり幻獣ライカから見ても彼女らの実力は相当なもののようだ。

 草原で戦った時、ドアニエルは奥の手があるようなことを言っていた。

 あのまま戦っていてもしも奥の手を使われていたらどうなっていたか。

 月下の苦い記憶を振り払い、ライカに問いかける。


「……他にはどんな方法があるの?」


「あくまで奴らが私を騙していたら……の話になるが……最も可能性がありそうなのは奴らの背後に在る者が、奴らを操っている場合だな」


「……どういうこと? 操られていたらライカならわかりそうなもんだけど」


「当然、人間の使う魔法などであからさまに操っていたらわかる。だが、操り方にもよる」


「つまり?」


「肉体や精神を強制するのなら、必ず心と体に齟齬が顕れる。だから匂いで判別できるが……記憶を矯正されれば私にもわからなくなる。実際、記憶に干渉するような術や古代遺物アーティファクトはあるわけだからな」


 ……成程。

 ライカは相手の思考を〝匂い〟として感じ取り、大体の考えや嘘を判断しているようだが、もし本人が嘘を嘘と自覚していなければどうだろうか。


 嘘……特に大きな嘘を吐いている人間は、行動に様々な変化が顕れるという。

 心と言動が不一致となるストレスや感情表現の変化によって、普段とは違った行動をとるらしい。

 目、手、口、姿勢、表情、話し方……その他色々な部分で普段と違う挙動を見せる。

 普段の行動を知っているような親しい人間であれば、素人でも見破れることが多い。


 だが、本人が嘘を嘘と自覚していなければどうなるか。

 本人が嘘を真実だと認識していれば、嘘を吐ていたとしても特異な行動や変化は顕れないだろう。

 例え心の内面を覗き見ることができるライカでも、真実と誤認している本人には何の後ろめたさもないわけだから、感じ取ることはできなくなるということだ。


「……ライカも彼女らの背後には古竜種か幻獣種がいるかもしれないと思う?」


「奴らの力の断片を見る限りでは、居てもおかしくは無いと思っている。だが、もしそうならわからないことがある」


「……どんなこと?」


「あの連中からはクロのような古竜種の匂いや、力ある幻獣種のような匂いはしていなかった。もしもそれだけの存在が奴らの近くにいたのなら、嗅ぎ取れそうなものだがな」


 そうか。

 それだけの実力あるものならば、その残滓は強いものだろう。

 自分では感じ取れるか怪しいものだが、ライカはそうしたことに敏感だ。

 ポロですらそうした匂いを嗅ぎ分けることができる。


「ということはつまり……考えられる可能性は三つ」


「ああ……まず奴らの背後に上位者など居らず、単純に私にもバレない手段で嘘を吐いただけか……」


「次に、僕やライカの感知能力を上回る隠蔽能力を備えた上位者が彼女らの背後にいるかもしれない」


「そして、そもそも我々が考えたこの予想自体が見当違いか、だな」


「……」


「だから私はその上で聞いたのだ。どう思うか、とな。半信半疑……まぁ概ね私も同じ考えだ」


「実力から見ても彼女らが個人の意思で嘘を吐いていたとは考えにくいから、嘘を吐いていたのならそれを隠せるだけの存在がいたってことになる。その場合、ライカの感知能力を上回るだけの力がある怪物」


「奴らの話と占いとやらを信用し、かつ我々の存在についてを潜在的に見抜いた上で言っているのだとすれば……だがな。

 上位者がいて我々のことを教えたというならまた違ってくるが……それなら対面した時にかなりの動揺が顕れそうなものなのに、それも無かった」


 それだとライカにも気付いていて、自分の正体も知っていることになる。

 或いは占いとやらで自覚は無くても看破されていたということになるが……半分正体を現して戦った自分はともかく、ライカの方は気付いている様子も、それを隠している感じも無かったわけだからかなり疑わしい。


「……そう言われるとちょっと怪しいか。となると僕達が考えた予想自体が間違っていて、仲間って言ったのはもっと別の意味か、僕達以外の誰かのことって考えた方が真実味があるかな」


「五分五分だな。匂いにしろ、奴らの力にしろ、どちらの考えも矛盾が出てくる。カマをかけたような様子は感じ取れなかったから、嘘だとは思わんが……どの予想も穴が大きい」


「ふーむ。ここで考えても答えは出ないか。同胞なら同じ人間に接する者同士、会ってみたいとも思ったからああ言ったけど……真実を知るには、直接行くしかないかな。

 でも、僕達みたいに人間と一緒に隠れ住むことを選ぶような古竜や幻獣が他にいるかなぁ……」


「我々という前例がある以上、否定はできんがな」


「仮にいたとして、わざわざカガミ達みたいなのを寄越してまで呼ぶ理由は何だろうね」


「そんな考えを持つ幻獣は総じて変わり者だ。私では何とも言えん。古竜ならばどうだ?」


「古竜でも同じだよ。大体変わり者。戦いに飢えてるなら仲間を探す術があるし、自分でそこまで飛んでいけばいいだけだから違いそうだけど……何か助けてほしいことでもあるのかな?」


「古竜種はそんな便利な術があるのか。幻獣でも血を好むモノならば人間と一緒に居ることはなさそうだしな。別の理由がありそうだ」


「ま、いればだけどね」


「いれば、だな」


「「……」」


 そこで言葉が途切れる。

 差し込む夕日に染められる訓練場で練習に励むアンナ達の方を眺めながら、穏やかで静かな時間が流れていくのを肌で感じる。


 やがて薄暗くなり、そのまま食事の時間になった。

 シェリア達も公務から戻り、会食の準備が整うと、公爵という大貴族から奴隷の身分までが一堂に食卓を囲むという普段ならあり得ない食事が始まるのだった。

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