思わぬ人物

「さて、どうしようかね」


 王城からの帰り道。

 シェリア達が貸してくれた走車の窓から真っ黒に塗り潰された空を見上げると、白い煌めきが夜空を覆っている。

 ミルクを零したようだミルキーウェイと表現した古代の人間に少なからず共感してしまう、そんな幽かな光たちの世界。


 走車に乗っているのは自分とアンナ、そして外にシラルの部下の騎士が馭者として馬を操っているだけ。

 来た時は慌ただしく走っていた走車だが、帰りはのんびりと夜の道を進んでいく。

 おかげで騒音に邪魔されずアンナとゆっくり話をすることができる。


「……クロさんはどう思ってるんですか?」


 隣に座るアンナは、空を見上げながらつぶやいた自分の言葉に聞き返した。


「……僕はいいんじゃないかと思ってるよ」


「え? いいんですか?」


 意外そうな反応を返される。

 当然か。


「まぁメリエ達と相談してからになるんだろうけどね。王女様も言ってたけど、15日程度でいいらしいし、それで面倒事を抑えられるなら便利じゃない?

 どっちみち暫く王都にいることになるのは確定。報酬の文献も見せてもらわなくちゃならないし、旅の準備も必要でしょ? 旅の準備とかをメリエやエシーにお願いして、僕達で学院に行けばいいと思う」


 それに元々、この世界の学校に興味があったのだ。

 どんな場所なのか、どんなことを教えているのか、そこに通う人間達はどんな人々なのか。

 別に勉強家ではなかったが、そうであっても好奇心を刺激される。


 何年も拘束されるとなれば別だが、二週間でいいというのも魅力的だ。

 体験入学気分でお邪魔してもいいんじゃないかと思えてしまう。

 まぁ……自分達の立場上、ヴェルタの王侯貴族との関係を深めてしまうかもしれないという点では悪手なのかもしれないが……。


「そういえばアンナは学校って知ってる?」


「え? えーと……実は詳しくは知らないです。すごくお金がかかって貴族様とか大商人が行くところって両親に聞いたことがあるので、それくらいです」


 セリスはこちらが知っているつもりで話していたのか、入学するということがどういうことなのかは説明してくれなかった。

 王侯貴族からすれば一般常識的なことなのかもしれないが、物心つく頃には労働力と見なされるであろう村人だったアンナからすれば無縁の事である。

 知らなくても当然か。


「僕が知っている限りで言うなら、同じくらいの年の子供が集められて色々なことを先達から教えてもらう場所だね。入学っていうのはその学校に入れてもらうことかな」


「……本当にクロさんは何でも知っていますね。それも古竜の知識の一つなんですか?」


 実際自分が現代日本で通っていた学校とこの世界の学校にどれだけ差異があるのかわからないので、これ以上のことは言いにくい。

 もしかしたら同じくらいの年齢というのも違っているかもしれない。


「まぁそんなところ……僕のも受け売りみたいなものだけどね。で、アンナはどうしたい?」


「私は……正直……色々なことがありすぎて頭がごちゃごちゃで、まだ考える余裕がありません」


 それもそうか。

 アンナにとって今回の会談は重大なものとなった。

 何せ肉親の安否確認を王族に頼んだのだ。

 アンナのような身分の者が王族に頼むようなことではないし、仮に頼んだとしても聞き届けてもらえることはなかったはず。


 しかしアンナは、そんな希望を自らに手繰り寄せる選択をしてきた。

 自分との数奇な出会いを含め、それはアンナが勝ち取った運命なのだろう。

 途中で投げ出すこともできたはずなのに、ここまで恐怖と危険に身を晒しながら自分と一緒に辿り着いたアンナの……。


「……まぁそうだよね。王女と密会ってだけでも緊張するのに、家族のことを王族に直談判、その後には自分たちが王立研究院に行くことをいきなり提案されたら混乱もするよね」


「あはは……それに、最後のアレで頭が真っ白になっちゃって」


 苦笑を浮かべながらアンナはペロッと舌を出す。



 ◆◆◆



「では、今夜はこれにて。動きがあり次第ヴェルウォード邸に遣いを出します」


「お待ちを」


 セリスによる王立研究院入学についての概要を聞き終わり、解散となる間際。

 それぞれが席を立ち、会議室を後にしようとした矢先、思わぬ人物が声を上げる。

 それも普通の声ではなく、聞く者の意識を吸い寄せるような迫力がある声だった。


「っ!?」


 その声にセリスがビクリと肩を強張らせる。

 そして慌てて声の方を向いた。

 その声の主はセリスの背後、イーリアスの隣に立つ近衛騎士のものだった。


 兜を目深に被っていて髭が僅かに生える口元以外に顔が見えなかった男性の近衛騎士は、持っていた斧槍を隣のイーリアスに手渡す。

 イーリアスはそれを丁寧に受け取ると一歩下がって頭を下げた。

 近衛騎士はゆっくりと兜を脱ぐと脇に抱え、露わになったその眼差しをこちらに向ける。


「ち、父上……!?」


「「!?」」


 セリスの父親……それはつまり……。


「……王様?」


「ッ!! なぜ!? 如何に父上といえど……! 約束したではありませんか!」


「わかっているとも、セリス……。

 僭越ながら、貴方様に口を利く機会を頂きたく……突然の非礼、平にご容赦を。私に会いたく無いということは聞き及んでおりました。……古竜殿」


「ッ!? 父上、なぜそれを!?」


 そう言いながらガチャリと膝を付き、首を垂れる。

 ずっと近衛騎士のフリをしてセリスの背後で話を聞いていたということか。

 そして誰もいなくなったタイミングで声を掛けたと。


 やや痩せた顔立ちにセリスと同じ髪色。

 今までの心労疲労のせいで痩せて見えるのだろうか。

 セリスのような年齢の娘がいるとは思えない、30と少しくらいの若さにかなり中性的な顔立ち。

 声はしっかりと男性のものだったが、姿だけなら服装と髪の長さを少し変えるだけで女性に見えそうだ。


 セリスの髪の毛を短髪まで切り整え、少し髭を生やして皺を深くすれば同じ顔になりそうなくらいに目元や口元、鼻立ちなどがそっくりだった。

 女性のセリスに対しては失礼なのかもしれないが、かなりの父親似のようだ。


「私、ロベス・ヴェルタ・アガウールと申します。

 これは全て私の独断、娘も部下も何も知りませぬ。貴殿の真実なる御姿も、誰も喋ってはおりませぬ。咎を与えるというのならば私だけでお願い致したい。

 ただ、どうしてもその……王としてではなく、一人の父親として、御礼を述べたく……」


 頭を下げたまま王様は言った。

 こちらの正体まで知っているということは誰かが喋っているはずだが……まぁ恐らくはイーリアスだろう。

 それにしても部下を守るために王が庇うとは、義理堅いのだろうか。


「どのような経緯であれ、我が血を分けた娘を……助けて頂いたこと、心より感謝致します。

 ……ただ、それだけです。他には何もありませぬ。……どうか、御無礼を御許し頂きたい」


「……」


 何と返せばいいかわからずに固まっていると、王様はこちらの返答も待たずにアンナに視線を向ける。


「貴殿も、竜の姫様。王国ゆかりの者でもないのに私の治療をしてくれたこと、娘から聞き及んでおります。感謝を」


「え!? い、いえ、そんな……あの」


 突然のことにアンナがわたわたと手を振る。

 自分の娘と同じくらいの少女に深々と頭を下げる姿には好感が持てる。

 王としてというよりは、人間として器量があるようだ。

 何を言うべきかと逡巡していると、セリスが慌てた調子で割って入った。


「ク、クロ様、申し訳ありません。与り知らなかったとはいえ、このような無礼を。罰は如何様にも」


 そう言って頭を下げると、後ろに控えていたイーリアスも深く頭を下げた。

 やはり様子からしてイーリアスだけは王様が隣にいたことを知っていたようだ。

 自分のことを喋ったのも……やはりイーリアスだろう。

 その表情には咎めを受ける覚悟のようなものがあった。

 まずいことはわかっていたが、立場上王様の頼みを断れなかったと言った感じだろうか。


「……感謝の気持ちは受け取ります。王女様からも聞いてるとは思いますけど、できれば僕たちはほっといて下さい。そちらにも迷惑はかけないようにしますから。

 王女様も気にしなくていいです。今後実害が無ければ特に何もする気はありませんし」


 色々ちょっかいをかけてくるなら気が変わりそうだが、今の様子から見た限りではそれはなさそうだ。

 本当に子を想う父として感謝を言いたかったという感じだし。


「寛大な御心、敬服いたします。重ね重ね感謝を。全て古竜様の意に従います。

 誓ってヴェルタは貴方様に手出しは致しません。もしそのような輩がいた場合には、ヴェルタとは一切関わり無き者、如何様にして下さって構いませぬ」


「あ、ありがとうございます。クロ様」


「この御恩、忘れませぬ。もし何か、私めでお力になれることがあれば何なりと申し付け下さい。

 ……後はセリス、お前に任せよう……この場はこれにて失礼致します」


 それだけ言うと静かに立ち上がり、もう一度深々と礼をした。

 こちらが何も言わないと察すると、イーリアスを伴って会議室を出て行く。

 一国の王様の対応としてはどうなのかと思ったが、会いたくないと言った手前、長居することはまずいと判断したのかもしれない。


「……クロ様、本当に申し訳ありません。今夜のことは父には伝えていなかったはずなのですが……」


「気にしないでいいですよ。びっくりはしましたけど」


「感謝します。父には私から言っておきます……では、申し上げた通り、詳細が決まりましたら遣いを出します。何かありましたら直接私にでも、ヴェルウォード夫妻に申し付けてもらっても構いません。

 こちらへどうぞ、城門までお送りしましょう」



 ◆◆◆



「……そういえばアンナを竜の姫やら言ってた理由も今度詳しく聞かないとね」


「は、恥ずかしかったです……それに本当にびっくりしちゃって……まさかあんなに近くで直接お礼を言われるなんて……寝ている時と違って迫力がありました」


 アンナは溜息を吐きながら頬に手を当てた。

 そりゃあ寝ていても迫力があったら怖いだろう。


「僕もかなり驚いた。でも話ができそうな人だった」


「そうですね。迫力はありましたけど、優しそうに見えました」


「王女様のこと大好きって話だし、よっぽどお礼を言いたかったんだろうね。約束は反故にされたけど、今回だけは大目に見ようって気になったもん」


 王城でのびっくりイベントを思い返していると、突然走車がガクンと止まった。


「きゃっ!?」


「おっとと」


 何事かと扉を開けて前を覗き込み、馬を操る馭者に声をかけてみた。


「どうかしました?」


「あ、申し訳ありません。前に人が……」


「!!」


 走車につけられたランプの薄明かりにぼんやりと照らされた暗い夜道に、見覚えのある人影た佇んでいた。

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