密会

 シェリアは自分の席はもう分かっていると言わんばかりに部屋の手前側、シェリアの夫であり公爵であるシラル・ヴェルウォードの隣の席に向かうと、黙って一礼してから椅子を引いて腰かけた。

 そう、知っている顔の一人はシラルだった。

 シラルとシェリアの席は位置的に下座、そして上座に座るのが……。


「アンナさん、クロさんもどうぞ、こちらにお掛け下さい」


 どうしたらいいかわからず、入り口に立ち尽くす自分とアンナに柔らかい声をかけてくれた人物。

 知っている顔の二人目でもある、この国の王女、セリスだ。

 回復して間もなく疲労が溜まっているためか、目の下には化粧ではごまかせないクマができている。

 かなり無理をしているのだろう。


「(アンナ、先に座っていいよ)」


「(え!? あ、はははい)」


 場の重苦しい雰囲気に飲まれ気味のアンナは、声をかけるとビクリと肩を跳ねた。

 ぎくしゃくとしながらもシラル達の向かい側の席に移動すると、セリスの後ろに立っていた人物がスススッと近寄ってきて、静かに椅子を引いてくれた。

 客人という扱いだからか、公爵夫人にはしていなかった対応をしてくれたのは知った顔の三人目、セリス付きの近衛騎士イーリアス。


「どうぞ、お掛け下さい」


「あ、ありがとうございます」


「クロ様もこちらへ」


「あ、どうも」


 アンナに続いて自分の椅子も引いてくれたイーリアスは一切表情を変えず、役目が終わると静かにセリスの背後に戻っていった。


「……あーら、随分と持ち上げていたからどんな娘かと思いきや、なんだか普通ねぇ」


 席に着いて緊張に固まるアンナを横目に見ていた女性がつぶやく。

 知らない顔の一人目、王女セリスの斜め前に座る女性。


 見た目は30前半くらいか。

 黒のピシリとした服に暗紫の手袋を身に纏い、暗い紫がかった髪を指先で弄ぶ。

 やり手のOLかキャリア官僚のような雰囲気だ。

 妖艶な目元でアンナを流し見ている。

 そんな女性の態度に苦笑を浮かべつつ、セリスは小さな溜息を吐いた。

 そしてすぐに真顔に戻ると言葉を紡いだ。


「まずは此度の件に尽力頂き、心より感謝します。アンナさん、クロさん。

 正式に、そして大々的に謝辞を述べたいところではあるのですが、このような場で申し訳ありません」


 そう言うと、静かに立ち上がったセリスが小さく頭を下げる。

 それをつまらなさそうに斜め向かいの女性は眺めている。


「そんな……気にしなくても……」


 畏まられたアンナがそう返すと、セリスはやや沈んだ顔になる。


「ふふ。ありがとう。

 でも、やはり心苦しいわね。大恩ある恩人にちゃんと報いることができないというのは……お二人が成して下さったことは言葉では言い尽くせないものなのですよ。それこそ貴族位を授け、領地を与えても足りない程のね……」


 そこまで言ったセリスはスッと顔を上げ、表情を引き締める。

 セリスは自分たちがそれを望んでいないことを知っている。

 だから、その先は言わなかったのだろう。


「あまり時間もありませんので、本題に入ることに致します。

 今回アンナさんとクロさんを呼び立てしましたのは、三つのことをお話ししておくためです」


「三つ?」


「ええ。一つはアンナさんとクロさんの尽力によって開戦を踏み留まることができたヴェルタ王国を取り巻く現状をお知らせすること。

 二つ目が報酬に関すること。これは〝大書庫〟の管理官を担うヒューナー卿に後程説明して頂きます」


 ヒューナー卿と呼ばれた知らない顔の二人目がセリスの言葉のあとに立ち上がり、無表情のままこちらに一礼した。

 50前後に見える男性、簡素な服だが身分はそれなりにあるのだろう。

 やや小太りな体にスッとした冷ややかな目元、ちょっと近寄りがたい雰囲気だ。

 以前シラルが言っていた王国の機密を含む文書管理をしている貴族だろうか。


 ちなみに知らない顔の三人目はイーリアスの横に立っている近衛騎士。

 男性なのはわかるがイーリアスと違って兜を目深に被っているので表情は見えなかった。


「そして三つ目が……」


「ちょっと待って下さるかしら」


 セリスが言いかけると同時に、アンナを見ていた女性が言いながら席を立った。

 そのままセリスの言葉を遮って話し始める。


「殿下が後ろ盾に私の一族の名を借りたと言うので興味を持ったけれど、思ったより普通の娘だったし、この先は私が聞いていてもしょうがないでしょうから今夜のところは失礼しますわ。殿下。

 言われた通り名前は勝手に使って頂いて問題ありませんし、必要なら手助けもしましょう」


「そうですか。わかりました。宜しくお願いします」


「そうそうそれと、手を貸す代わりの禁書閲覧の件、お忘れなきよう」


「ええ。勿論です。ただし、節度は守って下さいね」


 自国の王女に対して随分と失礼な物言いだったが、セリスは特に咎めることも無く退席を許可した。

 しかし後ろのイーリアスはセリスの代わりと言わんばかりに渋い顔をしている。

 裾の長い黒の衣装を優雅に靡かせながらアンナの後ろを通りかかると、女性は歩を止めてアンナに言った。


「ふーん……魔術の才能はそれなりにあるみたいね。それにこの匂い……魔獣使いテイマーの素養も……あら、それだけじゃ無さそうね……フフッ見た目に反してなかなか面白い娘じゃない。

 いいわ、何かあったら尋ねなさいな。殿下のお気に入りということだし、可能な限りは手助けするわ。何なら直々に手解きしてあげてもよくってよ」


「え? あ、あの……」


「じゃあね。また会いましょう」


「……はぁ」


 ぽかんとするアンナをよそに、言いたいことを言い終わったらしい女性はニヤリと笑みを浮かべながらそのままドアから出て行った。


「……何だったの……?」


「……申し訳ありません……この後彼女についてもお話しします。

 ええと、三つ目ですが、私からお二人に提案があります。それについては順を追って話していきますので、まずはヴェルタの現状から説明したいと思います」


 前置きするとセリスはオホンと咳払いをして空気を戻した。


「今回の件でヴェルタは大きな痛手を被りました。

 幸い民に被害は殆どありませんでしたが、主要貴族や竜騎士をはじめ、王国の根幹を担う存在を多く失うこととなり、首脳陣や軍部の再編には長い時間を要することになるでしょう」


 そこまで言うとセリスは、また小さな溜息を吐く。

 疲れもあるのか、表情は暗いものだった。


「ですが、それは我々の役目。アンナさん達は既に大きな役目を果たしてくれました。

 おかげで戦争は回避できる方向で話が進みそうです。早急に和平使節を編成し、会談の申し入れをしたところ、ドナルカからは前向きな返答がありました。

 和平の機運がありながらも挑発的な行動をとってしまいましたが、展開していた軍に被害が無かったこと、そして侯爵である将軍の身柄を人質として引き渡し、全面的にこちらの非を受け入れ、あちらの要求を真摯に受け止める旨を知らせたことで信用を得られたのだと思います」


 確かに軍同士での小競り合いなどは無かっただろう。

 国境で様子を探った限りでは川を越えたり川向うの相手に何かをしている様子は無かった。

 まぁその後の豪雨でどれだけの被害が出たかは知らないが、向こうは自然災害とでも思っているはず。


「これで長きに渡って続いていた戦乱にも、ひとまずの終止符が打たれることになると思います。

 戦争推進派の貴族は全て貴族位の一時返上、取り調べを行い、必要であれば厳しい処分も下すことになるでしょう。

 特に中心となって動いていた数名は既に全ての権限の失効と貴族位の剥奪、領地の返上、私財の没収が確定しており、当主はその命を以って償って頂きます」


 それ以外にも加担した貴族は大勢いたはずだが、そちらは罰金や貴族位の格下げ、或いは職務や権限の取り上げ程度で済ませるそうだ。

 私的に戦争を起こそうとしたにしては軽い気もしたが話を聞いていてなんとなく察した。


 何十人何百人もの推進派貴族全てに厳しい処遇を行えば確かに後顧の憂いは断てる。

 しかしその中には積極的な者もいれば消極的な者もいたはずだ。

 〝どちらかといえば〟推進派寄りという程度の者まで厳しい罰を与えていては、この先、人材は流出していくだろう。

 上に立つ者として毅然厳格であることは必要だが、寛容さも合わせ持っていなければ人はついてこない。

 恐怖で縛るだけでは国の運営はできないのだろう。


「暫くは人材の整理と内政を整えることに時間を費やすことになるでしょうね」


 力なく言うセリスに続き、シラルも沈痛な面持ちで付け足す。


「……将軍二名が抜けた穴をどう埋めるかも今後の課題ですな。最低でも軍を総括する者、国境に目を光らせる者の二名はいなければ国防上問題が出兼ねません。

 ドナルカ以外にも警戒を怠れない近隣諸国は多いですからな。特に内紛を抱えている小国や、勢力拡大を図っている国のいくつかには注意を払っておかねばなりますまい」


「……そうですね。まずはそちらの方から固めてゆきましょう。優先順位の高いものから信用に足る人材を回して行かないといけませんね。

 それにしても、将軍を任せることができるだけの視野を持った者がどれだけいたか……近衛から抜擢することも考えねばなりませんね」


 言葉が途切れるとセリスとシラルが揃ってため息を吐く。

 分かってはいたが、やはり二人とも後始末の激務に追われているのだろう。

 そのため息が全てを物語っているようだった。

 しかしそれらに関しては自分たちは聞く以外に何もできない。

 自分もアンナもセリスたちにつられてやや暗い顔をしながら黙っていることしかできなかった。


「……失礼しました。このお話はアンナさんクロさんには直接関係ありませんからね。

 とりあえず、ドナルカとの戦争の危機は回避できたこと、そして個人的ですけど、私と父、そして大切な友人の命を救ってくれたことに、改めて心からの感謝を述べたいと存じます。

 あとは私たちが協力してくれたたくさんの人の意思を無駄にせぬよう、死力を尽くすのみです」


 セリスはアンナを見ながらフッと笑った。

 それを見たアンナも口元に笑みを浮かべて返す。


「では次に、望まれていた報酬の件についてお話しします」

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