流れるもの

「クロ……クロ! どうした? 大丈夫か?」


 泉の深みを覗き込むように、体を丸めたまま鏡のような水面を見詰め動かない自分を見て、ライカが背後から呼びかける。

 微動だにせず、星素を集め続けること数分。


 星脈から吸い上げた体内を巡る暖かな流れはその力強さを増し、強烈な星術を遠慮なく使ってもお釣りがくるだけの量を蓄えた。

 今なら大規模な環境改変の星術でも問題なく使うことができるだろう。


 体内に蓄えられる星素の量は古竜の成長度合いで変わってくるので、自分よりも大きい古竜ならその量も飛躍的に増加する。

 かなりの量を蓄えている今の状態でも、成長した古竜に比べると絶対量はまだ少ない。

 その点で、自分はまだまだ子供なのだ。


「……よし」


 ようやく長い首を持ち上げ、静謐な水面から新緑の森に視線を移す。

 振り向くと湯の準備をしているアンナ以外の面々がこちらを見ていた。

 柔らかい森の土に足を沈み込ませながら、スティカの元に歩み寄る。


「こっちは準備できた。まずスティカの服を全部脱がせて。包帯も外してほしい」


「……わ、わかりました」


「……アンナ、極力こっちを見るんじゃないぞ」


「そうだな。見ない方がいいだろう」


 ライカとメリエは簡易のかまどに水の入った鍋をかけているアンナにそう言う。

 それにアンナは納得できないといった声で返した。


「ど、どうしてですか?」


「酷いはずだ……あの部屋で、初めて彼女を見た時以上に」


「……!」


 メリエの真剣な声でアンナが怯む。

 手足を失い、床ずれの強烈な臭いを放つ惨状も凄まじいものだった。

 だが、スティカの包帯の下はそれ以上に凄惨なはずだ。


 奴隷商館ではエシリースの手慣れた手つきでテキパキと包帯を替えていたし、医師が手当てしたと思われる重症の部分などは触っていなかったので、あまり傷口は見えなかった。

 それに加え、ショックで事細かに見る余裕が無かったのもある。


 しかしここで裸にすれば全てがあらわになる。

 多少の怪我人や殺された人の死体も見てきたし、動物を食料として解体するのも慣れているアンナだったが、同じ歳の少女が拷問された後の姿を直に見るのは精神的に持たないかもしれない。

 メリエとライカはそう判断したようだ。


「わかり、ました。……ごめんなさい」


「気にするな。アンナにはアンナにしかできないことがある。私だってそうだ。

 今は仲間がいるんだし、役割分担すればいい。全てができる必要は無いさ」


「うん、お湯と食事の方をお願い。たぶん治したらすぐに目が覚めるはずだから」


「はい! 任せて下さい」


 エシリースとメリエは眠るスティカの体を起こし、上半身から順番に包帯や当て布を取り除いていく。


「ッ!! ……これは、キツイな……」


「……スティちゃん……うう……」


 包帯や布の下から現れたスティカの体。

 それを見てメリエは顔をしかめ、苦悶の声を漏らす。


 顔半分を覆っていた包帯の下からは火傷で爛れた皮膚と、抉り取られて腫れあがった片目。

 よく見ると歯も折られている。

 胸付近の当て布を取り除くと、切り取られ、脂肪と肋骨が覗く両乳房の傷口。

 腹部分には裂いたような大きい縫い痕、下腹部は皮膚を剥がされて筋肉が露出している。

 切断された手足の切り口は失血死しないようにするためか、焼きごてがあてられたように肉や皮膚の一部が炭化し、壊疽も始まっている。

 一応手当はされているが、焼け石に水どころではない。


 リヒターが、医者や治癒魔術師が投げたとまで言っていた意味が、ようやく理解できた。

 いくら魔法がある世界でも、このままでは死は免れない惨状。

 それを、年端もいかない少女に……。


「……人間が、人間にすることか……!?」


「……」


 メリエが深い怒りを押し殺すように震える声を漏らすと、エシリースは無言で涙を大地に落とした。

 ライカでさえも、スティカの姿に心を痛めているようだった。


「……クロ。私が見てもこれは無理ではないかと思うが……どうやって失われた肉体を再生するんだ?」


「……ま、見ててよ。メリエ、スティカの口を開けておいてくれる?」


「……わかった」


 メリエは両手でスティカの頬を押さえると、顎を引くようにしてスティカの口を僅かに開ける。


「これでいいか?」


「うん、そのままにしててね。……よいしょ」


 スティカが問題ないことを確認し、こちらも準備する。

 竜の長い尾をぐりんと前まで持ってくると、尻尾の先端部分の小さな鱗に爪を掛ける。

 そのまま爪でペリリと一枚、鱗を剥がした。


 ……ちなみに切れ味のいい竜爪と竜の力なので割と簡単に剥がせたが、本来はがっちりくっついていて、脱皮以外ではちょっとやそっとで剥がれないようになっている。

 鱗が無くなって外皮が露出した尻尾の先を口元に持っていき、ガリッと牙で齧る。


「いちち……」


 さすがにほんのちょっとであっても牙で齧れば痛かった。

 まぁ当然か。

 こちらを不思議そうに見ている面々を尻目に、ツイっと尾をスティカの上まで持っていく。

 尻尾の先端からは赤紫色をした竜の血が僅かに滴る。


「……まさか、竜の血を……!」


 ライカの言う通り。

 古代地球でもかつては万能薬として流通していたという〝竜血サングイスドラコニス〟だが、実際は竜血樹という植物の樹液を固めたものだったり、辰砂などの赤い金属鉱物だったりと、本当に〝竜からとった血〟というわけではなかった。


 だが、今自分が用いようとしているのは本物の〝竜の血ドラゴンブラッド〟。

 それも限界まで星素を取り込み、その内に満たした古竜種の血だ。

 【竜憶】には仲間の竜の血を分けてもらうことで、失われた肉体を再生し、死の淵から蘇った古竜の記録が残っている。


 十分に星素を蓄えた古竜の血であれば、失った肉体を再生し、元通りにすることができる。

 さすがに死んでしまってはどうしようもないが、僅かでも生きてさえいれば効果は確実。

 生命の理を越え、星術以上の治癒効果を生み出せる。

 巨大な古竜でさえも復活させる竜の血ならば、スティカも癒せるはず。


 ただ、いざという時に自分で自分の血を飲んでも意味はないらしく、他者の血を分けてもらわなければならないので自分一人では殆ど意味が無いのだが……。

 しかしそれでも絶大な効果を得られる古竜種の奥の手の一つだ。


 尾の先から滴った血の雫がスティカの口に落ちると、メリエが少しだけ首を持ち上げて嚥下させる。


「うっ! うっ!? ……!」


 飲み込んだスティカはビクリと体を痙攣させた。

 そのすぐ後に、横たわるだけだった体に異変が現れる。

 森の空気に晒された痛々しい傷口がみるみる消失すると、切り取られたはずの手足や指の肉が盛り上がり始める。


 傷口を覆い隠すかのように盛り上がった赤い肉は、やがて伸び、痙攣しながら本来の手足をかたどり、瞬く間に肉の表面に薄く皮膚が形成された。

 爪や体毛も少しずつ生え揃うと、少女らしい透き通るような滑かな体に戻る。


「……!! ……信じられんな……」


「こんな……こんなことが……ああ……」


 時間にして一分にも満たない間に、スティカの見るも無残だった体は、生まれたばかりのように柔らかそうな少女の体へと戻った。

 顔も火傷が無くなり、眼球も元通りになったようだ。

 歯も生え揃い、朱の差した美しい唇の隙間から僅かに覗いている。

 黒に近い濃い茶の髪は梳いたように流れ、裸体で眠るスティカは神聖な美しさを湛えていた。


 急激に進んだスティカの変化は徐々に収まり、静かな森の風が彼女の滑らかな肌を撫でていく。

 もう苦しそうな呼吸も無く、穏やかに寝息を立てていた。


「……言葉も、無いな……」


「さすがだ。クロといると、本当に飽きない」


「スティちゃん、良かった……良かったですぅ」


 エシリースは元通りのスティカを見て、くしゃくしゃになった顔を両手で覆った。

 メリエは呆然と、ライカはやや呆れ気味にスティカを見詰めていた。

 これでもう命に別状はないだろう。


「ど、どうですか? 大丈夫ですか?」


 不安そうに離れた位置でこちらを窺っていたアンナは、恐る恐る近づいてきた。

 そしてスティカを見てメリエ達と同じように目を見開らく。


「わぁ……やっぱり、さすがはクロさんですね! ……ん?」


 嬉しそうに手を合わせ、表情を綻ばせたアンナだったが、すぐに真顔に戻った。

 ニコニコだった笑顔が突然険しいものになると、即座に自分に視線を向けてきた。


「クロさん! 治ったんだったらもうそんなにじっくり見なくていいですから! メリエさん! エシーさん! すぐに服を!」


「あ? あ、ああ、わかった」


「ひゃっ!? は、はいぃ!?」


 自分がスティカの裸を見続けていたためか、アンナは慌てて叫ぶとメリエとエシリースに指示を飛ばした。

 レア達の時もそうだったっけ……治療のためとはいえ、素っ裸の少女の裸体をしげしげと見続けるのはまずいか。

 学んでいないなぁとちょっと反省する。

 ……ちなみに胸の大きさはスティカに軍配が上がるのだが、知らんぷりしておかねばなるまい。


「と、ともあれ、これで大丈……ん?」


「あっ……」


「え?」


 体の隅々まで元通りになり、アンナにも怒られそうなので視線を外そうとした直後、最後に異変が起こった。

 静かに目を閉じるスティカの頭に、ニュッと小さな黒い角が生えてきたのだ。


「「……」」


「……エシーさん? スティカって人間以外の種族だったりする?」


「え? いえ……普通の人間種で、混血とかではないはずですけど……角もありませんでしたし」


「ってことは……」


「……反動か。まぁ無理もないな。

 矮小な人間の子どもが、上位種の古竜の血を体内に取り込む……その器に納まり切るわけはないと思ったが……むしろこれだけの変異で済んで良かったと思うべきじゃないか? クロの力を考えれば、魂魄ごと弾け飛んでいてもおかしくは無い」


 ……とりあえず、これは追々考えよう……。

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