主人と奴隷

「エシー。お前たちの仕事先が決まった」


「……え?」


 スティカとエシリースがいる部屋へと戻ると、あの悪臭が再び襲ってくる。

 しかし先程よりも臭いが弱くなっている気がした。

 アンナやメリエも付いてきていたが、やはりこの臭いは堪えるようで歯を食いしばっているように見える。

 ライカだけは平然とアンナの腕に抱かれていた。

 エシリースはリヒターの言葉にきょとんとし、片付けていたらしい汚れた包帯の入ったカゴを持って固まる。


「これから登録をする。それを片付けたら用意してくれ」


「え、ええ!? ほ、ほんとなんですか!? いつもの冗談じゃなくて!?」


「彼が正式に購入を申し出た。もう支払いも済んでる」


「わ、私でいいんですか? あ、あの……仕事とか遅いですし、迷惑をかけると思うんですけど……。それに、お前たちって……?」


「心配すんな。エシーのオッチョコチョイはちゃんと説明してある。

 そうだ。彼らはエシーとスティカの二人を購入した。ちゃんと二人分の代金も受け取っている。これでエシーの借金は無くなるな」


「う、うそ……それって……」


「そういうことだ。いいから早く片付けをしてこい。ちゃんと教えただろう。主人を待たせる奴隷があるか」


「あ……ありがとうございます……うっ……うっ……すぐに、片付けて、きます」


 売られていくというのに、エシリースは感謝と共に涙を零した。

 自分の感覚からすると、売られるというのは悲しく辛いイメージがあるのだが、そうではないらしい。

 エシリースが変わっているのか、それともスティカと一緒にだからそう思ったのだろうか。


「エシーが戻る前にスティカの登録を済ませよう。お前さんのギルドカードを貸してくれ」


 手を伸ばすリヒターから、本当にいいのか? という目が向けられる。

 リヒターは言った。

 これは商売、双方に益がなければ成り立たないと。


 確かに今の状態のスティカ・ミラーズは益を生まないだろう。

 寧ろ益を生むどころか、逆に損失を被ることになるのは誰が見ても明白。

 しかしそれは普通の人間が普通に奴隷を買いに来た場合だ。


 迷いなくギルドカードを取り出し、そのままリヒターに手渡した。

 リヒターは懐から取り出した金属棒のようなものを、手渡したギルドカードに押し付けた。

 すると僅かにぼんやりと光りを放つ。


「スティ、ちょっと我慢しろよ」


 リヒターはスティカにそう声をかけると、辛うじて残っている右手を持ち上げる。

 本来なら指がある場所には何もなく、握りこぶしを作ったように包帯が巻かれているだけの手先。

 その包帯を僅かに緩め、懐から取り出した小さなナイフの切っ先で露出した皮膚を突いた。


「う……う……」


「悪かったな。これで終わりだ」


 痛みに対する反応なのか、それとも他の何かなのかはわからないが、スティカが僅かに呻き声を上げる。

 しかし相変わらず目は天井を見詰めたまま、表情も変化はない。

 リヒターはスティカの手に湧き上がった血の雫を、ぼんやりと光っているギルドカードに付けた。

 その直後、ぼんやりとした光が消え、それをリヒターが真剣な目で見詰める。


「……これで完了だ。見てみろ」


 リヒターがこちらにギルドカードを返す。

 そのギルドカードには舐めていないのに文字が浮かび上がっていた。

 相変わらず読めないが、一番下に今までに無かった項目が追加されている。


「奴隷商連盟の銘で、こいつが奴隷と主人の立場を明確にする。これによって主人が死亡した場合には、奴隷は殉死することになる。主人の死は奴隷の死となり、逃げれば逃亡奴隷、裏切られる心配はなくなる」


 口で主人と奴隷といくら言っても、それを縛る何かが無ければその状態は成立しない。

 隷属の首輪が無い場合でも、大きな抑止力となる何かは必要だ。

 それがこの登録作業ということか。

 正式に登録することで、奴隷商連盟がそれを保証してくれるらしい。

 だが、寝首を掻かれることはなくても、逃亡奴隷になることを覚悟で逃げることはできる。

 隷属の首輪はそれを防止するためにあるようだ。


「……殉死、させてしまうんですか?」


 不穏な言葉にアンナが反応する。

 アンナは奴隷だった。

 それも半ば強引に奴隷から解放したのだ。

 当時はその辺の事情をよく知らなかったから気にも留めていなかったが、こうして説明されると不安になるのもわかる気がする。


「ああ、所有者が特に何も言わなければそうなる。が、遺言や遺書で相続させたり、解放したりする場合も多い。

 というか、殉死させるケースの方が稀だな。奴隷は財産だ。家族や知人に相続させた方がいいから、ほとんどの客が買うと同時に遺書を奴隷商連盟に預ける。

 それ以外でも情によって解放するケースも多いな。年を取った客は奴隷に身の回りの世話をさせて余生を過ごし、自分が死んだら奴隷を解放って契約にしたり、働きぶり次第で途中で解放したりするって客もかなりいるぜ。中にはそのまま嫁や旦那としてってのも結構あるな。

 これはこの後説明することになってたんだが、先になっちまったな。途中で変更も簡単にできるから、遺言や遺書は残しておくことを勧めるぜ」


 殉死と聞いてもっと血なまぐさいシステムかと思ったら、そうでもないらしい。

 犯罪奴隷などは別になるのだろうが、やはり多くの人間はそのまま死なせてしまうのを躊躇うようだ。

 殉死はあくまで奴隷が主人を殺したり裏切ったりすることを防止するための抑止力。

 奴隷とは言いつつセーフティーネットのようなシステムなのに、保護した人間を簡単に死なせてしまうのはどうなんだろうと思ったが、そうした理由からのようだ。


 不安そうにこちらを見たアンナだったが……まぁアンナの場合はもう関係ないだろう。

 アンナが奴隷の登録についてを知らなかったところを見ても、正規の方法で買われたのかどうかも怪しい。

 例え正規の方法で買っていたのだとしても奴隷管理法違反だったのは明白。

 隷属の首輪もつけていなかった。

 スティカのように主人が犯罪を犯して奴隷商館に保護されたのなら、アンナもそうなるはずだ。

 アンナに咎があることはないか、あっても軽いものだろう。


 それにもうここまで来たら時効である。

 もし逃亡奴隷だなんだとうだうだ言われるような事態になったら、古竜パワーでゴリ押しする所存ですとも。

 不安気だったアンナに笑顔を返し、大丈夫だと安心させると、アンナの強張った表情も緩んだ気がした。


「約束通り、この部屋はそのまま使ってくれていい。エシリースの登録が済んだら、苦痛を忘れさせる薬も準備しよう」


「いえ、薬は必要ありません。それから部屋も。彼女はこのあと連れて帰ります」


「……何だと? そりゃ……」


「お、遅れました!」


 リヒターが困惑した声を漏らしたとほぼ同時に、エシリースが戻ってくる。

 何かを言おうとしたリヒターだったが、エシリースの方が先と判断したのか先を口にすることはなかった。


「む、ああ。先にスティカの登録は済ませた。次にエシーだ。もう一度ギルドカードを貸してくれ」


「はい! おねがいしあ……します!」


 また緊張が戻ってきたのか、肩が強張っている。

 リヒターは先程と同じように金属棒を押し当て、ギルドカードにエシリースの血を一滴垂らした。


「……よし。これで二人の所有権は登録者クロに渡った。この瞬間から奴隷管理法が適用されることになる」


 真剣な目でこちらを見詰めるリヒターは静かにそう言った。

 その瞳は、確かに自分に言っていた。

 彼女たちを頼む、と。


「エシー。スティカの準備をしておいてくれ。これから遺言と遺書の話をしてくる」


「は、はい!」


「……ここで話したらダメなのか?」


「普通は奴隷本人に遺書や遺言の内容は聞かせない。

 よく考えてみろ。死んだら解放するって遺書にしたことを知られたらどうなる?」


「む……そうか」


 なるほど。

 それを知られたら主人を殺すかもしれないということか。

 バレないで殺すことがもしできたなら解放が早まるというわけだ。

 ま、自分達には杞憂だが、そういうシステムならそれに従おう。

 リヒターと共に先程の商談部屋へと戻り、遺書の手続きをすることになった。

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