牢
「アンナ、ポロ、水に触れるなよ」
「お嬢様も、無闇に近寄らぬように」
メリエやフィズも同じように思っていたようだ。
アンナも水の壁から離れるように後ずさる。
王女を守るように立っていたフィズが、足元にあった小石を拾い、水の壁に向かって投げつけた。
すると水の壁にぶつかった小石は、パチャンという小気味良い音を響かせた。
そのまま落ちることなく、水中花のように水の中でゆらゆらと揺れる。
「……!」
それを見たメリエも落ちていた木の棒で水の壁をつつく。
メリエの突き出した木の棒はバシャンと半分ほどが壁を貫通したのだが、勢いが無くなるとやはり小石と同じように水の壁に触れた位置で動かす事が出来なくなる。
力を入れて引き抜こうとしたところ、根元からボキンと折れてしまった。
「(粘着性……? 触れると絡め取られる……みたいですね)」
「(見た目の貧弱さとは裏腹にかなり強固に固定される。下手に触れると身動きが取れなくなるぞ)」
「(カラムの役割は、やはり防御役ということでしょうか。
あの盾……守りに関しては凄い性能ですね。飛竜のブレスをあの薄い水の壁で防ぐとは、かなり頑強ですよ。これだけの強度を持つ防壁をこの規模で作り出せるとなれば、戦時なら多くの兵を守ることができる。軍や騎士団にいればかなり重宝するでしょうね)」
ただの水ではなく、粘性を持たせてあるということは、矢や投石を防ぐ為だろうか。
確かにこれなら矢や魔法はおろか、大砲の弾でも防げるかもしれない。
これを自由に使えれば戦争の時にはかなり強力な守りとなるだろう。
火炎弾を防いだ際には穴が開いたが、水の特性上すぐに修復もできる。
透明なので視界を遮られる事もない。
更に外からの侵入や攻撃を防ぐだけではなく、カラムがこの場面で使用したように内部に入れた者を外に出さないようにするという檻のような使い方もできる。
盾という防御に特化した道具であるので防御面は言うまでもなく、それに加えて思った以上に応用力が高い、便利な盾である。
……見た感じでは竜の身体で強引にいけば突破は難しくないように見える……しかし飛竜を前にしてこの水の壁を出したということは、飛竜程度なら押さえ込めると考えたからだろう。
防御や吸着する以外にも何か仕掛けがあるのかもしれない。
メリエの言う通り無闇に触れない方が良さそうだ。
「おー
「……落ち着けカラム。見た目に惑わされたのはこちらの落ち度だ……ただの獣人では無い。……脅威は竜種だけではなかった。脅威度を更に上方修正する」
「……わかってるよ兄さん」
「……それにしても予想外だ。あの程度の大きさで既にブレスを吐けるとは……」
「兄さんのサポートに入るなんざ、どんくらいぶりだったかね」
ライカの不意打ちを受けた事で、ミクラ兄弟から余裕が消える。
元々バーダミラの方には余裕らしい余裕は見受けられなかったが、カラムの方の気配が引き締まった。
カラムは大地に突き立てた水の盾はそのままにし、代わりに飛竜のブレスにも耐えた巨大なタワーシールドを手に持って構える。
竜の鱗越しでもピリピリとくるこの感じ……今までにも自分を殺そうとしてくる者達はいたが、ここまで空気を変え得る者は数える程しかいなかった。
獣とは違う、人間種の実力者が放つ、相手の命を奪おうという意思……。
これが、殺気というものなのだろうか。
「(いけ好かぬ奴だからと挑発したのは失敗だったか。すまん、クロ)」
ミクラ兄弟から離れて戻ってきたライカが、申し訳なさそうな表情をする。
「(いいよ。たぶんライカが挑発していなくても同じ事をしてきたはずだし、逆にみんなを下卑た目で見てたカラムをぶん殴ってくれて少し清々したよ。
それにしても兄弟揃ってアーティファクトを持っているのか……組む利点が無ければバーダミラがカラムと一緒にいる意味がないとは思っていたから何かあるだろうと予想はしてたけど……)」
大地に突き立てられた盾に視線を向ける。
カラムは既に手を離しているが、盾は変わらず水を生み出し続けている。
魔法を使って水の壁を維持しているわけでもなさそうなので、魔力を供給して使う魔道具ではなさそうだ。
おまけに盾そのものにも水が纏わりつき、スライムのようにゴポゴポと蠢いている。
盾を何とかしようとして安易に触れたら、恐らく壁と同じように絡め取られてしまうのだろう。
「(だが……どうする? あの水が竜種を押さえ込める程ものなら、私でも突破できるかわからん。
それにあそこまでの使い手だ。精神面も鍛えているだろうから、幻術に堕とすとなると
「(……僕がもう一回、あの壁に穴を開ける。ライカはタイミングを合わせて)」
さっきブレスを真似た火炎弾が当たった場所には穴が開いた。
ものの数秒で閉じてしまったが、ライカの速度と身のこなしならその穴を抜けるのは難しくないはず。
後はタイミングを合わせることと、ミクラ兄弟の意識をライカから離すことができればいい。
「(……わかった。幻影を使おう)」
「(僕と戦った時に使ったやつ?)」
「(そうだ。クロが気を惹いている時に使えばさすがに気付かれんだろう。幻影の方は気配を残してこの場に留め、私本体が気配を消して動けばより気付かれにくくなる)」
「(じゃあそれでいこう。こっちから積極的に攻撃して、なるべく僕の方に意識を向けさせる。アンナやメリエも一応武器の用意を。でもそっちを狙ったりしてこない限りは攻撃しないでね。メリエはいざという時にすぐ動けるようにお願い。攻撃よりも守りを優先で。バレてもいいから防壁のアーティファクトは外さないでね)」
ミクラ兄弟は全員の始末を宣言しているのだ。
ということは自分よりも弱いアンナ達を先に狙ってくる可能性も捨て切れない。
丸腰で突っ立っていてはいい的になるだけだ。
「(……わかりました。気を付けて)」
「(いざとなったら私とポロで援護に入る。ポロ、気を抜くなよ)」
「(はい。ご主人)」
アンナが普段見せることの無い緊張と恐怖を綯い交ぜにした表情で弓を手に持ち、軽く矢をつがえる。
戦闘の素人が戦場で緊張と恐怖に支配されるのは主に二つの理由からだ。
自身の命が奪われるかもしれないということと、他者の命を奪ってしまうかもしれないという二つである。
仕方の無いことだが、野生が身近にあるこの世界では慣れるしかない。
自分が初めて人間を殺めた時は、自分やアンナを守るという強い決意で心を塗り潰していたので、緊張もへったくれもなかった。
文字通り無我夢中だったのだ。
だがアンナも同じようにとはいかないだろう。
こうして冷や汗を浮かべるアンナを見ると、やはり荒事は向いていないと思ってしまう。
家庭的なアンナには包丁やエプロンの方がずっと似合っているはずだ。
メリエはポロと共にそんなアンナを庇うように前に立つ。
ポロも唸り声を上げながら、威嚇するようにザシザシと後ろ足で地面を掻いた。
彼女達に攻撃が及ぶ事が無いように立ち回らなければならない。
だが王女の方も放っておくわけには行かない。
「(フィズさん達は王女の護衛を。ついでだから動けなくしてある近衛の人も守ってあげて)」
「(心得ています)」
「(任せて下さい!)」
眠る王女はフィズやスイ、レアに任せる。
まがりなりにも騎士であるフィズがアーティファクトまで持っているのだ。
守るだけならそうそう遅れは取らないだろう。
だがこちらもミクラ兄弟が本腰を入れて攻めてくれば危険だ。
やはり自分が二人を同時に押さえ込むしかないのだ。
女性陣を背中に庇うように更にその前に進み出る。
戦うとアピールするように四肢に力を込めて、わざと地鳴りがするくらいに強く大地を踏みしめて兄弟に近付いた。
ゴフゥと強く息を吐き出し、威圧を遠慮なく二人に叩き付ける。
「大人しく殺られる気はないってか」
「カラム。幼竜でもブレスを吐いてきたということは、それなりに成長した個体だ。もしかしたら見た目は小型だが成体なのかもしれん。飛竜は私がやる。他の連中の動きに警戒しろ」
「だーいじょうぶだって兄さん。俺の〝牢〟から逃れられたヤツはいない。例え竜種でもな。まずはさっさと飛竜を片付けちまおう」
やはり怯む様子はない。
二人は互いの距離を大きく開けながら、徐々に間合いを詰めてくる。
片方を視界の中央に捉えると、もう一人が視界から外れてしまう。
両名の動向を同時に警戒するのが難しい立ち位置。
この動きからもわかる。
二人かそれ以上での連携に慣れ、対する相手の行動を押さえ込むことに長けた、かなり厄介な相手だ。
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