第十一話 最強の陰陽師、悪魔の王に謁見する


 眼下を、緑の木々が流れていく。

 森を見晴らす空を、みずちはわずかに蛇行しながら滑るように飛行していた。


「……ふう。なんだか久しぶりに自由になれた気がする」


 蛟に乗って空を飛ぶのは、実はけっこう好きだった。

 神通力で飛行しているため揺れもほとんどなく、速度の割りに風も感じない。

 まさに騎乗するためのあやかしと言ってもいいくらいだ。気位が高いやつなので、こんなこと口には出せないが。


 ただそんなことよりも……今はあの代表たちから離れられたことにほっとしていた。

 アミュたちを残してきたことは気がかりだったが、強力な呪符を持たせたし、ルルムにもよく頼んでおいたから大丈夫だろう。


 ぼくはわずかに、背後の少女を振り返る。


「空を飛ぶのも初めてかい?」


 リゾレラは目を見開いて、眼下に広がる景色を眺めていた。

 それから、ぽつりと呟く。


「……空を飛ぶのは、はじめてじゃないの」

「ふうん、そうなのか」


 こちらには飛行の魔法でもあるのか……あるいは鳥の獣人や、テイムしている飛行モンスターなどに抱えられて飛んだのかもしれない。


 リゾレラは景色から目を離し、ぼくへと訊ねる。


「最初は、どこに行くの?」

「そうだなぁ。近いところから、と思ってたんだけど……」

「それなら、悪魔の王都が近いの」


 リゾレラが東南東の方角を指さす。


「あっち」


 蛟は一度大きく身を揺らすと、その方角に向かい速度を上げ始めた。



****



 そして、太陽が中天にかかる頃。

 ぼくらは悪魔族の王都にたどり着いた。


「も、もう着いたの……普通は何日もかかるのに……」


 リゾレラが眼下に広がる都市を眺めながら、呆然と呟く。


「だいぶ急いだからなぁ」


 巨体のせいでどうしても加減速が遅いものの、龍はその気になればどんな鳥も追いすがれないほど速く飛ぶことができる。

 まあ晴天の昼間で鳥もなく、かつ目的地の方角が正確にわかっていないと、なかなかそういうわけにもいかないのだが。


 それはそうと……。


「思ったより発展しているんだな」


 眼下の都市は、かなりの規模だった。

 神魔の里とは対照的な、黒い石材で造られた建物が無数に建ち並んでいる。

 もちろん帝都ほどではないものの、魔族とはいえさすがは王都といった趣だった。


「王はどこにいるんだろう」

「あそこなの」


 リゾレラが指さした先には、どこか神殿めいた造形の、一際黒々とした巨大な建造物があった。

 どうやらあれが王宮らしい。


「よし。直接向かおうか」


 悪魔の王宮を目指し、龍が降下していく。


 高度が下がると、都市を行き交う住民たちに気づかれ始めた。皆こちらを指さし、何やら驚いたように叫んでいる。中には怯えて逃げ出そうとするデーモン系モンスターを、必死になだめる飼い主らしき者もいた。

 ぼくは少々申し訳なく思いながらも、なかなか活気があるなぁと感心してしまう。


 今まで魔族のことを、どこか蛮族のように考えていた。

 だがこうして見ると、人間と変わらない。


 やがてぼくらを乗せた蛟は、王宮前の広場へとたどり着いた。


 正面から見た王宮は、禍々しくも荘厳な佇まいだ。

 これだけでも文化レベルの高さがうかがえる。


 ぼくが感心している一方で、王宮を守る衛兵の悪魔たちは半ばパニックになっているようだった。


「うおおおお!? ドラゴン!?」

「ドラゴンに人間が乗っているぞ!?」

「なんだ貴様らはぁ!! 名を名乗れぇ!!」


 このままでは話もできなさそうだったので、ぼくはひとまず《碧御階あおみはし》を使い、翠玉の階段で蛟の頭から降りる。

 そして、言われたとおりに名乗った。


「ぼくはセイカ・ランプローグ。一応、魔王……」

「ドラゴンから降りたぞ!」

「今だっ、かかれぇ!!」

「行け、我が眷属よ!!」


 ぼくの名乗りなど聞く気配もなく、衛兵たちは一斉に叫ぶと、伴っていたデーモン系モンスターをけしかけてきた。

 大小様々なデーモンたちが迫る中、ぼくは眉をひそめながら呟く。


「名乗れと言ったからには聞けよ」

《召命――――土蜘蛛つちぐも


 空間の歪みから、身の丈をはるかに超える巨大な蜘蛛の妖が現れた。


 土蜘蛛は尻を高く掲げると、そこから無数の糸を吐き出す。

 糸はデーモンたちに降りかかり、瞬く間に絡みついてその動きを止めた。

 一際巨大なデーモンであっても、引きちぎれない。神通力で生み出されたその糸は、獲物がもがけばもがくほど意思を持ったように絡みつき、刃物で切断することすらも叶わない。


 デーモンたちににじり寄ろうとする土蜘蛛を、ぼくは呪力を込めた言葉で制する。


「喰うなよ」


 土蜘蛛は、やや不満そうに動きを止めた。

 まったく、こいつは凶暴で困る。


「あ、新たなモンスターだと!?」

「なんなんだあのモンスターは!?」

「お、俺の眷属が……」


 呆然とする衛兵たち。

 そんな中、蛟から降り立ったリゾレラが、彼らの前に歩み出て告げた。


「ワタシは神魔のリゾレラ。悪魔の王、アル・アトス陛下に会わせてほしいの」



****



「困りますな。リゾレラ様と言えど、急にこのような訪宮など」


 王宮内を勝手知ったるがごとくスタスタ歩いて行くリゾレラに、肥えた悪魔が追いすがる。

 立場は知らないが、格好からしてたぶん偉い人物に違いない。


「一体何用で? あのドラゴンは? そしてこの人間は誰なのですかな」

「魔王なの」

「…………へ?」

「門番には言ったはずなの。聞いてなかったの?」


 固まる悪魔をその場に残し、ぼくらは進んで行く。

 そして、謁見の間にたどり着いた。

 リゾレラがおもむろに扉を開く。


「……あの子が」


 部屋の最奥、玉座に座していたのは、金色の毛並みを持った、明らかにまだ若い悪魔だった。

 身長が低く、顔立ちにもあどけなさがある。悪魔の年齢なんて外見からわかるはずもないのだが、どことなく幼いヤギのような印象があった。


「久しいの。あなたの王位継承以来なの、アトス王」


 まったくへりくだる様子のないリゾレラの言葉に、悪魔の王が口を開く。


「リ、リ……そそそ、そなっ……!」


 悪魔の王は口を閉じると、傍らに立っていた銀の毛並みを持つ悪魔に何やら耳打ちする。


「はい、はい……。『リゾレラ様が見えるとは驚いた。そなたの言うとおり、あの日以来となるか。門番の非礼を許してほしい。彼らは驚いただけなのだ』と、王は仰せでございます」

「こちらも申し訳なかったの。あなたに会いたいと言う人がいて」

「あ、あ、あ……?」

「『会いたい人物とは?』と王は仰せでございます」

「彼よ。魔王なの」


 リゾレラに促され、ぼくは一歩進み出て笑顔で言う。


「お初にお目にかかる。ぼくはセイカ・ランプローグ。一応、魔王ということになっている者だ」


 言いながら、なんだこの自己紹介は、と自分で思う。


「……!」


 悪魔の王は目を見開いて立ち上がると、わずかに膝を折って頭を下げた。

 そして即座に、銀の悪魔へと耳打ちする。


「『十六年ぶりとなる魔族領への帰還を、およろこび申し上げます。魔王様』と、王は仰せでございます。それから……はい、はい。『悪魔族を導く身でありながら、陛下の御前に馳せ参じることのできなかった無礼をお許しください。しかしながら、我が種族の意思はエル・エーデントラーダ大荒爵へ託したはず。陛下は何故、悪魔の地へ?』と、王は仰せでございます」

「大荒爵は今、他種族との折衝で忙しい。ぼくもそれに参加していたが、残念ながら魔族の内情がわからず、口を挟む余地がなかった。そこで其の方への挨拶がてら、悪魔族の抱える事情などを訊きに来たわけだ」


 と、ぼくは正直に答える。

 下手に嘘をつくよりも、言える範囲の事実を言う方がいい。


 悪魔の王がはっとして、従者にすばやく耳打ちする。


「『我が種族を思い、ご足労いただけるとは恐縮の至り。我の協力が助けとなるならば、このアトス、力と言葉を尽くしましょう』と、王は仰せでございます」


 その答えを聞いて、ぼくは微笑む。

 少々変わったところはあるものの、思った通り素直そうな王だった。これならまだ付き合いやすいだろう。


「よし、それならさっそく……」

「お待ちを!」


 バーンッ、と謁見の間の扉が開いて、先ほどの肥えた悪魔が現れた。


「魔王様へのご説明ならば、私が承りましょう!」

「『しかし……』と、王は仰せでございます」

「失礼ながら、アトス陛下は未だ言葉がお上手ではありません。このような事柄には臣下の者をお使いください」


 アトス王が顔をうつむかせる。

 実権がないのは本当らしく、臣下にも強く出られないようだった。


 肥えた悪魔が、ぼくへ睨むような目を向ける。


「魔王様としても、そちらの方がよろしいかと」

「ええー……」


 ぼくは思わず呻く。

 こっちにも面倒な政治家がいたとは……この展開はちょっと困った。わざわざルルムの里を飛び出した意味がない。


 答えに迷っていた、その時。

 ぼくらのやりとりをじっと見ていたリゾレラが、アトス王へと歩み寄ると、その手を取った。


「行くの」

「……!?」


 と、そのまま引っ張り始める。


「わ、わ……!」


 引っ張られるアトス王は、困惑したように傍らにいた銀の悪魔の手を掴んだ。

 そのまま、二人してリゾレラに引っ張られていく。


「あなたも、さっさと行くの」


 と言って、リゾレラは空いている方の手でぼくの手を掴んだ。

 意図が飲み込めないまま、ぼくも引っ張られていく。


 そして、出入り口を塞ぐ肥えた悪魔をキッと見上げ、リゾレラは告げた。


「どくの」

「……これはどのようなおつもりですかな、リゾレラ様。我らが王を、連れて行かれては困るのですが」

「魔王様は、すべての種族の王が一同に会することをお望みなの」

「えっ」

「……ほう」

「だから、これは必要なことなの。ね?」


 急に同意を求められたぼくは、しどろもどろに答える。


「……ええと……そうだった、気がしてきたような……」

「なるほど。しかし、困りますな」


 肥えた悪魔が、顎をさすりながら言う。


「王がどことも知れぬ場所へ、臣下も伴わずに向かうなど言語道断。いくら魔王様がお望みとはいえ、認めるわけにはいきませんな」

「あなたは認めざるを得ないの」

「ほう。なぜですかな」

「認めないなら――――」


 そこでリゾレラは、試すような視線を向ける悪魔から目を逸らして、ぼくを見た。


「――――この王宮全部、ドラゴンで木っ端微塵にしちゃうの。ね、セイカ?」

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