第九話 最強の陰陽師、気を引き締める
「疲れたなぁ……」
ルルムが去った後、丘に一人残ったぼくはしみじみと呟く。
この呟きこそ、心からの感想だった。
「ずいぶんお疲れのようでございますね」
頭の上で、ユキが他人事のように言った。
ぼくは嘆息と共に答える。
「まあね……苦手なんだよな、ああいう連中。陰陽寮にいた頃を思い出したよ」
「官人だった頃のセイカさまを、ユキは存じ上げないのですが……あのような立場の者たちを相手にするほど、高い地位にいたのでございますか?」
「いや……」
ぼくは苦笑と共に否定する。
「所詮は陰陽師だからな、ただの役人だよ。仕事も、
「ならばなぜ……」
「どうしてもお偉方と関わらなきゃいけない時もあるんだ。ぼくは多少目立っていたから、余計にな」
帝へのお目通りを許されていた、殿上人のご機嫌を取る機会もあった。
ぼくが出世した先にはこんなのばかりいるのかと、絶望したことを覚えている。
「まあ、あいつらに比べれば……ここの連中は、まだマシかもな。都ほどドロドロした政争がないのか、どこか素朴な感じがしなくもない」
「それはようございましたが」
ユキが言う。
その声音は、小言を言う時のものになっていた。
「ただ、少々深入りのしすぎではございませんか?」
「……」
「以前、お心のままになさればいいと申し上げたのはユキでございますが、
「そうは言ってもな……」
「もしや、以前にユキが政治家の素質があると申し上げたのを真に受けられたのですか? あれは嘘ではございませんが、しかし額面通りに受け取られると少々……」
「んなわけあるか。これは仕方なくだ」
ぼくは顔をしかめて言う。
「ぼくだって本当はこんなことしたくないけど……逃げるわけにもいかない。何せ、騒動の中心がぼくなんだから」
「セイカさまはやはり、ご自分が魔王だとお考えで?」
「……可能性は高い、と思っている」
「ならばきっと、そうなのでございましょう。ユキも、セイカさまの転生体が特別なものであることは当然のように思えます。しかし……」
ユキは、変わらない口調で言う。
「だからと言って、ここまで魔王として振る舞う必要はなかったのではございませんか?」
「……」
「初め、セイカさまを魔王と呼んだのはあの巫女の娘だけだったはず。あの時点で、娘の一人くらい誤魔化す方法はいくらでもあったのでは? そのまま遠い地に移って偽の名で過ごしていれば、いくら彼らが魔王を求めているとはいえ、追っ手がつくことはまずなかったように思えますが」
「……それは……」
ユキに言われ、ぼくは自分の行動を思い出しながら呟く。
「確かに……魔族領に訪れる必要は、必ずしもなかったかもしれないな。行くと言い張って聞かなかったとはいえ、こんな場所にアミュを連れてきてしまったのも、思えば軽率だったし……」
言いながら、段々自分の選択に自信がなくなってきた。言い訳のように続ける。
「……まあ、魔族のことをよく知らないままでいるのも気持ち悪かったから、いい機会だと思ってしまったんだよな……。それにルルムたちを放っておくのも、なんか抵抗があったから……」
「それが一番の理由にございましょう」
ぼくは、頭の上にいるユキを見上げた。
ここからでは、揺れる鼻先しか視界に入らなかったが。
「彼らの事情を知って、捨て置く気になれなかったのでございましょう? セイカさまは前世から、人との縁を大事になさっていましたから」
「……そうだったか? 別に、普通だったと思うけど……」
「いいえ、そうではございませんでした。ユキにはわかります」
「……」
少なくとも自覚はない。
まあ、所詮は
とはいえ。
ユキの指摘に、ぼくはだんだんと後悔の念が湧き上がってきた。
「ただそれなら……やっぱり、安易に魔族領へ来たのは失敗だったかもな……。今生では目立たないよう狡猾に生きると決めたはずだったのに、なんだか最近は真逆の方向に進んでいる気がする……」
「いえ、ユキはこれでいいと思います」
ユキの言葉に、ぼくは思わず目を瞬かせた。
「はあ?」
「セイカさまのなされたいようになさるのが、一番だとユキは思います」
「……じゃあお前、さっきの小言はなんだったんだ?」
「一応、申し上げただけでございます。聞き入れるも聞き入れぬも、セイカさまのお好きになされますよう」
「なんだそりゃ……」
ぼくは思わず気の抜けた声を出してしまう。
前世から小言はたまに言われていたが……ユキのこんな物言いは珍しい気がした。
転生してからはちょくちょくやらかしているし、もしかしたら呆れられているのかもしれない。
「しかし一つ、ユキはお訊きしたいのですが……セイカさまはどこを目指しておられるのですか?」
ユキが問いかけてくる。
「てっきりユキは、戦争を避けようとなさるものだと思っておりましたが……どうもそうではないご様子。ならばここから、どうなさるおつもりで?」
「ルルムにも言った通りだよ。ぼくが望んでいるのは、彼らが意思を統一することだ。それが開戦か現状維持かはこの際問題にしない」
「……? しかし、開戦となってしまっては……」
「ルルムの目論見は叶わないな。だが、ぼくも自分を犠牲にしてまで他人の望みを優先するつもりはない」
ぼくは丘の下に広がる、神魔の里を見下ろしながら言う。
「彼らと穏便に距離を置くには、魔族にとって魔王が不要な存在となればいい。魔王は所詮、魔族軍結成の旗手でしかないからな。彼らがまとまってしまえば、ぼくはもう実質的に用済みになる」
伝承でも、魔王が自ら戦っている場面はほとんど描写されていない。
せいぜい勇者との決戦時くらいのもので、あとは基本的に玉座に座っているだけだった。指揮を執るわけでもないので、別にいなくてもいい。
さらに言えば、過去と比べ人口が増えたおかげで、勇者と魔王は戦力的にも大きなものではなくなっている……と以前にフィオナが言っていたが、この事実はちゃんと魔族側も理解しているようだった。
ならばなおのこと、ぼくの必要性は薄くなる。
「これだけの勢力同士がぶつかるんだ、戦争だってどうせほどほどのところで終わるさ。今までずっとそうだったんだからな。まあ、さすがに帝国に帰ると言えば引き留められはしそうだけど……そこは時機を見計らうとかしてなんとかするよ。それで大丈夫だろう」
「うーん、そうでございますか……?」
いい考えだと思っていたのだが、ユキは微妙そうに言う。
「いろいろと無理があるような……というより、そんな状況を狙うのならやはり最初から来ない方がよかったかと……」
「言うな。もう来ちゃったんだから仕方ないだろ」
「おっしゃるとおりではございますが……」
ユキは渋い声音で一度言葉を切る。
「……もういっそ、あきらめてこちらに移住し、魔王として過ごされるのはいかがでしょう。勇者の娘も追っ手に怯える必要がなくなり、よいではありませんか」
「その選択肢はない。ここはそもそも、人間の住まう地ではない異界だ。異界で長く過ごせば、人は取り込まれる」
「それはかの世界での話でございましょう。ここは普通の集落のようですし、こちらの魔族は物の怪よりも人間に近いように思えますが」
「……なんとなくぼくが気になるんだよ。陰陽師としての性分かもな。それに……」
ぼくはわずかにためらった後に言う。
「……寿命が異なる者たちと過ごすのは、辛いことも多い。あの子らもそうだが……ここの連中にとっても」
「……おっしゃるとおりでございますね」
ユキも思うところがあったのか、そんな風に短く呟いただけだった。
ユキは気を取り直したかのように話を続ける。
「うむむ、確かにここまで来てしまった以上は、セイカさまのおっしゃる方法以外にないようでございますが……そううまくいくでしょうか?」
「ま、やるしかないだろう」
ぼくはそう、前向きな口調で言う。
「あの連中もそう遠くないうちに、互いの事情に折り合いを付けて結論を出すはずだ。そこへどう乗り、どう誘導していくか……勝負はそこからだな」
臨機応変な対応が求められる。
あらためて気を引き締めなければ。
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