第三話 最強の陰陽師、依頼を選ぶ
アミュに連れられてやってきたのは、ギルドの片隅に掲げられた、古びた大きな掲示板の前だった。
ところどころに、何やら書かれた茶色い紙がぽつぽつとピン留めされている。
「ギルドには依頼を出すこともできるのよ」
アミュが説明する。
「それがこうやって貼り出されるから、冒険者は気に入った依頼があれば受注して、達成したらギルドから報酬を受け取るの。失敗したら銅貨一枚ももらえないけどね」
「へぇ。こんな場所があること自体知らなかったな」
「ラカナで依頼を受ける冒険者は、そんなにいないでしょうね。近くに大きなダンジョンがあるなら、そっちでモンスターを倒して素材を取る方が儲かるから」
どうりで、今まで誰かから掲示板の話は聞いたことがなかったわけだ。
アミュが続ける。
「ダンジョンは自然のものだから、ギルドで立ち入りの制限でもしていない限りは誰でも潜れるけど、依頼は等級が高くないと受けられないことも多いわ。報酬がいいものだと特にね。ラカナにいれば等級はあまり気にしなくてもいいけど、余所の街だと生活に直結したりもするわね」
「じゃ、五級ってどうなの。アミュ」
メイベルが訊ねると、アミュは少し悩んで答える。
「うーん、普通くらいね。選ばなければ仕事に困ることはないわ」
「そう」
「ね、依頼ってどんなのがあるの?」
「なんでもあるわよ。本当になんでも」
イーファの質問に、アミュが思い出すように答えていく。
「簡単なのだと、薬草を取ってくるとか、鉱石を取ってくるとか。他には商隊の護衛とか、変わったところでは失せ物探しとかもあるわね。冒険者への報酬とギルドへの掲載料を用意しないといけないから、あんまり安い仕事にはならないけど」
「そうか……そういえば地下水道のスライム退治を駆け出しの冒険者がよくやっていると言うけど、あれも街の参事会からの依頼になるのか」
「そうね。でもああいうのはいつも募集してるから、ダンジョンとあまり変わらないわ。他には……学園の入学式でデーモンが出た後、しばらく警備のために冒険者がうろついてたじゃない? あれも学園が、ロドネアの支部に依頼を出して雇ってたんだと思うわよ」
なるほど。意外とこれまでにも関わりがあったわけか。
アミュが続けて言う。
「でも、多いのはやっぱりモンスター退治の依頼ね」
「素材を取ってきてほしいってことか?」
「それもあるけど、単に村や街道の近くに出て危ないとか、森のモンスターを定期的に減らしてほしいってのも多いわね。そういうのは、村や街の代表が依頼してくるわ」
「ふうん」
「ここには……」
アミュが掲示板に貼られた紙を眺めていく。
「あんまり、普通の依頼はないみたいね。近くのモンスターは冒険者が倒しちゃうし、薬草も鉱石も、頼まれなくても取ってきて売りに出しちゃうからかしら。あるのは遠方の、報酬が高い依頼ばっかり。この辺は全部、余所の支部に出された依頼の写しね。達成が難しい依頼は、他の街でも掲載されることがあるから」
「どれどれ……」
ぼくも依頼の書かれた紙に目をやる。
確かに、どれも遠い場所の依頼ばかりだった。馬車で行くような距離だ。報酬も高いが、その分難易度の高そうな内容が多い。
「この、五級以上とか四級以上とか書いてあるのが、依頼を受けられる資格か」
「そうよ。受ける人が条件を満たしてないと、ギルドから詳しい依頼内容を聞けないことになってるのよ」
「人数とか、パーティーメンバーの等級は問わないのか?」
「依頼を受けてから人を集めたりもするから、普通はギルドもそこまで口を出してこないわね。でも、冒険者はだいたい同じくらいの等級同士で固まるものよ」
「まあそうだろうな」
「ねぇねぇ」
その時、イーファが掲示板を指さしながら、いいことを思いついたような顔で言った。
「わたしたちで、どれか一つ受けてみるの、どうかな……!」
「ん。やってみたい」
と、メイベルもうなずく。
イーファもメイベルも、こう見えて意外と行動的なところがある。スタンピード以降はダンジョンへ行くこともなくずっとラカナに籠もりきりだったから、退屈しているのかもしれない。
ただ、ぼくは当然に難色を示す。
「ラカナから離れるのか……」
ここのところ何もなさすぎて忘れそうになるが、ぼくらは帝城を破壊して逃げてきた罪人の身なのだ。
まあぼくらはというか、帝城を破壊したのはぼくで、逃げてるのはアミュだけなんだけど……せっかくフィオナが用意してくれた亡命の地から離れるというのは、いくら何でも平和ボケしすぎている気もする。
二人には申し訳ないが、やめておくべきだろう。
「ねぇ、あんたそういえば、フィオナから手紙をもらってたわよね」
反対だと言う前に、アミュがそんなことを訊いてきた。
「ああ、もらったけど」
「そこに、その……追っ手のこととか、書いてあった?」
少し不安そうな表情で訊ねるアミュ。
一瞬面食らった後、ぼくは素直に答える。
「いや。そういうのはなかったな」
「そう」
ほっとしたように呟いてから、アミュが笑って言う。
「じゃあ、大丈夫じゃないかしら。あたしも、そろそろまた冒険に出てみたいわ」
その言葉に、ぼくは考え込む。
なるほど。宮廷や有力者の間でそのような動きがあれば、当然フィオナもそれを伝えようとしてくるはずか。まったく触れてもいないなら……少なくともフィオナが感知できるような動きは、今のところないことになる。
それなら、少しくらい平気か。
「……そうだな。あまり遠すぎない場所の依頼なら、受けてみてもいいか」
ぼくがそう言うと、イーファが顔を明るくする。
「やった! どれにしよっかぁ、メイベルちゃん」
「ん……」
掲示板の紙を見比べてああでもないこうでもないと言い出した彼女らを、ぼくは一歩後ろから眺める。
「実はここにある依頼なら、ほとんどどれでも受けられるのよね。セイカが一級だから」
「じゃあ、これ?」
と言って、メイベルが掲示板の左上隅に貼られていた色褪せた紙を指さした。
そちらに目をやる。
「えっと、依頼内容は……『冥鉱山脈に棲む、ヒュドラの討伐』、って」
なかなか重たいのきたな。ヒュドラと言えば、亜竜の中でもかなり剣呑な種だ。
しかも距離はともかく、結構な秘境ときている。
「これが一番、報酬が高い」
「わ、ほんとだ……受注資格、二級以上の冒険者だって。でもセイカくんなら受けられちゃうんだね……」
「えー、ダメよこんなの」
アミュが顔をしかめて反対する。
「あたしたちの手に負えないわ」
「うん、そうだよね……」
「言ってみただけ」
「え、別にいいんじゃないか? 倒そうと思えば倒せるぞ」
前なら目立つからと避けていただろうが、化け物ワームを倒してスタンピードを収めてしまった以上、亜竜の一匹や二匹を追加で討伐したところでもう関係ない。
だが、アミュは怒ったように言う。
「ヒュドラをぶっ飛ばして死骸を街に運ぶまで、全部あんた一人でやることになるじゃない。あたしたちはなにするのよ? ついていくだけ?」
「あー、確かに……」
「そうだよセイカくん。みんなでできる依頼にしないと」
「セイカは
そういえば、そんな取り決めだった。
このパーティーで、ぼくは
三人で掲示板を前に話し出す三人を、ぼくは黙って見つめる。
「人とは不思議なものでございます」
ふと、耳元でユキがささやいた。
「世界は違えど……人の子は皆、ひとりでにセイカさまの手から離れていこうとするのでございますね。滅ぶことのない、大きな力に庇護されていながら、それに頼ることなく、自分の力でこの酷な世を生きようとする……ユキには、理解できぬことでございます」
「……」
きっとユキは、前世の弟子たちのことを思い出しているのだろう。
ぼくが面倒を見ていた弟子たちは、最終的には皆、ぼくの屋敷から巣立っていった。彼彼女らは様々な一生を送ったが、一人の例外もなく、終生まで面倒を見てくれと言ってきた者はいなかった。
親元から離れようとするのは、人の本能だ。
たとえ寿命を超越し、常ならざる力を持っていたぼくに対しても、それは変わらないらしい。
だけどそれは、たぶん正しいのだ。
ユキにも聞こえるかわからないくらいの声量で、ぼくは呟く。
「滅びのない存在などないさ」
現にかの世界で、ぼくは倒されてしまった。
永遠の命を手にし、神すらも恐れさせた大陰陽師でさえ、滅びの定めからは逃れられなかった。
いつまでもぼくの力に頼れないと悟っているからこそ、あの子らも自分の力で生きていこうとするのだろう。
それはもう、明察と言うほかない。
「あ、これなんかどうかな?」
その時、イーファが一枚の紙を指さした。
皆と一緒に、ぼくも近寄ってそれを覗き込む。
「なになに……『アルミラージの討伐:五十匹』、か」
アルミラージとは、頭に角の生えた兎のモンスターだ。
兎のくせに凶暴で、人間を見ると襲ってくる性質がある。
「わ、報酬高っ。場所は……ケルツの近くの森みたいね。これならそんなに遠くないわ」
「どこ、それ」
「ここから北の方にある、けっこう大きな街よ。馬車で三日くらいの」
「受注資格、五級以上だって。わたしたちでも大丈夫そうだね」
「こんなのでいいのか?」
ぼくは思わず口を挟む。
アルミラージは決して雑魚ではないが、とはいえ強敵とも言えないモンスターだ。
五十匹はなかなかの数だが、上位モンスターでも倒せるこの子らには物足りない依頼に思える。
「近場でももっと歯ごたえのありそうなやつがあるぞ。このヒュージボアの討伐とか、イビルトレントの討伐とか……そっちの、朱金草の採取っていうのもおもしろいかもしれない。かなり希少な薬草みたいだ」
「えー、大変そうだよ」
「気分じゃない」
「お金には困ってないんだし、慣れない土地なんだから簡単な依頼でいいわよ。適当に角ウサギ狩って、あとはケルツでゆっくりして帰りましょ」
全員から反対されてしまった。
どうやらこの子らとしては、そこまで本気で冒険に行くつもりではなかったらしい。
しかしぼくは、依頼用紙を指さして言う。
「でもこの依頼、六人以上推奨って書いてあるぞ」
「ああそれは、あんまり気にしなくていいわ」
アミュが大したことないように言う。
「こういうのはギルドの職員が決めてるんだけど、実際に冒険者やったことのある人は少ないから、正直あてにならないのよ。それより依頼内容を見て、自分で考えるべきね」
「ふうん。この依頼は四人で大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃない? アルミラージだし、危険はないわ。五十匹は多いけど、きっと一日で終わるわよ」
「それなら、まあいいか」
彼女らが言い出したことだし、任せてみよう。
「アミュちゃん。この依頼をどうすればいいの?」
「これはケルツの支部に来た依頼だから、ここだと正式に受けられないのよね。だから……」
アミュが今後の流れを説明していく。
こうしてぼくたちは、一つの依頼を受けることとなった。
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