第十九話 最強の陰陽師、援護する
東側の城壁は、今最も苛烈な戦場となっていた。
ポイズンラーバやヘルアントのような壁面を登る虫型モンスターが多く、明らかに手が足りていない。何度か乗り越えられては、剣や鎚を持った冒険者が慌てて撃退している危うさがあった。
「くそっ、魔力切れを起こす魔術師が出始めている……! 弓を扱える者は登ってくるモンスターの対処に回ってくれ! それと、市長に魔術師の増援要請を……っ」
邪魔にならないよう城壁塔の屋根に転移したぼくは、パーティーメンバーへ指示を飛ばすロイドへと声をかける。
「戦況はどうです?」
「うわっ、ランプローグ君!? は……はは、さすが市長だな。増援が早すぎる」
「まだ冗談を言えるくらいの余裕はあるようですね」
「まあ、ね。だがそれももうすぐ……品切れになりそうだよ」
「なるほど」
《火土の相――――鬼火の術》
青い火球が、城壁の天辺に足をかけていた蟻型モンスターにぶち当たり、赤黒い体を下まで叩き落とす。
冒険者たちがぼくの術に驚く様子はない。他に上がってきていた二体への対処で手一杯なのだ。
ロイドが力なく笑う。
「君が来てくれて心強いよ。これで、もうしばらくは持ちこたえられそうだ」
「それは光栄ですね。じゃあひとまず、壁の掃除でもしましょうか」
「……?」
不可視にしていた何枚ものヒトガタを、長く伸びる城壁の各所へ均等に配置していく。
この術をここまで大規模に使うことは初めてだ。加減を間違えないようにしなければ。
城壁を登るモンスターの群れを見据えながら、手元で印を結ぶ。
小さく真言を唱える。
《陽木火の相――――
圧倒的な炎が、広い城壁を滝のように流れ落ちた。
膨大な量の火炎は、壁面に取り付いていたモンスターをすべて飲み込み、大地へと流れて緋色の海原を作っていく。
すさまじい熱気が、城壁の上にまで押し寄せていた。
真下で燃え尽きていくモンスターの群れを、顔を出して見ることすら難しい。
周囲の冒険者たちと共に言葉を失っているロイドへ、ぼくは言う。
「城を攻めてくる相手に、煮え油を浴びせるのは定石でしょう? それに火が付いていればなおよし、です」
《
こんな単純な熱と質量が、多勢相手には何より有効となる。
「溶かした金属でもよかったんですが、城壁が傷みそうでしたからね。ここまで立派な城壁だと、修理するのも大変でしょう」
「は、はは……すごいな……まさか君は、これほどの……」
「しばらく燃えていると思うので、モンスターがまた城壁を登ってこられるようになるには時間がかかるでしょう。余所の様子も見てきたいんですが、ここは任せても?」
ロイドが、いくらか余裕の戻った顔でうなずいた。
「ああ……助かった。任せてくれ」
「では」
そう言うとぼくは、南の城壁を見ていた式神と、自分の位置を入れ替える。
****
南側の城壁には、壁を登ってくるモンスターは少なかった。
だが代わりに、飛行能力を持つモンスターが多く、城壁の冒険者たちは止めどない強襲に晒されていた。
中には数人がかりでの対処が必須な、上位のモンスターも混じっている。
そのうちの一つ、ソードガーゴイルを戦斧で粉砕したザムルグへ、ぼくは話しかける。
「苦戦しているようですね」
「っ!? お前かよ、脅かしやがって……」
「手伝いに来ました。そろそろ助けが必要かと思いまして」
「はっ、んなもんいるか……と言いたいところだが、虚勢を張ってもいられねぇ状況だな」
南の城壁で戦う冒険者は、明け方から目に見えて少なくなっていた。
城壁塔には負傷者がひしめき、数少ない
いくら空を飛んでくるモンスターが多いと言えど、実力者が揃っていることを考えると異常な損耗だ。
「あれだ」
ザムルグが、モンスターの攻めてくるはるか向こうを見据える。
視線の先には、一体のモンスターがいた。
でかい。大きさだけならばドラゴンにも迫るだろう。獅子の頭に、魚の尾が二本。背には蝙蝠の羽が六枚ついている。
それは、巨大になりすぎたキメラのようだった。
ぼくは目を眇める。
ずいぶんと不自然な力の流れだ。尋常なモンスターとは思えない。これも龍脈の影響か。
ザムルグが顔を歪ませて言う。
「あんなキメラは見たことも聞いたこともねぇ。でかすぎてまともに飛ぶことも歩くこともできねぇのか、ずっとあそこに居座ってやがる。気味の悪ぃやつだ」
「かといって無害、というわけでもなさそうですね」
「ああ、あいつは……っ!? 来るぞ!」
ザムルグが叫ぶと、城壁の冒険者たちが一斉に身構える。
キメラの獅子頭が、その
「グオ゛オオオオォォォ――――――ゥゥッ!!」
その衝撃は、一瞬の後に城壁の上を吹き荒れた。
おぞましい重低音の響きが、体の芯までをも震わせるような感覚。
存在の格が違うかのような圧力に、誰もが
当然、それはただの鳴き声に過ぎない。
傷つくことも、自由を奪われることもない。
だが――――キメラの威圧を受けた冒険者たちは、明らかに動きが鈍くなっているようだった。先ほどまで優位に立ち回っていたモンスターに対しても、うまく対応できないでいる。
耳を塞いでいたザムルグが、忌々しげに吐き捨てる。
「チッ、あの
「なるほど」
南の城壁が苦戦を強いられているのは、あの異常なキメラの
あれはなんとかする必要がある。
もちろん、ちょっと転移してぶっ飛ばしてくるのは簡単だが……そこまでの手間をかける必要もない。
「あの
「あァ? 何……」
ヒトガタを浮かべ、印を組む。
《召命――――
空間の歪みから、小柄な妖怪が城壁塔の屋根へと降り立つ。
黒い毛並みの、犬とも猿ともつかない姿。首をかしげ、ぎょろりとした目でぼくを見つめている。
ぼくは、キメラの方を指さして言う。
「向こうを向け」
妖は一拍置いて口を開き、ぼくと寸分違わぬ声音で言う。
「【向こうを向け】」
「黙れ。いいから向こうを向け。次にぼくの真似をしたら殺すぞ」
「……」
ぼくはザムルグへと顔を戻す。
「ええと、これで大丈夫です」
「……おい」
ザムルグは、すでにぼくのことなど見ていなかった。
顎を開きかけていたキメラを見据え、叫ぶ。
「また来るぞッ!」
「グオ゛オオオオォォォ――――――ゥゥッ!!」
キメラの
冒険者たちが竦み上がる城壁の上で、ぼくは
恐ろしい咆哮を聴いた妖怪は、だが平然とかしげていた首を戻し……その小さな口を開く。
「【グオ゛オオオオォォォ――――――ゥゥッ!!】」
寸分違わぬ
空を舞っていたモンスターたちが、前後不覚になったかのように次々と墜ちていく。
あの巨大なキメラすらも、おののいたように数歩後ずさっていた。
子供にもやられるくらい弱いが、その特性のためか音に対する物怖じはまったくしない。鬼の声だろうと龍の咆哮だろうと、聞こえれば関係なく叫び返す。
冒険者たちが呆然と固まっている中、ぼくはザムルグへと言う。
「これ、ぼくがテイムしているモンスターです。
「は……
「置いていくので、あとは頼みます。あ、こいつかなり弱いので、他のモンスターにやられないよう守ってやってくださいね」
「わ、わかった……」
「では」
転移のヒトガタを使おうとしたその時、ザムルグがぼくを呼んだ。
「おい、セイカ・ランプローグ!」
「え?」
「全部片付いたら……飲み比べだ。忘れんなよ」
ぼくは鼻で笑って答える。
「ええ。ではまた酒宴の席で」
そして、北の城壁を見ていた式神と、自分の位置を入れ替えた。
――――――――――――――――――
※燈瀑布の術
高温に熱した植物油に火をつけて放つ術。十一世紀に使われていた灯油としては、ヨーロッパではオリーブ油が、日本では荏胡麻からとれる荏油が主流だった。なお、一般的な植物油の引火点は三百度前後であり、あらかじめそこまで加熱しておかないと火がつかない。
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