第十六話 最強の陰陽師、慌てる


 ザムルグの宣言通り、その日はそのまま酒宴の流れとなった。

 本来であれば、あれだけのボスモンスターを解体し、素材を街まで運ぶには大人数でも一日以上かかる。

 しかし、ぼくが死骸を丸ごと位相に仕舞ってしまえば話は別だ。

 どうやらザムルグは、ぼくが容量無限のアイテムボックスを持っているという噂を聴き、帰りのことまで考えて勧誘したらしい。

 まったく周到な男だ。


 というわけでぼくは今、ザムルグの討伐パーティーの面々と一緒にギルドの酒場にいる。


 ちなみに、大金が入ったのだからもっといい店にしようという当然の提案は、ラカナにはギルド以上に大きな酒場がなく、全員で騒ぐと迷惑がかかるというまともすぎる理由でザムルグが却下していた。

 実は小心者なんじゃないかという疑惑が、ぼくの中に生まれている。

 荒くれ者の冒険者らしい振る舞いは、ひょっとしたらそういう役割を演じているだけなのかもしれない。


「遠慮するなお前らぁッ! 好きなだけ飲め! おい酒が足りねぇぞ! どんどん持ってこい!!」

「ヒューッ! リーダー!」

「亜竜殺しの英雄、ザムルグに乾杯だ!」


 それはそれとして、うるさい。

 喧噪から離れたテーブルで一人、黙々と杯を空けるぼく。

 まったく、どうしてこんなことになってしまったのか。


 あのエンシェントワイバーンは、どうやら本当にボスだったようで……予想通り、下山する際に遭遇するモンスターは激減していた。

 ロドネアの地下ダンジョンの時と同じだ。

 核が失われれば、ダンジョンは力を失う。


 獣に近いと言えど、モンスターは化生の類だ。

 自然に生きていたものを除いて、ダンジョンという異界の力にすがって存在していたモンスターたちは、ボスの討伐と同時に死に絶えてしまったのだろう。


 やはりボスが、核に近い役割を果たしていたのだ。

 ぼくの仮説が証明されたわけだが……それだけにまずい状況だ。

 これで龍穴代わりになっているボスモンスターは、残すところ東の山の一体を残すのみとなってしまった。

 何も起こらなければいいが……。


「お兄ちゃん!」


 と、その時。

 喧噪の中、甲高い子供の声が、傍らから聞こえた。


 ふと目をやると、そこにいたのは五、六歳くらいの白い半森人ハーフエルフ。いつか見たエイクの甥っ子、ティオだ。

 冒険者たちがひしめく酒場の一角に、すました顔で突っ立っている。

 なんでこんな場所にいるのかわからなかったが……とりあえず、ぼくは笑いかけてみる。


「どうした、坊や」

「はい」


 と言って、ガラスの小瓶を手渡された。

 不思議に思いながらも素直に受け取る。中に詰まっているのは……どうやら、砂糖菓子であるようだった。

 少量ではあるが、嗜好品としては高級な部類だろう。

 ぼくはティオへ訊ねる。


「これは?」

「お祝い」

「えっ」

「おー、なんだ、ここにいたのか」


 という声と共に人混みをかき分けてやって来たのは、ラカナの卸商おろししょう、エイクだった。


「おじちゃん、おそい!」

「お前はまた勝手にいなくなるなよ……」


 困ったようにそう言って、エイクがティオの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 それから、ぼくへと向き直って言う。


「聞いたぞ、ランプローグの坊ちゃん。南のボスモンスターを倒したんだってな。あんたならやるんじゃないかと、俺は思ってたぜ」

「はあ……」

「そいつは今回の祝いと……あとは、この間の礼だ」

「礼?」

「ティオと遊んでくれただろう」

「それは、アミュたちで……ぼくは何も」

「そうか? それなら、あの子らにも分けてやってくれ」


 エイクが、ティオの頭に手を置いて言う。


「こいつの両親は、夫婦揃って冒険者でな。泊まりがけでダンジョンへ行くことも多いから、よくこうして預かってるんだが……俺も普段は仕事があるせいで、あまりかまえていないんだ。しかもこいつ、妹に似たのか喧嘩っ早くてなぁ。見た目のせいもあるのか、子供らの間では浮いてるみたいで……だから、また遊んでもらえるか?」

「それは……いいですけど……」

「頼んだぜ。あの子らにもよろしくな」

「お姉ちゃんに、また勝負しよって言っといて!」


 ぼくは少し笑って、ティオへと視線を落とし、答える。


「はは、わかったよ。お姉ちゃんに伝えとく」


 去って行く二人の後ろ姿を眺める。

 小瓶の砂糖菓子を一つ摘まみ、口へと運んだ。高級品なだけあって、甘い。昔天竺てんじくで食べた砂糖菓子よりも、ずっと上品な味だった。

 麦酒の杯を傾ける。やはり、酒には少々合わない。


「辛気くせぇやつだな、セイカ・ランプローグ。こんなところで飲んでやがるのか」


 唐突に、近くの席へザムルグがどっかと座った。

 ぼくは小瓶を仕舞い、大男を横目に見て言う。


「怪我の具合はよさそうですね。でも、酒は控えた方がいいと思いますよ」

「これくらいの怪我がなんだ。勝利の美酒が一番うまいのは今夜じゃねぇか。飲まねぇやつは冒険者じゃねぇ」


 と言って、酒杯を呷る。

 今回のボス戦唯一の負傷者と言えるのが足を折ったザムルグだったが、神官の治癒魔法ですでに治療は済んでいた。とはいえ、まだ全快とはいかないはずだ。やせ我慢だろう。


「はっ、それにしてもお前、まさかあれほど光属性魔法に通じていたとはな。解呪の結界に、ワイバーンを墜としたあの魔法……俺様でも聞いたことがねぇ。ランプローグ家の秘伝か何かか? なんでもいいが、やはり俺様の見立ては正しかった。お前がこの冒険の一番の功労者だ」

「……」

「そういや噂で聞いたぞ。こっちも相当いける口らしいな。どうだ、飲み比べでもするか?」

「……暢気なものですね」

「あ?」

「あなたも、気づいているはずでしょう。南の山は死んだ。あのボスモンスターが核だった。これで、ラカナが得られる富は大きく損なわれることになる。少なくない冒険者が、生活に困ることになるでしょう」

「はっ、心配ねぇよ」


 と言って、ザムルグは再び酒杯を呷る。


「ボスモンスターが倒されたことは大昔にもあった。その時もこうして、一時的にモンスターが減ったらしい。だがな、一年と経たないうちに元に戻ったそうだ。どの山でもな。ここはそういう場所なんだよ」


 ザムルグは、まるでそう聞かれることを予期していたように続ける。


「それにモンスターの消えた山でも、稼ぐ方法はいくらでもある。これまで危険なモンスターが巣くっていて行けなかった場所にだって行けるようになったんだ。希少な鉱物の採掘に、珍しい薬草の採取。ダンジョンが復活した時を見越して、詳細な地形図を作ったっていい。目端の利く連中はすでに動き出している頃だろう。こういう時、強欲なやつらは強いぞ……そしてダンジョンが復活した時、この街はますます力を付けることになる」


 ザムルグは再び酒杯を呷る。


「もっとも、腕っ節ばかりで不器用なやつだっている。そういうやつらにゃ、ギルドが小麦の配給でもすりゃあいい」

「収入の減ったギルドに、そこまで面倒を見る余裕があると?」

「エンシェントワイバーンの死骸を一匹丸ごとくれてやれば、財源としちゃあ十分だろう」

「……!」

「あのレベルの素材なら、一体で途方もない値が付く……。ギルドとしても、腕の立つ冒険者が減るのは困るはずだ。あとは俺様が一言言い添えてやれば、その通りになるだろうさ」

「……そしてギルドと街の冒険者に恩を売り、亜竜殺しの栄誉まで得たあなたは、ますますラカナでの影響力を増す……と、そういうことですか」

「はっ、そこまで考えちゃいねぇさ。俺様はただ、力と名誉を求めるだけだ。冒険者らしくな……だが、そうだな。結果的に……そうなっちまうだろうなぁ」


 そう言って、ザムルグは笑う。

 その笑みは、前世でも何度か見た、謀略家の浮かべるそれに似ていた。


 ザムルグという冒険者の、一体どこまでが本当なんだろう。


 ぼくは、とりあえず舌先だけの返答を返す。


「……まあ何にせよ、食い扶持を得る方法はありそうで安心しました。ただ、東の山のダンジョン探索や地下水道のスライム退治の仕事は、しばらく取り合いになりそうですね」

「ああ、東の山な」


 ザムルグが怠そうに言う。


「あっちも、長くは持たねぇだろうな」

「……は?」


 不吉な言葉に、ぼくは訊き返す。


「どういう意味です」

「どういう意味も何もねぇだろ。ロイドの野郎がボス討伐の計画を立ててんだろうが」

「彼が……ボス討伐を成し遂げると?」


 ぼくは硬い声音で言う。


「彼には、あなたほどの力はない。あなたがぼくの助けを借りてようやく倒せるほどのモンスターを、『連樹同盟』が容易く狩れるとは思えない」


 それは今日の戦闘を終えての、ぼくの所感だった。

 ボスモンスターは思った以上に弱かったものの、それでもやはり、人が相手するには荷が重い。

 ぼくを除いたザムルグの一行が全力で立ち向かって、五分。ぼくの見立てはそんなところだ。


「容易くはねぇだろう。だが……おそらく奴はやるぞ」


 しかし、ザムルグはそう言い切る。


「あんな男だが、それでも自分のパーティーをラカナ第二位にまで育て上げた実績がある。奴がいけると踏んだなら、攻略は時間の問題だろうさ」

「……」

「確かに、腕っ節は俺様の方が上だ。だが奴は……あー、噂では帝国軍元帥の隠し子だったか? 知らねぇが、とにかくパーティーを率いる才覚がある。俺様がらしくもなく功を急いだのは、このままでは先を越される確信があったからだ。下手をすれば今日にも……」


 その時。

 酒場の入り口付近から、喧噪が聞こえてきた。

 数人の冒険者が興奮冷めやらぬ様子で、詰めていたギルド職員と話す声。


「チッ……やっぱ今日だったか。先を越したというよりは……ギリギリで間に合ったと言うべきだろうな……」


 ザムルグが、小さな声で忌々しげに呟いた。それから、口を開く。


「ロイド!!」


 突然響いた馬鹿でかい胴間声に、酒場にいた全員がザムルグを振り返る。

 それは、ギルド職員と話し込んでいた数名の冒険者も同じだった。


「……ザムルグさん」


 冒険者のうちの一人、全身が土と血に塗れたロイドが、わずかにできた静寂の中小さく呟く。


「遅かったなぁ! 俺様への祝いの言葉はなしか?」

「……聞きましたよ。おめでとうございます、ザムルグさん」


 言葉とは裏腹に、ロイドの声音には不機嫌そうな響きがあった。


「南のボスを討伐されたそうですね。その様子なら、怪我もなかったようで」

「まぁな。で……お前の方は?」

「多少は苦労しましたが、なんとか」


 ロイドが口元だけの笑みを浮かべる。


「幸い、死者も出ずに済みました。結果としては上々ですよ」

「はっ、よかったじゃねぇか。今日は俺様の奢りだ。飲んで行けよ」

「遠慮しておきますよ。残念ながら、まだまだやることがたくさんありますから」


 その時、ぼくは思わず席を立った。

 ロイドの視線がこちらを向く。


「おや……ランプローグ君。そこにいるということは、ザムルグさんが引き入れたという噂は本当だったんだね。残念だよ……少なくとも君がいたら、あの大きなアビスデーモンの死骸を今日中に街まで運べたのに」

「……ロイドさん」


 ぼくは恐る恐る口を開く。


「まさか、東のボスを……」

「ああ。確か、君には話していたはずだったね。その様子だと、本当に成功するとは思っていなかったかな?」

「一つだけ……教えてください。ボスを倒した後、ダンジョンは消滅しましたか……?」


 ロイドは一瞬目を見開いた後、うなずく。


「モンスターの数が極端に減っていたから、おそらくね。だけど心配することはない。これまでもあったことなんだ。じきに元に……ランプローグ君?」


 答えを最後まで聞く前に、ぼくはギルドの酒場を飛び出した。



****



 何度か転移まで使って、逗留中の宿へとたどり着く。

 息をつく間も惜しく、ぼくは大部屋の扉を勢いよく押し開けた。


「アミュ! イーファ! メイベル!」


 三人が驚いた様子で小さく声を上げ、目を丸くして突然入室してきたぼくを見た。

 ちょうど着替えていたタイミングだったようで全員下着姿だったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「いいか、落ち着いてよく聞いてくれ」

「セ、セセセセイカくん……っ!?」

「あ、あんたはこの場面でなんで落ち着いてるのよ!?」

「……出てって」


 毛布で体を隠したり、ベッドの陰に隠れた三人が睨んでくるが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「言いたいことはわかるが、今はそれどころじゃないんだ。なるべく早く、この街を出る必要がある」

「は、はあ?」

「……追っ手?」

「違う。もっと面倒なことだ。とにかく朝までに、荷造りを済ませてくれ」


 どれだけの猶予があるかはわからない。

 数ヶ月か、数年か、はたまた数百年か。あるいは、ぼくの心配がまったくの杞憂に終わる可能性すらある。

 だが――――その逆も、十分あり得る。

 下手をすれば、明日にも。


「馬車と食糧は、夜が明けたらぼくが調達してくる。説明は後で……」


 その時。

 街が、震えた。


「わわっ、な、なに?」

「じ、地震かしら……?」


 揺れは、すぐに収まった。

 小さな揺れだ、建物が崩れるほどじゃない。


 しかし、ぼくは慄然としていた。


 まさか……ここまで早く起こるとは。


 これは、地揺れじゃない。

 火山の噴火でもない。


 ぼくは部屋を横切って、窓を開け放つ。

 夜に薄ぼんやりと見える城壁。

 その向こうに――――たくさんの、力の気配があった。


「これが……そうなのか」


 初めて見知る現象だったが、確信があった。

 龍脈の災害が――――モンスタースタンピードが、始まったのだと。

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