第十三話 最強の陰陽師、涼む
やむを得ない形で始まった冒険者生活も、もう二月が経とうとしていた。
「あ~づ~い~」
ギルドに備え付けられた酒場の、片隅にて。
ぐったりとテーブルに突っ伏したアミュが、そう呻く。
「まだ夏前なのに、なんでこんなに暑いのよ……」
「う、うん……来月にはどうなっちゃうんだろうね、これ……」
イーファも胸元を扇ぎながら、力なく同意する。
「……」
メイベルだけはいつもの顔で果実水を
どうやら、弱っているのはこの子も同じのようだ。
アミュの言う通り、まだ本格的な夏が来ていないにもかかわらず、ここラカナでは連日猛暑が続いていた。
ダンジョンに潜る気力も失せたぼくたちは、こうして昼間からギルドでくだを巻いている始末だ。似たような冒険者たちが、周りにもちらほら見られる。
「ラカナは、周囲が山に囲まれた盆地になっているからな」
微かに柑橘の香る果実水を傾けながら、ぼくが言う。
「どうしても空気が滞留してしまうんだろう。仕方ないさ」
「あんたはなんでそんなに平然としてられるのよ」
涼しい顔のぼくを、アミュが下から睨んでくる。
「じめじめしてないからな。このくらいならまだ過ごしやすい」
日本の夏に比べたらマシだ。日差しを避けていれば我慢できないほどでもない。
アミュが信じられないように言う。
「嘘でしょ……? ランプローグ領ってそんなに暑かったの?」
「そんなことなかったよ……セイカくんの基準は、よくわかんない……」
イーファが弱々しく答える。
仕方なく、ぼくは言い訳するように言う。
「ぼく、暑いのは割と平気なんだよ。ここで雨でも降られたらさすがにうんざりするけどな……というか」
そこでふと、ぼくは付け加える。
「思ったんだが、アミュとイーファは水属性魔法が使えるだろう」
「え? う、うん」
「それがどうしたのよ」
「氷を作って、部屋を冷やしたりできないのか?」
学園で習う魔法は理論がほとんどで、あとは攻撃か、せいぜい治癒に用いるくらいのものだった。
魔道具という便利な呪物はたまに使われているものの、魔法そのものが日常生活や産業に利用されている例はあまり見たことがない。
これほどたくさんの術士がいる世界だ、もっとそういうのがあったっていい……と、思っての発言だったが。
アミュが呆れたように答える。
「あのね、これだけ暑かったら多少の氷なんてすぐ溶けるし、涼めるまで魔法使ったら魔力切れであっという間にぶっ倒れるわよ。労力使うんなら、うちわで扇いだ方がマシ」
「そうか……イーファでもダメか?」
「う、うん……あんまりお願いすると、だんだん聞いてもらえなくなってくるの。だからたぶん、ダメだと思う」
そりゃそうか。精霊の魔力だって無尽蔵じゃない。
「商会では、そういう仕事も、ちょっとやってた」
メイベルが口を挟む。
「海のある街から、生の魚を冷やして、腐らせずに運んだり……とか」
「おお、そういうのそういうの!」
「でも、必ず二人以上の魔術師を使うから、かなり高かったみたい。お金持ちの貴族が、道楽で頼むような仕事」
「ああ……そこまでしないとダメなのか。というより、意外と手広くやってたんだな、ルグローク商会……」
魔法を日常生活や産業に使う文化は、どうやらないらしい。
これだけ発展しているのに、用途がモンスター退治と貴族の権威付けだけというのももったいない気がするが、転用が難しいのだろう。
となると、やっぱり今はがまんするしかないな。
「まあ聞いたところによると、真夏でもここまで暑い日は珍しいそうだ。数日もすれば落ち着くだろう」
「今があづいのよぉ~」
「……はあ、仕方ないな」
さすがに、体調を崩されでもしたら困る。
ぼくは懐から数枚のヒトガタを取り出すと、宙に放った。
軽く印を結ぶ。
ほどなくすると、陰の気が周囲の熱を奪い、辺りに冷気が立ちこめ始めた。
「……え、涼しい!?」
「わっ、これセイカくんが!?」
「すごい」
女性陣がきゃっきゃとはしゃぎ出したので、ぼくは一応言っておく。
「ちょっとだけだからな。あんまりこれに頼りすぎると体が弱くなる」
「あっはっは! 最高!」
「セイカくんありがとう! やっぱりセイカくんはすごいんだね!」
「ここで寝たい。寝てもいい?」
「いきなり元気になるなよ」
さっきまでぐったりしていた生き物とは思えない豹変ぶりだった。全然元気じゃないか、この子ら。
「あら、みなさん。どうしましたか? 何か……」
ぼくが呆れた目で三人を見ていると、騒ぎを聞きつけたのか、通りがかったギルド職員が寄ってきた。
いつかの買い取り窓口にいた若い受付嬢だ。弁償のやり取りなどしているうちにすっかり顔見知りになり、アイリアという名だと知った。
「え、ええっ!? ここの周り、どうしてこんなに涼しいんですか!?」
テーブルに近づいたアイリアが、口元に手を当てて驚く。
「いやその……」
「セイカが涼しくしてるのよ」
「セイカさんが? はぁ~……やはりすばらしい魔法の才をお持ちなのですね」
アイリアはそう言ったまま、テーブルのそばから動かない。
どこかに行くところじゃなかったのか……?
「アイリア? そんなところでどうしたんだ?」
またもや通りかかった若いギルド職員が、変なところで突っ立っているアイリアを見て怪訝そうに言った。
魔石の鹿の殻を、金槌と鑿で割った鑑定士だった。アイリアの先輩で、名をウォレスと言うのだと知った。
「ウォレスさん、こっちこっち!」
「何で呼ぶんです!?」
「何を……す、涼しい!?」
ウォレスがアイリアとまったく同じように、驚愕して言った。
「すごいですよね、セイカさんがやってくれているのだそうで」
「本当にか? ギルドの職員になってほしいくらいだ」
「こんな一芸くらいで勧誘しないでください」
ウォレスもまた、立ち止まった場所から動こうとしない。
こいつらヒマなのか……?
「うるせーな。お前ら何をそんな……涼しい!?」
「いい加減にしろよ、ただでさえ暑……す、涼しい!?」
「なっ、涼しい!?」
周りのテーブルでぐったりしていた顔見知りの冒険者たちが、寄ってきては驚愕する。三人パーティーのガドル、ニド、リッケンは、似たもの同士なためか反応も似ていた。
「なんだ?」
「涼しいってどういうことだ?」
周囲の冒険者どもや、ギルド職員が次々に寄ってくる。
あっという間に、テーブルの周りには人だかりができてしまった。
ぼくはしばし呆気にとられた後、思わず叫ぶ。
「暑苦しいわっ!」
日陰に集まる猫かこいつら。
「もっと涼しくしてくれてもいいんだぜ?」
「そうだそうだ、そうするべきだ」
「へへっ、何か飲み物持ってきやしょうか?」
「お前らは誰なんだよ」
いつの間にか全然知らない連中までもが、知人面で立っていた。まったく、冒険者はなれなれしくて困る。
いや……そういえば前世でも、ぼくの友人はこんな奴らばかりだった気もする。
もしかして、ぼくの性格の問題なのか?
「おじちゃーん、ここ涼しい!」
不意にその時。ギルドに似つかわしくない、甲高い子供の声が響いた。
小さい子の扱いに不慣れな冒険者どもが、ぎょっとして声の発生源から離れる。
そこにいたのは、白い子供だった。
色白の肌に、白金色の髪を尼削ぎにしている。五、六歳くらいに見えるが、ずいぶんと綺麗な容姿をしていた。
その耳は少し尖っている。ひょっとして、
「わっ、か、かわいいっ! お嬢ちゃんどうしたの? 一人?」
「ボク、男だよ!! おじちゃーん!」
しゃがみ込んだイーファに怒鳴り返すと、子供はギルドの奥へと叫ぶ。
「おーぅ、わかったわかった。ちょっとそこで遊んでもらってろ」
階段から顔を覗かせた男が、声を返す。
見覚えのある顔だった。ギルドに商品を卸しているエイクだ。
メイベルが首をかしげ、エイクへと声をかける。
「これ、エイクの子?」
「あんたの奥さんって
「はは、残念だが
「だったら早く連れていきなさいよ。ここ、もう定員なんだけど」
「定員……? よくわからんが、見ててくれないか。これから商談なんだ」
「ええー……冒険者なんかに大事な甥っ子を預けるんじゃないわよ」
「名前はティオだ。頼んだぜ」
渋るアミュへ一方的に言うと、エイクは階段を上っていってしまった。
「お姉ちゃん、剣士?」
ティオが、アミュの杖剣を見つめて言った。
「そうだけど?」
「ボクと勝負しよ!」
「はあ?」
「ボクも剣士だよ! 友達にはもうぜったい負けないんだ。外で勝負しようよ、ねぇ」
「……」
服の裾を引っ張るティオを、アミュはめんどくさいガキを見るような目で見つめている。
ぼくは、思わず吹き出してしまった。
「いいじゃないか。遊んでやれよ」
「はああ? いやよこの暑い中。あたしはここから離れないからね!」
「あー、残念だけどそろそろ魔力が」
わざとらしくそう言って、ぼくはヒトガタを回収する。
途端に熱気が立ちこめ、周囲から文句の声が上がるが、完全に無視する。
「絶対嘘じゃない魔力切れとか!」
「これに慣れ過ぎると逆に体調を崩すぞ。いいから、子供の相手くらいしてやれって。ほら」
と言って、長い木の棒を二本手渡してやる。
「どっから出したのよこんなもん」
「お姉ちゃんはやくー」
「ああもう、わかったわよ! その代わり、夜はみんなでセイカの部屋に集合ね。最近寝苦しかったから」
「は? ふざけるな」
「ほら来なさい! 腕前を見てやるわ、ガキ!」
「よーし、行こっかティオくん! 暑いから帽子被ってね」
「うん!」
「アミュが負けたら、私が相手になる」
「負けるわけないでしょ!」
アミュたちがガヤガヤと出て行く。
冷気の残りに集っていた冒険者やギルド職員も、やがて固まっている方が暑いと気づいたのか、一人また一人と散っていった。
「――――! ――――」
「――――――」
テーブルから離れた場所にある窓からは、
すっかり温くなった果実水を呷る。
不思議と、ひどく懐かしい気分になった。
「邪魔するぜ」
その時――――テーブルの真向かいに座った大男の体が、ぼくの視界を塞いだ。
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