第十七話 最強の陰陽師、城を破る


「この国も、案外狭いな」


 夜の空に浮かんだみずちの頭の上で、眼下の街を見下ろしながら、ぼくは小さく呟く。

 馬車で二日かかる道のりも、龍ならば十刻もかからなかった。この分なら、この強大な国のすべてを、一月とかからず巡れてしまうだろう。


 真下には、帝都が広がっていた。


 大きな街だ。上空から見下ろせば、なおのことそう思える。

 長い長い城壁に囲まれた中には数え切れないほどの家々が建ち並び、真夜中にもかかわらず街路に点った灯りが、街全体をぼんやりと照らし出している。


 日本どころか、宋や西洋で目にしたどんな都市よりも、発展した街。

 この世界の人々は、果たしてどれほどの努力の末に、ここまでの繁栄を手にしたのだろう。


 もっとも……ぼくには、どうでもいいことではあるが。


 ぼくは周囲の式神を、すべてコウモリに変え街へと降下させていく。

 夜空を降る無数の黒い翼は、さながら影の雨のようだ。


 目標は、街の中央にそびえる一際明るい城――――帝城。


 灯りを手にした衛兵たちの声が、式神の耳を通してぼくにまで届く。


『うわっ、なんだこれは』

『蝙蝠っ? だが、なぜこんなに……』


 やがて地表や屋根に降り立ったコウモリを、今度はすべてネズミに変える。

 式神のネズミは走り出すと、ありとあらゆる隙間から建造物の中へ侵入していく。煙突、通気口、わずかに開いた窓に、崩れた壁の穴。

 通路の分岐に至る度に群れは分かれ、城内の建物全体を総当たりで探っていく。

 特段、操ってやる必要はない。あらかじめそのように式を組んでいる。


 やがて――――ぼくは、小さく笑みを浮かべた。


「ああ、見つけた……そこにいたんだね、アミュ」


 ふっ、と。

 ぼくは蛟の頭を蹴って、夜空に身を投げた。


 空中の式神をとん、とん、と踏みながら、街へ静かに降りていく。


「それにしても――――」


 帝城は、中央にそびえる本城の周辺にいくつかの建物が建ち並び、それをぐるりと城壁が囲う構造になっている。

 堀もなければ、城門も薄い。

 完全に、居住や社交を目的とした城のようだった。敵を前に立てこもることを想定しているようには、とても見えない。


 だから、だろうか。


 城壁の前に降り立ったぼくは、そのまま一枚のヒトガタを、無人の門へと向ける。


「――――ずいぶんと、脆そうな城だ」

《土の相――――いわげの術》


 小山のような大きさの岩が撃ち出され――――城門を、その周囲の城壁ごと粉砕した。


 瓦礫が散り、粉塵が巻き上がる。

 少し遅れて、兵たちの悲鳴や怒号が聞こえてきた。

 何が起こったか、すぐには理解できないだろう。果たしてこの世界の魔術師に、城壁の高さをはるかに超える岩を生み出す者など、存在するのだろうか。


 城壁の崩れた場所から、ぼくは悠然と城内に歩み入る。


『取り乱すなっ! 何があった!?』

『なっ……城壁が……』


 ネズミの耳から、衛兵たちの声が聞こえてくる。


『襲撃かもしれん、全員武器を取れ! 非番の奴らも起こしてこい!』

『おい……あそこに誰かいるぞ! 塔の奴らに伝えろ!』


「ほう」


 ぼくは少し感心する。

 混乱が収まりつつある。なかなか練度の高い兵たちのようだ。

 二つの月が照らす異世界の夜の明るさが、今ばかりは疎ましい。


『あれが襲撃者か……? おい、射るぞ!』

『くそっ……やってやる……っ!』


 偶然にも、近くにあった二つの城壁塔から、ほとんど同時に矢が射かけられる。

 ぼくはそれを見もせず歩みを進めながら、無言で術を発動した。


《陽の相――――磁流雲じりゅううんの術》


 ぼくを狙う矢が、ぐにゃりと逸れていく。

 少しばかり出力を上げすぎたせいで、矢はぼくのだいぶ手前から、まるで見当違いの方向へ飛び去っていった。


 城壁塔からは、戸惑うような声が聞こえてくる。


『なんだ、矢が……?』

『とにかく狙え! 城に近づけるな!』


 再び矢が迫る。

 もちろん、それらは当たるはずもない。

 だが、決して気分がいいものでもなかった。


「……鬱陶しいな」


 ぼくは城壁塔へとそれぞれヒトガタを飛ばし、片手で印を組む。


《土の相――――かなめいしの術》


 なわの巻かれた巨大な一枚岩が二つ降り、それぞれの城壁塔を完全に押し潰した。

 同時に、式神からの声も途絶える。


「止まれッ!!」


 並ぶ松明の明かりに、ぼくはわずかに目を細める。いつの間にか、はるか前方には衛兵たちが集っていた。

 中央にいる隊長らしき男が、ぼくへ声を張り上げる。


「貴様は何者だッ! 何が目的で帝城へ参った!?」


 時間稼ぎか。

 ぼくは足を止め、そう思い至る。


 増援を待ちつつ、今のうちに貴人らへ避難を促すつもりだろう。

 まあいい。忠告くらいはしてやろう。


「邪魔をするな」


 ぼくの声に、隊長らしき男がたじろぐ気配がする。


く道を空けよ。従うならば、其の方らの命までは取らない」

「っ……! 放てッ!!」


 こらえきれなくなったかのように、隊長らしき男が命令を下す。

 弓兵の動きに、ぼくは再び《磁流雲じりゅううん》を使おうとして――――舌打ちと共に、その場から大きく跳び退った。

 先ほどまでいた場所に、幾本もの火矢が突き立つ。


 この術は、火矢には効果が薄い。

 鏃の金属が熱せられると、十分な磁力の反発を得られないのだ。


 おそらく視界を確保するためで、これを意図したわけではないだろうが……面倒なことだ。

 あの隊長も目ざとい。弓兵に普通の矢でなく再び火矢をつがえさせているのを見る限り、この弱点を見抜かれたと考えていいだろう。


 別の矢避けに切り替えようとしたその時、剣を抜いてこちらへ迫る兵たちの姿が目に映る。

 ぼくは……急に、馬鹿馬鹿しくなってしまった。


 思えばもう、こんなにちまちまと戦う必要などない。


「ああ、わずらわしい」

《陽火の相――――皓焔しろほむらの術》


 真白の炎が、夜を昼に変えた。


 放たれた火矢は一瞬のうちに蒸発し、前の方にいた衛兵の一部が炎を上げて燃え始める。

 白い炎に直接炙られてはいないものの、その輻射熱で装備が自然発火したようだった。当然中の人体が耐えられるはずもなく、衛兵はそのままバタバタと倒れていく。

 陰の気で余剰な熱を抑えなければ、《皓焔しろほむら》はこれほどまでに強い。


 ぼくは全身にできた火ぶくれを治しながら、焼けただれた唇で笑った。


「はは」

《召命――――かまいたち


 空間の歪みから現れたつむじ風が、残った兵たちを切り裂いていく。


 しばらく暴れた鎌鼬は一度城の屋根に降り立つと、その手に生えた巨大な鎌の血を、毛繕いでもするかのように丁寧に舐めとった。そして再びつむじ風と化し、衛兵を血祭りにあげていく。


 あれは鎌鼬の中でも特に体の大きく、力の強い個体だ。

 あの鎌と風の刃に襲われれば、切り傷程度では済まない。


 悲鳴と血しぶきの上がる惨劇を眺めながら、ぼくは笑う。

 同時にヒトガタが二つ、宙へ浮かんだ。


「ははは」


《陽水の相――――熱瀑布の術》

《召命――――雷獣》


 熱湯の奔流が兵の集団を襲う。

 武器を捨て悶え苦しむ者たちを、雷獣の眩い稲妻が次々に打ち据え、とどめを刺していく。


 幾条もの稲妻がはしるエネルギーのせいで、大気の組成が組み代わり、雷臭気オゾン特有の生臭い臭気が辺りに発生していた。

 ぼくは笑いながら、さらなるヒトガタを飛ばしていく。


「はははは――――」


 ――――圧倒的な力の前には、あらゆる者がひれ伏す。

 ガレオスの言っていたことを、かつてはぼくも強く信じていた。


 正統な血筋も、崇高な法も、神の言葉も、民衆の意思も、強大な暴力には抗(あらが)い得ない。

 なぜならそれらの権威も、結局は暴力が背景にあって成り立つ概念だからだ。

 自身を超える暴力の前に、弱い権威は存在を許されず、そしてより強い暴力こそが次の権威となる。世界はその繰り返しだ。


 だから――――力さえあれば。


 すべてを超越する力さえあれば、世界は自分の思い通りになると思った。

 野盗や獣や化生の類を撃退し、民を虐げる貴族の私兵や、略奪を繰り返す敵国の軍を滅ぼし、悪意ある民衆をも黙らせる……。そうして弱い者から奪っていく数多の暴力に打ち勝っていけば、自分だけは、世界に満ちる理不尽や悲劇から無縁でいられると思った。


 ぼくは力を求め、最強の頂を目指し――――そして到達した。

 もはやどんな大軍を、まじないを、怪異を、災害をもってしても、ぼくを倒すことなどできはしない。それは異世界だろうと変わらない。


 だからこそ、不思議だった。

 どうして今こんなに――――自棄やけにならなければいけないのか。


 白い炎が宙を薙ぎ、衛兵や建物の壁を溶かしていく。

 縦横に走るつむじ風が、血煙を次々に巻き上げる。

 高温の蒸気が満ちる空気を稲妻が裂き、この場に立つ者を一人また一人と減らしていく。

 それはもはや、戦いとは呼べないものになっていた。


「ははは…………ああ」


 ――――ぼく以外の人間は、こんなにも弱いはずなのに。



――――――――――――――――――

※岩戸投げの術

直径十メートルを超える巨大な岩を撃ち出す術。大きさは可変。建物や地形の破壊用。


※要石の術

注連縄の巻かれた巨大な一枚岩を降らせる術。大きさは可変。破魔の力が宿っており、殺傷した生命の怨霊化を防ぐ。


※熱瀑布の術

大量の熱湯を放つ術。本来は高所にある拠点などの防衛用。

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