第六話 最強の陰陽師、案内する
帰郷して二日後の、よく晴れた日。
ぼくは、ランプローグ領内にある街を訪れていた。
「セイカ様。向こうにあるのは何でしょう」
「この地の聖堂ですよ」
「まあ、ずいぶん小さいのですわね。ではあそこにあるのは?」
「貸し馬車屋です」
そう、なんとフィオナも一緒だった。
ちなみに、ぼくらの後ろにはアミュとグライもいる。
昨日突然、領内の街を見に行きたいと言い出したフィオナ。
それはよかったのだが、兵がいたら楽しめないからと、こともあろうに護衛を全員置いていくと主張したのだ。
自分の連れてきた侍女に鬼気迫る様子で止められていたが、フィオナも頑固なもので、結局押し切ってしまった。
案内役兼用心棒に、ぼくとグライと、アミュを名指ししたうえで。
「……」
「……」
グライとアミュの間には、気まずい空気が流れている。
自分から喧嘩を売って負けたアミュも、なんかよくわからない奴に絡まれたという認識しかないグライも、当たり前だが話すことなどないようで、ずっと沈黙が続いていた。
フィオナは楽しげな様子でずっとぼくに話しかけてくるので、後ろとの温度差がきつい。
「はぁ……」
バレないように、小さく溜息をつく。
久しぶりに来たこの街は、少し様子が変わったようだった。
学園に行く前にも数えるほどしか訪れたことはなかったが、その頃に比べると建物が増え、やや賑やかになっている気がする。
「グライ兄。ここってこんな風だったっけ?」
「あ……? いや。二年も経ったんだ、変わりもするだろ」
周囲に目をやったグライがそっけなく答える。
もしかしたら、エディスの経営がうまくいっているということなのかもしれない。
街の中心の方へ歩いて行くと、人通りもそれにつれて増え出す。
「お。運が良いな、市が立ってるぜ」
とある広い通りに出た時、グライが言った。
通りの両脇には様々な出店が並び、人で賑わっている。
布や雑貨、干物や塩漬けなどの保存食、家畜にモンスターの素材などの雑多な商品が並んでいるが、ところどころから美味しそうな匂いも漂ってきていた。
当然いつもこうではないから、グライの言う通り運がよかったみたいだ。
「まあ」
フィオナが、驚いてるんだか驚いてないんだかよくわからない声音で言う。
「すごい人混みですわ。はぐれてしまいそう」
「いや、そこまでではないですが」
「手を繋ぎましょう」
ぼくの言ったことをきれいに無視し、フィオナが手を握ってきた。
そのまま市の真ん中を、機嫌よさそうに歩いて行く。
「うふふ。こうしていると、逢い引きみたいですわね」
「ちょっ……殿下は立場がある人なのですから、あまり滅多なことを言わないでください」
「構いませんわ。今は……咎める者などいませんもの」
そうささやいて、皇女はにっこりと笑う。
うーん……なんでこんなにテンション高いんだろう、この人。
言動が普通じゃないからわかりにくいが、なんだか不自然にはしゃいでいる気がする。
当の皇女殿下は、周囲の店をキョロキョロと見回している。
こんな田舎町の市を見ておもしろいのかも、よくわからない。
心なしか、その視線もどこか事務的なような。
「……楽しいですか? 殿下」
「もちろんですわ。こうして庶民の暮らしを目にする機会など、あまりありませんもの。わたくしには立場がある代わりに、自由がないのです……」
「あれ、でも、帝都ではよく市井に降りてこられ、街の住民と言葉を交わされることもあったと聞きおよんでいたのですが」
「……」
「それに、地方の視察を始められたのは殿下ですよね。ここより大きな市を目にする機会など、いくらでもあったのではないですか?」
「……」
「……あの、殿下?」
「うふふふふ……あっ」
中身の無さそうな笑みを浮かべていたフィオナは、不意に一つの屋台に目を向け、言った。
「あれが食べたいですわ、グライ。買ってきなさい」
どうやらいい匂いを漂わせていた、串焼きの屋台のようだ。
命じられたグライが、不承不承といった様子で買いに行く。
ほどなくして四本の串を手に戻ってくると、そのうちの一本をフィオナへと渡した。
それから、ぼくにも差し出してくる。
「……え?」
「え、じゃねぇよ。さっさと受け取れ」
と、ぶっきらぼうに言う。
ぼくは串を受け取りながら、少し感動して言った。
「グライ兄……まさか、こんな気遣いができるようになったなんて……成長したんだね……」
「喧嘩売ってんのかてめぇは……ほらよ、お前も」
と言って、アミュにも串を差し出した。
彼女は、それをおずおずと受け取る。
「あ、ありがと……」
「まあまあですわね」
もう食べ終わったらしいフィオナが、ゴミとなった串をグライに返しながら言った。
グライが半眼でそれに答える。
「屋敷に戻ったら代金は請求させてもらうからな」
「まあ、小さい男」
フィオナの煽りを背景に、ぼくも串焼きの肉を囓る。
悪くはないが、少し塩気の強すぎる味だ。
「おいしいですわね、セイカ様」
いきなり笑顔でずいと寄ってきたフィオナに、ぼくは面食らう。
「え、いや、さっきまあまあって……」
「おいしいですわね」
「は、はぁ……」
「うふふ」
フィオナに手を引かれるように、街を歩いて行く。
ぼくは周囲の人混みを見回す。
今のところ特に問題も起きていないが……フィオナの姿は、人々の視線を集めているようだった。
「……やっぱり、目立ってしまっていますわね」
さすがの彼女も、少し気にした風に言った。
だけど無理もない。
一応お忍びではあるが、いくらフィオナが有名とはいえ、こんな片田舎で皇女の顔を知っている人間はまずいない。
ただ、問題は容姿で……フィオナのようにきれいな長い髪を垂らした娘は、この辺りでは珍しかった。
一応服は庶民らしいものを着てきたようだが、半ば侍女を振り切るように出て来ただけあって、頭から上はそのままだ。
髪色の珍しさもあり、否応なく人目を引いてしまっている。
「わたくしも、あんな風にしてくればよかったのでしょうけれど……今さら仕方ないですわね」
フィオナが、髪を結った町娘を見やりながら小さく呟いた。
うーん、なんとかしてやれればいいんだけど……。
そう思ってぼくは市を見回すが、その間にも皇女殿下は構わず進んで行く。
通りの端の方まで来た時、彼女がふと足を止めて呟いた。
「男と女が親しくなるには、どのようにすればよいのでしょう?」
「……」
「思えば、なにも考えていませんでしたわ」
また唐突に何か言いだした。
反応に困る一同を代表し、ぼくがフィオナに訊ねる。
「ええと……婚約者との間に悩みでも?」
「あら、そのようなものいませんわ。今はまだ。うふふっ」
「では何を……?」
「世間一般での話です」
皇女は陶然と呟く。
「他の者たちは、どのように親しくなっているのでしょうか……?」
「それは、普通に何度も会って話したりとか……」
「もっと一瞬で距離が縮まるようななにかはありませんの?」
「……」
何をそんな都合のいいものを……と思ったが。
彼女は立場が立場だ、要人と交流しなければならない場面も多いだろう。この話題もそういった類の、切実な悩みなのかもしれない。
「物語などではよく、命の危機を救ったり救われたりして、親しくなっていますけれど」
「えっ、そこまでするんですか……?」
「それ、あると思うわ」
と、なぜか急にアミュがその話題に食いついてきた。
振り向くフィオナに、熱心な様子で説明する。
「冒険者の間でもよくそういう話聞くもの。暴漢をやっつけたり、モンスターから助けたりして、色恋沙汰になるやつ」
「まあ。それは、珍しくないことなのですか?」
「たぶん、しょっちゅうね。冒険の途中で仲間が恋人になったー、なんて話もよくあるから、きっとピンチを助けたり助けられたりすると、人間そうなるものなのよ。逆に揉めたら刃傷沙汰になるけどね」
「興味深いですわ」
盛り上がる二人に、ぼくは微妙な表情で突っ込みを入れようとする。
「いや、それは……」
「けっ、そんなもの……」
グライと喋るタイミングが被り、ぼくらは二人して口をつぐんだ。
アミュが訝しげに睨んでくる。
「なによあんたたち。なんか言いたいことでもあるわけ?」
「いや……」
実際には、危ないところを助けたからといって色恋沙汰になることなんてそんなにない。
きっかけくらいにはなるかもしれないが、すでに相手がいたり好みじゃなかったりすると、興味すら持たれずお礼を言われて終わりだ。
という前世の教訓を話したかったのだが、ちょっと説明しにくいので黙ることにする。
グライの方も、口を閉じたままだった。
「……なんなのよ、兄弟揃って。というか、別におかしなこと言ってないでしょ。あたしたちがそうだったじゃない」
「…………へっ!?」
思わず困惑の声を上げてしまった。
皆の視線にはっとしたアミュが、顔を赤らめてあわてたように言い訳する。
「なっ、べっ、別に変な意味じゃないわよ! あの地下ダンジョンがきっかけで話すようになったでしょってこと!」
「あ、ああ、そういう……」
びっくりした。
間延びした雰囲気の中、フィオナが口を開く。
「わたくしの場合、障害は自分で乗り越えてきましたが」
フィオナが、少しだけ本音っぽい口調で言う。
「誰かが助けてくれたらと、思ったことはありますわ。そういうのは少し、憧れますわね」
「でしょ!? わかるわ」
「君の場合、どちらかというと助ける側になりそうだけどな」
「うっさいわね、いいでしょ別に! あんたさっきからいらないことしか言ってないわよ」
すみません……。
というか、アミュもちょっとイーファみたいなところあったんだな。意外だ。
「うふふふふふ」
陶然と笑っていたフィオナが、ふと街の中心の方へ目を向けた。
「あ、向こうへ行ってみたいですわ」
言うやいなや、ぼくの手を引いて歩き出す。
こんな形で、謎の話題は唐突に終わったのだった。
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