第37話 立ちはだかるは

 インターネットには証拠が残りやすいため、依頼は慎重に行った。あたりさわりのないバイトをもちかけ、為人を知ってからいけそうな相手に声をかける。そうして選んだ川住かわずみという女はかなり金に困っていたようで、変な依頼にも笑顔でうなずいた。


 女は飲み込みも良かったし、自分のSNSアカウントでその日あったことをぼかして報告するという約束も守ってくれた。おかげで、私は状況を理解し近藤との会話に齟齬が生じることもなかった。


 ──これであれさえなければ、完璧だったのに。


「……ギャンブルって、そんなに楽しいものなの?」


 計画の総仕上げ、大事なところで姿を消すとは思わなかった。必死に探して、パチンコ屋の看板を見つけた時はまさかと思ったが……本当に店内にいた時には、心底呆れた。


「もうちょっとこのまま打ってていい?」

「分かったわ。半金を渡す日時は、また連絡する」


 近藤のところへ戻った時、少し不審そうな顔をしていたのが気になったが、それは帰りが遅いことを心配していただけと分かってかなりほっとした。


 ──いつだっただろう、この子が人の顔を全く区別できていないのではと思い始めたのは。


 私がいつものスーツでなく、ラフな格好でふらっと店舗の視察に行った時。

「いらっしゃいませ、ピエニは初めてですか?」


 一瞬、なにを言われているのか分からなかった。自分の会社の社長、しかも何度も会っている人間にこの対応。面白いとでも思っているのだろうか?


 怒ろうか、と思って言いよどんだ。この子は、ふざけて面白がるような性格ではない。もしかして、本当に分からないのではないか?


 その場は黙礼にとどめ、私は家に帰ってネットで該当する病気がないか調べてみた。「顔が分からない」で検索してみると、意外にすぐ出てきたので驚く。


 試しに近藤を大型店舗に移動させてみると、彼女はみるみるボロボロになっていった。店員たちの信頼を失い、今にもやめると言い出しそうなところで声をかける。


「……接客が大変なら、私の個人的なスケジュール管理をしてみない? 事務仕事の方が、あなたには合っていると思うの」


 近藤はよほど困っていたのだろう、すぐにその申し出を受けた。彼女が慣れてきたところで計画を実行したのが良かったのか、入れ替わりには気付かれていない。


 後は、それを証言できる存在を消すだけだ。川住は金をちらつかせると気分を良くし、大いによく飲みよく食べた。


 食事が終わった頃には、川住はすでにふらふらになっていた。横を歩いていて、よりかかってきたので反射的につき飛ばすと、女は水たまりにつっこむようにして倒れ、全身水浸しになる。


「あ……」


 このまま顔を水につけようかと思ったが、手が止まった。彼女が使っていたSNSなどから、私の痕跡を消すのが先だ。飲み会の時は相手がバッグを体から離さなかったため、機会がなかった。


 しばらく路地で自分の痕跡を消していると、冷たい風が吹いてきて身震いをした。付き合いで摂取したアルコールが抜けてしまうと、この場所がかなり寒いとわかる。


「……さて」


 川住の携帯に、痕跡が残っていないのを確認して顔を上げる。とうとう殺す時だ、と振り返ってみると──女はすでに白い顔になっていた。明らかに血色がなくなり、おかしな震え方をしていたが、やがてそれもなくなった。


 この寒さと水の冷たさで、弱ったのだろう。それなら放っておけば、勝手に死ぬのではないだろうか? 私が顔を押しつければ、その時になにか痕跡が残ってしまうかもしれないし。


 私は一旦その場を立ち去り、数時間おいて戻ってみた。その時には川住は完全に冷たくなっていて、死んでいると本能ですぐに分かった。


「あれは運が良かったわ」


 相手が勝手に死んでくれた。殺人ではないのだから、警察にもばれようがない。新聞にのっても地方紙どまりだろうから、九州の支社の人間が気付くはずもない。


「幸運が私についている。だからきっと、次もうまくいく」


 正体不明の犯人として、ノイローゼになった中年男性を想定している。しかし警察がどう出るかはわからないため、そこは微妙に変えるつもりだ。


「全ては、あの子を殺してから」


 今日は休日。友彦ともひこはサッカーのクラブへ行っている。プロを目指すような本格的なクラブではないため、午後一時には終わって帰ってくるはずだ。会社に移動し、その時までゆっくりと待つ。この時のために用意してあったプレゼントを所定の位置に移動させれば、後はすることがない。


 とうとう運命の時が来たので、電話をかける。手が震えるかと思ったが……全くそんなことはなかった。


「友彦? 今日は勇気くんのところへ行くの?」

「ううん、誘ったけど……ほんとに調子悪そうだからやめとく」

「そう、残念ね。じゃあ、あなただけでも先に見るといいわ。欲しがっていたものがあるでしょ」

「もしかして、ドローン!?」

「そうよ。カメラつき。会社の屋上でさっそく飛ばしてみる?」

「すぐ行く!」


 友彦は興奮気味に電話を切った。苦笑しながら、私はつぶやく。


「さて、一人で帰ってくるかしらね」


 近くで子供の声がしていなかったから大丈夫だと思うが、万が一他の子がついてきたらまたの機会にすればいい。実子だけにスケジュールはつかみやすく、実行するチャンスは今までより格段に多いのだ。


「さて」


 誰もいない会社で、入り口のカメラをチェックする。程なくして、友彦が一人で階段をかけ上がってくるのが見えた。しばらく観察しても、後続が現れる様子はない。


 静かに立ち上がり、音がしないように階段を上る。休日だから上の階の会社にも誰もいないはずだが、念には念を入れた。


 屋上への扉をあけてみると、すでに友彦がドローンの箱に食らいついていた。


「すごい! ありがとう!」

「どういたしまして」

「飛ばしてみるね」

「じゃ、見ててあげるから説明書通りにやってみなさい」


 私が言うと、友彦はドローンに指令を出す送信機に電池を入れ始めた。本体と送信機の通信がうまくいっていることを確認し、スティックを操作し始める。


「浮いた!」


 友彦は歓声をあげ、動き始めたドローンに目をやった。時々ふらつきながらも動く機体。それに気をとられている友彦の後ろに回る。背中を押せば、今なら──


「こんにちは、烏賀陽うがやさん」


 不意に名前を呼ばれて、私はすくみあがった。


「あ、この前のおじさんだ!」

「……お兄さんとは呼んでくれないんだね」


 友彦の返事に苦笑いしていたのは、見覚えのある青年だった。彼の後ろにも、刑事たちが並んでいる。

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