第36話 転がり落ちてまた落ちる

 今まで育ててきた息子を殺すことに、戸惑いが全くなかったと言えば嘘になる。しかしそれよりも、永遠に同情される存在になれるという喜びの方が、遥かに大きかった。


友彦ともひこもきっと、その方が嬉しいわよね」


 時々子供らしいワガママを言うことはあったが、基本的にあの子は私が幸せになるように振る舞ってくれた。若くして命を落としたとしても、それが運命だったのだと受け入れてくれるだろう。


 やることは決まった。後は方法を練るだけだ。友彦を殺しても捕まってしまったら、私の計画はそこで終わり、台無しとなる。


「……といっても、殺せばまず私が疑われることは間違いないのよね」


 子供は生活圏が狭いから、何かあれば親が疑われる。全く親に落ち度がない場合としては、変質者に狙われたようなケースくらいだろう。


「そうだ!」


 子供ばかり狙う、連続殺人犯。その犯人に友彦が殺されてしまったとしたら、世の中の憎しみは全て犯人に向かうだろう。となると、他にも犠牲者が必要になるのだが……。


「いるじゃない、うってつけの相手が」


 困っているシングルマザーたち。彼女らの子供を殺せば、苦労してきた母親にも同情される立場を与えることになる。一石二鳥だった。


 普通、私は他人に同じ立場を与えようなどとは考えない。賞賛と同情を受けるべきは、いつも私だけでいいと思っている。


 けれど今回は、どうしても自分だけではできない。それに協力してくれた面々には、しかるべき見返りがあっても構わないだろう。この時の私は、とても寛大な気持ちだった。


 次は殺す手段について、色々と考えた。結局、ありふれた刃物で殺すのが一番足がつきにくいだろうという結論に至った。刃物を抜かなければ大量出血はしないと聞くし、絶命するのも早いだろう。


 私は考えがまとまったところで、具体的な準備を始めた。ゴム手袋と雨合羽を買って返り血対策をし、目標の通学路近くで人気のない場所を見つけておく。もちろん、子供の名前と顔を覚えておくことも忘れない。


 全てを完璧にしようとすると、かなり時間がかかった。自由業であることを、この時ばかりは深く感謝する。


 ……しかし、実際に殺してみるとそううまくはいかなかった。刺しても子供は気持ち悪いうめき声をあげながらしばらく生きていたし、誰もいないはずの工場の外を誰かが歩いている気配も感じた。証拠が残っていないかと何度も振り返ったため、現場から立ち去るのも大幅に遅れてしまう。


 全てを終えて家に着いた時には、くたくたに疲れていた。友彦には風邪だと言って誤魔化したが、本当はばれているのではないかと気が気でなかった。


 だが、何日たっても警察が私のところへやってくる気配はなかった。後にかけた電話を聞いて誘拐とみなし、金に困った人間の犯行だと思っているのだろうか。


 はじめは不安で仕方無かったが、徐々に私の精神は安定していった。そして、次のターゲット殺害に向けて動き出すことになる。


 考えてみれば、一度目の犯行は反省点ばかりだった。子供がなかなか死なない面倒な殺し方を選んでしまったし、身代金の要求は明らかに余計だった。新井あらいが何も記憶をとっていなかったことが後に分かったから安心できたが、そうでなければ証拠を増やして悔やんでいたところだ。


 次は出来るだけシンプルな手段を選び、殺したらさっさとそこを離れる。殺すその瞬間を見られてさえいなければ、後からいくらでも言い訳は可能だ。


 古賀こがの学校の子供が落としたプリントから、校外学習があることはつきとめていたから、その時を狙うことにする。子供がばらけた時を狙って、古賀の娘を連れ出すのだ。


 ──結果として、ため池に落とすことになったが、この殺害方法は楽でよかった。小さな背中を突き飛ばせば、それで用は足りる。


 しかし私は、この時に取り返しのつかないミスを犯した。


「あれは、ピエニの──」


 女児を突き落としたとき、袖口からちらっと見えたブレスレット。


 こだわりにこだわって作ったパーツだ、少し見ただけでも私の会社のものだとわかる。それを取り除こうとしても手が届くはずもなく、女児の体はあっという間に水の中へ消えていった。


 私はどうすることもできず、ため池から立ち去ることしかできなかった。


「ダメだ。もうダメだ。警察に見つかってしまう」


 頭の中には、いつまでたっても恐怖が渦巻いていた。一人目の時、余計な証拠を残すまいとして、あえてブレスレットには触れなかった。そのことを覚えていたのに、突き落とす前に腕を確認することを忘れていた。


 水につかってもゴムはしばらく残る。被害者が二人ともピエニをつけていたことはすぐに分かるだろう。


 諦めて自首するか? いや、ここまで来たらやるしかない。わざわざ人事をいじってまで、この計画のために準備をしてきたのだ。


 こうなったら、警察に目を付けられるのは仕方無いこととする。大事なのは、私は犯人ではないと早々に納得してもらうことだ。


「そうだ、これをピエニを恨んでいる誰かの犯行にすればいいんだ」


 その候補にあがってくる人間は、一人しかいなかった。前夫の、弘臣ひろおみである。私の成功をねたんで、さんざんネットでピエニの悪口を言いふらしてくれたのだ。自分で自分の首を絞める結果になっても、恨まないでもらおう。


 まず、殺した子供の死体を弘臣に発見させる。そうなったら、弘臣はまず私の名前をあげて警察に調べさせ──自分はさっさと遠くへ逃げ出すだろう。弘臣は賭博関係で細かいいかさまをいくつもやっているから、周囲に警察がいる状況には耐えられないはずだ。そういう気の小さい男なのである。


 そうやって奴の消息がつかめなくなっているうちに、四件目の殺人を行えば、警察は私より弘臣を強く疑うはずだ。


 そして最後に、友彦を殺す。私にうまく容疑をきせられなかった夫がついに切れ、無抵抗な子供に手をかけた。そういう筋書きに持っていくために、私は全力を尽くすつもりでいた。


「……なのに、ねえ」


 身支度をしながら、私は呆れと共に長く息を吐き出した。弘臣は私の想像を遥かに超えるバカで、しょうもない犯罪を犯して捕まっている。これでは、もう彼を犯人に仕立てるのは無理だ。


「それならそれで、謎の変態殺人鬼の仕業にするからいいけど」


 刑事たちはあれからさっぱりピエニに来ないから、全く違う方向を捜査しているのだろう。被害者の母として彼らに接しながら、こっそりとその間違った捜査を後押ししてやろう。


「警察なんて、思ったよりたいしたことないのね……」


 私は小さくつぶやいた。川住かわずみのことも、彼らはただ女優が一人死んだとしか思っていないに違いない。この事件で彼女の果たした役割は、とんでもなく大きいというのに。


「自分で言うだけあって、腕は確かだったわね。あの女優」

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