第12話 くるりと回って元の木阿弥

「睡眠薬で眠らされたとか……」

「いや、それはない。三代川みよかわの書類を読めば明らかだ」

「なに……あっ! お前、これで勝った気になるのはずるいぞ。俺だって分かったからな」


 常暁じょうしょう金崎かなさきが同時に分かっているのがなんだかうらやましくて、あかしも資料を見せてもらった。


「君は素人だから特別にヒントをあげよう。ここだ」


 金崎が指さす先の文字を、灯は読む。


 コート:左側背に連続した四つの損傷

    鋭利な刃物によるもの

    傷口周囲に二~五センチ幅の血痕

 カットソー:傷はコートとほぼ一致

      鋭利な刃物による損傷

      〇.五~二.五センチ幅の血痕

      裏、左脇に流れる血痕あり


「──あ、そういうことですか」


 灯にもすぐのみこめた。


 刺されたのなら、より内側に着るカットソーに多く血がつくはずである。それが逆になっているということは──


「コートの上に薄い服を重ねるというふぁっしょんか」

「そんなこと考えるのお前だけだ。この上なくゴワッゴワするわ」

「そうでなければ、刺されたのではなく、故意に服に血液をつけて捨てた」

「はい、正解です」


 黒江がニコニコしながら手をたたく。


「もっと詳しく言うなら、コートとカットソーの間に血だまりがないのもおかしいわね」


 三代川が専門職らしく言い添える。


「それに、血の量が少なすぎるしね」

「結構な出血に見えますけど……」

「左肩あたりには心臓や肺があるから、狙われると危ない場所なの。そこを刺されたら、血はしみ出すというより噴き出す感じになるから、こんなものじゃすまないわ」

「よくわかりました」


 これなら、正則まさのり管理官が乗り気でないのも納得だ。


「やはり、美幸みゆきもグルになって自分たちは被害者だと思わせようとしているのか」


 金崎がつぶやく。


「それしかないでしょうね。私たちに乗り込まれて、流石にあの二人も追い込まれていると悟った。しかし、何もかも打ち明けて楽になろうという発想はない」

「だから狂言を仕掛けたのか。手間のかかることを」


 常暁が顔をしかめた。


「確かに……あの血って、動物の血か何かなんですか?」

「いいえ、人の血よ。流石にそこは調べればすぐ分かるわ。おそらく、自分の体の一部を切って、そこから出た血をなすりつけたんでしょうね」

「うわあ、痛そう……」


 灯は顔面がひきつるのを感じた。本当に、その勇気を他で使えたらもっと成功しただろうに。


「幸い今回は、美幸というキーパーソンがいます。彼女にじっくり聞いてみれば、そのうち吐くでしょう」

「よし、差押許可状を請求しよう。今回の件だけでなく、先日の殺人事件も一気に解決だ」


 金崎が気炎をあげる。流石の常暁も今回は茶化さなかった。




「……それはそれは。元妻として、深くお詫び申し上げます」


 烏賀陽うがやはそう言って頭を下げたが、内心笑いが止まらない様子だ。近藤もそれを察して、半笑いになっている。


 弘臣の事件が一段落したので、烏賀陽たちに報告しに来たところ。今度は常暁だけでなく、金崎も一緒だった。主に喋っているのは金崎である。


「隠れていてもギャンブル好きは変わらないだろうという、あなた方の読みが当たりましたね」


 烏賀陽がそう言って微笑む。


「彼の実家はここだから、隠れるとしたら美幸の実家あたりかと思いましてね。そこでパチンコ、競馬、ボートレース……ありとあらゆるギャンブル場を張っていたら、わずか一週間で捕まりました」

「情けない人」

「あなたが自分を殺したと見せかけたかったようですが、その時間はアリバイがおありだったんですよね」

「ええ。彼が失踪してから二日前までずっと、九州で取引先と話をしていましたから。もちろん、彼女も一緒に」


 指さされた近藤がうなずいた。


「ずいぶん長い話し合いですね」

「新しい取引先でしたので、じっくり色々と話をして参りました。最近は軽く見られがちですが、顔を合わせて長く過ごすことは大事なんですよ」

「へえ」

「そうするうちに名前を覚えてもらったり、細かい変化に気付いてもらったら嬉しいでしょう? うちは店舗でも、そういう声かけをするようにしております」

「サービス業って大変なんですね」


 いつも名刺と相手の名前を合わせるのに苦労している灯は、恐れ入ってつぶやいた。


「そうだぞ、会う相手をきちんと把握するのも能力のうちだ」


 金崎が得意げに胸を張る。近藤が一瞬彼に目を向けたが、すぐにそれを外した。


「あの……常暁さん。彼は結局、殺人の罪を認めたんでしょうか?」

「いや」


 常暁は言葉少なに答える。金崎が出がけに「今回は俺が喋る」と宣言してしまったものだから、完全に丸投げする姿勢だ。恋する女性の気持ちを察するスキルなど、彼は持っていない。


「……それが、偽装については完全に認めたんですが、殺人は完全否定してるんですよ」


 弘臣ひろおみが語った内容をまとめるとこうなる。


 ある朝、パチンコに行こうと起きてみると、庭に見慣れないマネキンが置いてある。誰が投げ込んでいったのだと怒って近づくと──それは、子供の死体だった。


 いくら鈍い弘臣でも、子供ばかり狙う連続殺人があったことは知っている。そして己が、警察が犯人とみなしそうな人間であることも分かっていた。


 捨てよう。


 それが、彼の出した結論だった。


「どこか、山とか川とか、人のいないところに捨てようと思うんだ」

「でもさあ、弘臣。あんた、車もバイクも持ってないじゃん。タクシーでそんな山の中へ行こうとしたら、かえって目立つんじゃない?」

「……じゃあ、電車で」

「あんなの持って遠くへ行くのは無理だって! 職質かけられたら終わりだよ」

「そ、それもそうか」


 迷ったあげく、タクシーで移動しても怪しまれない場所として選んだのが、あのショッピングセンターだった。


 持っている中で最も大きなバッグに子供を詰め込みながら、弘臣と美幸はこの世を呪った。


 なんでよりにもよって、うちの庭に死体が捨てられなきゃならない。


 こんなところに家を建てた両親が悪い。


 いや、そもそもマンションから自分を追い出した前妻のあかねが悪い──


 愚痴を言い合ううちに、憎しみの対象は顔も知らぬ犯人から、あかねに移っていった。


「ねえ、思い出したんだけど。あの女から盗ったブレスレットがあったじゃない? これをつけてやったら、あいつが犯人ってことになったりしないかな」


 美幸の提案で、ブレスレットをつけることが決まった。この頃には二人とも感覚が麻痺していたのである。


 まず自分たちが触った表面を拭き、ゴム手袋をつけて死体にブレスレットをはめようとしたのだが、うまくいかなかった。


「なによ、これ小さすぎじゃない!」

「そういや、一つは赤ん坊用だって言ってたな。よりによって盗んだのがそれかよ」


 しかしここまで来たからには諦めるのは惜しいと、美幸はゴムやパーツまで買ってきてブレスレットを改造した。


 それを子供の腕にはめてからバッグの蓋を閉め、ショッピングモールのトイレに捨てた。その間ずっと手袋も変装もしていたから、ばれるはずはないと思っていたのに──ある日、突然警察がやってきた。

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