第11話 反転する被害者

 声がかけられる。常暁じょうしょうは重たくなった瞼を無理矢理開き、現の世界に戻ってきた。


 目の前に、女性が姿を現している。濃緑の神を丸くたばね、白い上衣と赤い下衣を着ている。きりりとした美しい顔立ちではあるが、彼女の腕は四本もあり、人間でないことは一目でわかった。


「水神サラスヴァティ。こちらでは弁財天べんざいてんだから、そうお呼びした方がよろしいか」

「どちらでも良い。しかし、今度わらわを呼ぶのなら、もう少しましな楽手を用意せよ」

「今はあの音が全盛なのですよ。時代の変化というやつです」

「は、乗り遅れておる奴がよう言うわ。──どうやら、まともにしゃべれるようになったようだの」

「おかげさまで」


 正直、歓喜天かんぎてんの攻撃から今までずっと体が重かった。その状態で気配を消しつつ術を使うとなるとかなり重労働で、舐め腐った黒江くろえの手刀すらよけられなかった。


 今行ったのは、弁財天の洗浴法である。災いを好転する作用があるため、常暁は一時的な厄除けとして利用させてもらった。


「長くはもたんが、一時の目くらましにはなろう。──聖天せいてんと喧嘩するとは、お前もとんでもないことをしてくれたものだ」

「言葉もありません」

「寺にこのことは言ってあるのか?」

「まだ隠しております。知らせてしまえば、寺もあいつの攻撃に巻き込まれかねない」

「幼なじみの二の舞にするわけにはいかんか。なるほど、その通りだ」


 常暁は重々しくうなずく。


 久しぶりにがくの夢を見た。彼の顔を二度と見られないのかと、落ち込む彼の両親のことも思い出している。


 ──他の誰にも、ああはなってほしくない。


「あまり派手にやるでないぞ。完全に解決したわけではないのだからな」

「……分かっています」


 常暁の返事にうなずき、弁財天はその場からかき消えた。


「やはり、片付けまでは手伝ってくれないか」


 常暁は苦笑しながら、床に飛び散った水を見つめた。




「常暁、来たかハハハハ!! 聞いたぞ、無能になったんだってな、お前!!」

「……お前はより鬱陶しくなったな」


 あかしが残業を片付けて警察署に行くと、常暁と金崎かなさきが元気に喧嘩していた。


「あれ? 常暁さん、元の感じに戻ってる」


 灯が思ったことを言うと、常暁がにやっと笑った。


「鋭いな。霊的な加護のおかげか。コレと違うのはいいことだぞ」

「コレ言うな!!」

「完全復活ではないが、基本的な術なら使える。今までと変わりないと思ってくれていい」

「そ、それなら捜査に大きな動きがあったことも気付いていたのか」

「お前の表情が面白いから何かあったんだろうなとは思う。具体的には知らん」

「馬鹿な、誰よりもクールなはずの俺が……」


 そう言って金崎は固まってしまった。まさか、あんなにわかりやすい人なのに今まで気付いてなかったのか。


「……まあいい。お前もこの事実を知ったら、平静ではいられなくなるぞ」

「事実?」

市弘臣いち ひろおみが、姿を消した」

「ええっ!? じゃ、犯人だと認めたようなものじゃないですか」


 あの時、黒江は放っておけばボロを出すと読んでいた。その予測が、見事に当たったことになる。


「……それがなあ。実は、彼の血がついたコートとカットソーが見つかったんだよ」

「あれがまさかの被害者!?」

「あんまり失礼なこと言うなよ」

「すみません、会いに行った時の印象が強くて……」


 灯は頭をかいた。


「状況を教えろ」


 常暁が、眉間に深い皺を刻む。


「ゴミ箱に捨ててあった箱から、事件は始まったんだ」

「箱?」

「やたら綺麗なブランドバッグの箱が、無造作に捨ててあった。学校帰りの中学生が中古屋に売ろうとして蓋を開けたら、血まみれのコートとカットソーが出てきたってわけだ」

「……なんか、かわいそうだなあ」


 褒められた行為ではないが、中学生が受けたショックの大きさを思うと気の毒だ。


「そこで彼らも金儲けを忘れて、交番に駆け込んだ。まだ綺麗なコートとカットソーには刃物で切ったような傷があって、それがかなり大きい。殺人事件の可能性もあるってことで、こっちに話が来たんだ」


 金崎はそういいながら、眼鏡を押し上げた。


「かなりというが、どれくらいの大きさだ」

「全長十センチほどの切り傷。並ぶようにして、それがあと三つあった」

「十センチって、結構いってますよね……」

「服に染みた血痕も数センチはあるという話だから、体も傷ついただろうな」

「切られた場所はどこだ?」

「背中の左側、肩のあたりだ。カットソーの血痕は下に落ち、脇の方まで流れている」


 金崎はそう言って腕を組んだ。


「さらに、ポケットから市の免許証が入った財布が見つかり、恋人である高木美幸たかぎ みゆきからも失踪の届け出があった」

「なるほど。連続殺人の一環でしょうか? そうなると、シングルマザーの子供という共通点がなくなりますけど」

「わからない。ただ、犯人にとって都合の悪い何かを知ってしまったのかもしれないな」

「そうなると、またピエニの社長たちが怪しくなりますね……」


 SNSデマの恨みもあるし、灯たちの訪問をうけて、弘臣が烏賀陽うがやにすがった可能性はある。彼女たちに都合が悪いことを弘臣が知ってしまったとしたら、最悪の結末になったのではないだろうか。


「金崎くん、鑑定の結果出たわよ。今回は、結構簡単だったわ」


 三代川みよかわが、書類とともにやってきた。今回は死体でないからか、表情が若干晴れやかである。灯がぼーっとなっていると、金崎の視線が飛んできた。


「ありがとうございます。管理官はどうなさったんですか?」


 金崎が問いかけると、三代川はにっこり笑った。


「私の見解をお話ししたら、納得して別件に向かわれたわ。あまり緊急性の高い案件ではないからって」


 それを聞いた灯は、思わず口をはさんだ。


「十センチも切られてたら、軽症じゃないですよね? 早く探し出さないと危ないんじゃ」

「大丈夫ですよ。私も保証します」


 黒江がいつのまにか部屋に入ってきていた。相変わらず、足音をたてない歩き方ができるのが怖い。


「何故そう断言できるんです?」

「まず、切られ方ですね。まっすぐな傷がいくつも並ぶということは、襲われたケースではまずないんです」

「どういうことですか?」

「被害者は生きています。一発目はともかく、攻撃をうけたら体をよじって避けたり、逃げようとするでしょう。命がかかっている時に、何度も同じ角度で刺せるようにぼーっと立ってる人なんていません」




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