第3話 いつもの面子

「立てるか?」


 常暁じょうしょうの声が聞こえる。周りがぼんやりする中、彼の黒い袈裟はあかしにもはっきり見えた。


「……すいません、まだ無理です」


 前に巻き込まれた事件では、死体の写真しか見ていなかった。本物の表情、発する匂い。その全てが、灯の五感を激しく揺さぶっている。


 平然としている常暁とはあまりに違う。情けなかったが、自分ではどうしようもなかった。


「無理もないよ、そのままでいな。まだ、しゃべれるだけ大したもんさ」


 鑑識の制服を着た男性が、灯をねぎらった。


「お前の姉と姪は、警察官の付き添いで先に帰ってる。まだ犯人がうろうろしてるかもしれんからな」

「ありがとうございます」


 灯はここでようやく、トイレの外──斜めにあるファミリーレストランの前に出されていることに気付いた。トイレの周囲には既に黄色いテープが貼られていて、買い物客の姿はない。


「発見時の様子を報告してくれ。もう一人のおっさんがあまりにも頼りにならんのでな」


 常暁が指さす先には、本物の第一発見者である中年男性がうずくまっていた。ぽっこりと出た腹をかばうように、ひたすら小さくなっている。


「かあちゃんたすけて……」


 そうつぶやきながら震えている姿を見たら、灯は気の毒になってきた。


鎌上かまがみくん、お疲れ様」


 後方から知った声が聞こえてきて、灯は振り返った。


黒江くろえさん……」

「鑑識の皆さん、彼らの調べはもう終わってますね?」

「大丈夫です」

「なら、これでもどうぞ。私が自分用に作ったものなので、申し訳ないですが」


 黒江は水筒を持っていた。その中身を、紙コップに注ぐ。


「紅茶です。少しは落ち着くでしょう」

「あ、ありがとうございます……」


 少し砂糖が入れてあって、暖かい。それだけで灯はほっとした。


「あなたもいかがです?」


 黒江はもう一人の男性にも同じようにしていた。あれだけ取り乱していた男性が、大人しく言うことを聞くのだからすごい。


「……もう大丈夫です。記憶があいまいになる前に、話してしまっていいですか」


 灯はそう言って、トイレに入ってからの行動を語った。


「なるほど。あっちの第一発見者が雪隠に入ってから悲鳴をあげるまで、しばらくあったわけだな」

「ええ、まあ……」

「つまり、こいつが死体を置くことも可能と」

「ぎゃああっ」

「やめてあげて!!」


 第一発見者に追い打ちをかける常暁を、灯はなんとか押しとどめた。


「この人じゃないと思いますよ。人が入るような荷物持ってなかったし、声をあげたのだってわりとすぐだったから」

「そうか。なら無理だな」

「今回は目立った外傷がないので、死因は解剖待ちですね。まだ身元が特定できていません。今のところ、子供が居ないと申し出てきた親御さんはいませんね」


 黒江が口を開いた。


「犯人は直前に入って、死体を置いてさっさと逃げたんでしょうね。大きな荷物を持っていた客を探さなくては」


 常暁がわりとあっさり諦めたところに、黒江が言った。


「監視カメラは?」

「廊下にあります。どうせもう証拠になるものは捨ててしまったでしょうが──前の二件よりは、犯人の情報が集まりそうですね」

「やはり連続殺人事件か?」

「ご遺体がブレスレットをしてましたし、被害者がまた女児でしたからね。……あの店には会員サービスもあるようですから、犯人がその名簿を手に入れたとしたら厄介です。被害者が選び放題になってしまう」


 そうなったら、会社に対する批判は並みのものではないだろう。想像しただけで、灯の腹の具合が悪くなってきた。


「……社長にお会いした方がいいでしょうね。どこかにすっぱ抜かれたら、とんでもないことになります」

「そうだな。行くぞ」


 常暁と黒江がそろって立ち上がる。灯もそれに続こうとして、ふと足を止めた。何かが頭の中で引っかかっている。


「ブレスレット……写真、ありますか?」


 問われた黒江は不思議そうな顔をしたが、結局灯の言う通りにしてくれた。


「こっちが写真。触ることはできませんが、現物もあります」


 灯はビニール袋に入ったブレスレットを見つめた。ピンク色の石を、赤いビーズが囲んでいるかわいらしいものだ。


「うーん……」

「そんなに舐めるように見るものか。早く行くぞ」

「……ちょっと、僕は後から行ってもいいですか? 警察の人に付き添ってもらって、行きたいところがあるんです」


 常暁と黒江は軽く視線を合わせた。


「わかりました。後から合流しましょう」


 黒江の一言で話は決まった。灯は一人、よろよろと来た道を戻っていく。



「すごいビルだなあ……」


 灯が感嘆の声をあげたのは、ピエニ本社のビルが豪華だったからではない。その逆で、すさまじくボロかったからだ。


 灯の会社もなかなか古いビルに入っているが、ここに比べればはるかに美しく見える。エレベーターどころか、エアコンがついているかも疑わしい。


 滑り止めがはげ落ちた階段を上る。廊下にも最低限の電灯しかなく、まだ十五時だというのに幽霊が出そうだった。


「こっちだ」


 辿り着いた応接室に、常暁と黒江が座っていた。今にも穴があきそうなボロボロの応接セットは、壊滅的に二人に似合わない。しかも、二人の前に置かれているのはただの水が入ったコップだった。


「あなたもいかが?」


 常暁たちの向かいのソファーには、二人の女性が座っていた。中年といわれる年代にさしかかった色っぽい和風美人と、二十代とおぼしき初々しい美女が並んでいて灯はどぎまぎする。部屋の内装はみすぼらしいのに、彼女たちのスーツは明らかに高級品だからなおさらだ。


「え……いえ、結構です」

「入れたてなら、水道水も美味しいんですよ」


 そういう概念は初めてだ。入れたての水道水。


「すみません、うちは徹底して経費削減──特に固定費を削減しているもので。びっくりされたでしょう。私たちは人前に出ることもあるので、服飾費などは他所様並みですけどね」


 中年の女性はそう言って笑った。


「私は烏賀陽うがやあかね。ピエニを経営しております」


 社長の烏賀陽は灯にも名刺をくれた。その紙からは、さっきのコロンとは全く違う高そうな匂いがする。


「こっちは私の秘書の近藤由佳子こんどう ゆかこさん。元は店舗で働いてもらっていたので、現場のこともよく知っています」

「鎌上です。よろしくお願いします」


 灯が挨拶すると、近藤は微笑み、こちらの全身をなめ回すように見てきた。


「社長、本題に入りましょう。さっきもお話ししたように事態は深刻です。会員情報は、ファイルにまとめて店舗に置いてあるそうですね」


 その視線を断ち切るように、黒江が言った。


「はい。データベースとして、会社のパソコンにも入っていますが」

「それでは、店舗に忍び込めれば見放題だな」

「そうなります。ただ、棚にはしっかり鍵をかけていますし、モールには警備会社が入っていますから……簡単なことではないと思いますよ」


 常暁の嫌味にも、近藤はてきぱき答えた。

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