第12話 サニーの決意

 「サニーさん、乗り心地は如何ですか?」


 「あ……だ、大丈夫ですっ!」


 すぐ後ろからシェイドに声を掛けられて、サニーは万が一にも赤くなった自分の顔を見られまいと、馬のたてがみに額を付けるように顔を伏せた。


 「……? 本当ですか? もしお気持ちが悪くなったのなら、遠慮せずに言って下さいね」

 

 「っ!? い、いえそんな滅相もないっ! ……あ! そう言えば、この子の名前ってなんて言うんですかっ!?」


 心配したシェイドに顔を覗き込まれそうになり、サニーは慌てて自分の跨る葦毛の馬の背を撫でながら話を逸した。


 「そう言えばまだ教えていませんでしたね。“ケルティー”というのが彼女の名前です。私が五つの年に彼女は産まれました。セレンと並んで、私にとっては妹のような存在です」


 ――ブルルッ! と、シェイドの言葉に応えるようにケルティーが小さく嘶いた。


 「よろしくね、ケルティー!」


 ――つーん……。


 「あ、あれ……っ?」


 サニーの挨拶には全く反応しないケルティーである。


 「彼女、これでも人見知りなんです。心根は優しい子なんですけどね」


 と、シェイドが苦笑いを浮かべる。サニーは少々複雑な気分になったが、こうして自分やアングリッドも乗せてくれる辺り、本当にシェイドの言う通り優しい馬なのだろう。

 サニーは今、シェイドと相乗りする形で彼の愛馬――ケルティーの背中に乗せられて、《影送りの儀》が行われるというレーメ川へと向かっていた。丁度昼間のアングリッドと同じ立場だ。


 街は、既に夜を迎えていた。

 立ち並ぶ街灯の灯りの中を、何人もの人々が同じ方向に向かって歩いていた。自分達と同じく、《影送りの儀》とやらへ向かう住民達なのだろう。


 「おや、これはレインフォールさん。御機嫌よう」


 「今日は大変な一日でしたな。まさかベニタさんに続き、アングリッドまでとは……」


 「兎にも角にも、《影喰い》のお務め、ご苦労さまでした。いつもいつも辛いお役目を押し付けてしまい、申し訳ありませんな」


 シェイドの存在に気付いた彼らが、次々と親しげに声を掛けてくる。シェイドは如才なく微笑み、シルクハットに手を添えながらひとつひとつの声に対して馬上から丁寧に頭を下げた。


 「……あの人達は知ってるんですか? 四十年前の顛末とか、呪いの原因についてとか」


 住民達の一団を追い抜いた後、サニーはふと気になってシェイドに尋ねた。

 シェイドは事も無げに頷く。


 「ええ、ご存知ですよ。街の住民達もまた、私の父から全ての真実を聴いています。息子の私が言うのも何ですが、父は素晴らしい人格者で、街中から尊敬を集めていましたから。父の人徳のお陰で、皆も素直に事実を受け止めてくれたようです」


 それでも、真実を告白するのは相当の勇気が必要だっただろう。下手をすればレインフォール家そのものが吊し上げに遭って没落していてもおかしくなかった。シェイドの言う通り、彼の父は本当に街の人々から信頼されていたんだろうな、とサニーは思った。

 

 やがてシェイドとサニーは街を抜け、郊外に出た。

 街灯の灯りが届かなくなった夜の帳の中を、いくつものカンテラの灯がゆらゆらと揺れながら空中を泳いでいる。ウィル・オ・ウィスプの大行進みたいな光の歩みを作っているのは、やはり先んじた街の住民達だった。

 

 「着きました、此処がレーメ川です」


 それから間もなく、サニー達は目的地に到着した。緩やかな流れの小川の畔に沢山の人々が集まっている。ケルティーを降りて近付くと、人だかりが割れてシェイドとサニーを奥へと通してくれた。

 川辺には、大型のヨットの模型が用意されていた。盥を利用して作られた船艇に凧を流用した帆。甲板の上には、小さな人形を始め沢山の供え物が置かれており、中心には一本の大きなロウソクが立て掛けられている。


 「ううっ……! アニー……!」


 そのヨットの傍で、痩せ細った女性がひとり、打ちのめされたように地面に手をついて涙を流している。


 「あの人、もしかして…………」


 サニーのその問いにシェイドは軽く頷いて、静かに彼女の傍に近付くと労るように声を掛けた。


 「申し訳ありませんでした、ジュディスさん。私の力が及ばないばかりに、息子さんに犠牲を強いてしまいました」


 「おお、レインフォールさん……っ!」


 ジュディスと呼ばれた女性はシェイドに気付くと、縋り付かんばかりに彼に向き直った。やはり、彼女はアングリッドの母親か。


 「息子は……っ! 息子はもう、本当に後少ししか生きられないのですか……!?」


 シェイドは目を伏せた。痛ましいほどの間を空けて彼女に答える。


 「……残念ですが。『エゴ』を消されるという事は、自分の精神を半分奪われる事と同義です。人には隠すべき醜い負の感情……身勝手で恥ずべき心の闇であっても、人の心身を構成する重要な側面なのです。それを失えば、その人の生命力は衰えてしまいます。……長く生きるのが困難な程に」


 「そんな……っ! ああっ、神様……!」


 非情な現実に、ジュディスが顔を覆って声を震わせる。


 「どうして……!? 何故、夫だけじゃなく、あの子まで……っ! もう私にはあの子しか居ないのに……! 酷いわ、あんまりよ! どうして、私達だけが、こんな……!」


 サニーはいたたまれなくなって目を伏せた。

 アングリッドに心の闇を暴走させる予兆が出ていたとは言え、最後のひと押しをしてしまったのは……自分だ。


 「申し訳、ありません……。私が、この街の呪いを解く方法を見つけられないばかりに……」


 罪悪感を抱いているのはシェイドも同じだ。全ての元凶は、自分の祖母なのだから。

 しかし、自分を責めて俯くシェイドの前に進み出る人々があった。


 「そんなこたァねェですよ、レインフォールの旦那。あんたはよくやっていなさる。若くしてレインフォール家を継ぎ、バース炭鉱の運営もそつなくこなされているのですから」


 「その通りだ、レインフォールさん。あんたが積極的に街の外へ出て外との交易を盛んにしてくれるから、この街が干からびずに済んでいるところもあるんだ」


 「その上、《影喰い》などという貧乏くじも厭わず引き受けて下さる。ほんにお父上にそっくりの、よく出来た御仁じゃ」


 「元はと言えば、俺らの上の世代があんたの婆ちゃんを迫害した所為なんだ。あんたにも、あんたの父親にも、何も責任は無え」


 「あんた達親子には皆感謝してるんだ。だから、そんな寂しい顔しねェでくれよ」


 シェイドに寄り添い、口々に彼への感謝を述べるアンダーイーヴズの住民達。

 彼らの優しい言葉と表情を見て、サニーの胸にも感極まるものが去来する。


 


 「(あのベニタさんやパン屋のおばさんもそうだったけど、この街の人達って、こんなにも温かくて思いやりの心に溢れているんだ……。そんな善良な人達を、無理やりあんな怪物に変えてしまうなんて……やっぱり、間違ってるよ!)」




 心の中で、サニーは決意を新たにする。やっぱり、このまま自分だけ素知らぬ顔で街を出ていくなんて出来ない!


 「ありがとうございます、皆さん。もう、大丈夫です」


 そんなサニーの心中など知る由も無く、シェイドは無理やり作ったような笑みで街の人々からの慰めを押し止める。


 「さあ、《影送りの儀》を始めましょう」


 その呼びかけで、皆も表情を改める。

 シェイドはヨットの前に腰をかがめ、厳かな手付きでロウソクに火を灯した。傍に備えられた人形の影が、大きく帆の上に映し出される。

 そして、シェイドは両手でそれを抱えるとゆっくりと川の水面に浮かべた。


 




 「哀れなる人の子、我らが同胞よ。汝の『エゴ』をここに象り、水に委ねて冥府へと送る。願わくば、彷徨える魂の半身が神の慈悲によって慰められんことを――――」





 

 祈りの文言を唱え、シェイドがヨットから手を離す。

 彼の手から放たれたヨットは、川の流れに身を任せて人形の影をゆらゆらと揺らしながら次第に遠くへと泳いでいく。きっとあの人形の影が、今日消滅してしまったアングリッドの『エゴ』の代わりなのだ。

 


 

 「……荒野に影が途絶えても、父なる御方は我らを見ている。我らが往く道を照らし、影に啓示を与えて導かせんと――――」



 

 誰かが賛美歌のような歌を口ずさむ。それに続くように、街の人々が次々と同じ歌を歌った。

 大地に影が広がるように――人々の歌声は川の畔を埋め尽くしていく。

 

 ヨットが下流の彼方へ流れて見えなくなるまで、それは続いた――――。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 「ありがとうございました、サニーさん。皆と共にアングリッドの『エゴ』を見送って下さって」


 《影送りの儀》が終わり、サニーは再びケルティーの背に揺られながらシェイドと共に帰路を歩んでいた。


 「アングリッドも本望でしょう。貴女のような心優しい女性に自分の『エゴ』を偲んでもらえたのですから」


 口数の少ないサニーに対し、シェイドは積極的に話しかけている。彼はただ単純に、昼間の活発さとは対極的な大人しさを見せているサニーを慮って気遣っているだけだ。

 しかしサニーの心中は、シェイドの想像するところとはまた別のところにあったのだ。


 「……シェイドさん。あたし、決めました」


 道半ばを過ぎ、シェイドの館が見えてきた頃、サニーは意を決して背後を振り返った。


 「はい……? 一体何を、お決めになられたのでしょうか?」


 青年紳士のきょとんとした顔が目の前にある。サニーは大きく息を吸い、彼の端正な顔に向かって決然と言った。






 「あたしも、シェイドさんのお手伝いをします。この街の呪いを解く手助けをしたいんです!」





 

 「それは……っ!」


 と、シェイドの眉が困惑に歪む。しかし彼が口を開く前に、畳み掛けるようにサニーは続けた。


 「あたしは元々アンダーイーヴズの噂に惹かれてこの街に来ました。話の真偽と謎の正体を見た今、最後までそれを見届けたいという気持ちがあるのは否定しません」


 「…………」


 シェイドは、ただ黙ってサニーの言葉を聴いていた。彼女の真意を、一変の誤り無く正確に知ろうとするように、切れ長の目がサニーを見詰める。


 「でも、それ以上に……この街の人々を助けたいって思ったんです! ベニタさんもパン屋のおばさんも、さっき集まっていた人達だって。この街の人々は皆良い人でした! アングリッドくんだって、呪いさえ無ければお母さんと二人で慎ましく普通に暮らしていた筈でしょう!」


 サニーもまた、強い眼差しでシェイドを見詰め返す。自分の中にある想いを、余さず届けたいという気持ちを込めて。


 「シェイドさんのおばあさんの呪いが、今もこの街に残っていて人々を苦しめ続けているなんて、絶対に間違ってる! そんなの、誰も得しない! もう亡くなってしまった、おばあさんを含めて!」


 そしてサニーは、一際強い口調で不退転の決意を表明する。






 「あたしは……最後まで、自分の責任を果たしたい! アングリッドくんの心の闇にトドメを刺してしまった罪を償いたいっ! ここまで関わった以上、もう引き返せないんです! 逃げるのは嫌なんです! ですから、お願いします! あたしに、シェイドさんのお手伝いをさせて下さい!!」






 シェイドはしばらく、サニーの顔をただ見続けていたが、やがて諦めたように溜息を吐いた。


 「……駄目です、と申し上げても、きっと聴き入れて下さらないんでしょうね」


 「勿論です! お手伝いさせてくれないのなら、あたしはあたしで勝手に動くだけですから!」


 当然と言うように鼻を鳴らすサニーを見て、シェイドは苦笑いを浮かべた。

 

 「そこまで仰られるのでしたら仕方ありません。本音を言えば、貴女をこれ以上巻き込みたくなかったのですが……」


 「……! じゃあ……!」


 「ええ」


 そして青年紳士は、苦笑いを極上の微笑みに変えた。




 「これからどうぞ宜しくお願いします、サニー・サンライトさん」




 「……! はいっ! ありがとうございます、シェイド・レインフォールさん!!」




 こうして、サニーはシェイドに協力する事となったのである。

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