第10話 四十年前の魔女狩り

 今からおよそ四十年前――。


 アンダーイーヴズに、幼い男児を連れたひとりの女性が転居してきた。

 女性の名はフリエ。薄紫色の髪が印象的な、若い未亡人であった。


 『夫を亡くし、故郷には居辛くなり、全てを一からやり直そうと思い、息子共々この街へ引っ越してきました。皆さん、どうぞ何卒宜しくおねがいします』


 礼儀正しく、類稀な美貌を持つ彼女をアンダーイーヴズの住民は歓迎し、十年来の友人に接するかのように親しく振る舞った。

 フリエもまた、住民達の純朴で親切な気風を心から愛し、差し向けられる厚意に感謝した。

 こうして両者の間には良好な関係が築かれ、フリエは無事に新天地での新しい生活に馴染めたのである。


 しかしフリエには、決して人には明かせない“とある秘密”があった。

 実は彼女は、この世ならざる神秘の力、《魔術》が扱えたのである。


 何故、彼女にそのような素質が備わっていたのか? アンダーイーヴズに来る前に何があったのか?

 それらの過去を、ついにフリエは終生語ろうとはせず、一切が謎に包まれたまま闇へ葬られる事となる。


 ただ、これだけは確かだ。

 フリエには、アンダーイーヴズの住民達に抱く悪意など、一欠片も存在しなかった。

 純粋に人生をやり直したくて、息子と共に人間として生きたくて、この街へ来ただけだ。

 《魔術》の存在をひた隠しにしたのも、住民達にいらぬ恐怖心を植え付けないようにする為。そこに他意など、あろう筈も無い。


 彼女は、ただ、怖かっただけだ。

 自分が異質な存在として……“魔女”として扱われるのが。






 そしてその危惧は、最悪の形で現実のものとなる――――。






 ある日、アンダーイーヴズを大きな地震が襲った。

 道路はひび割れ、家屋は傾き、人々はパニックに陥った。倒壊した家も少なくない。

 フリエの家も、そのひとつであった。

 フリエはその時外出していたので難を逃れたが、息子が家の中に残っていた。

 地震が収まった後、彼女は即座に我が家へ急行した。

 そして、瓦礫の山と化した家屋の下敷きとなっている息子を発見したのである。


 フリエは半狂乱に陥った。息子は怪我をしていたが、まだ息はある。しかし、このままでは助からない。

 愛する息子を目の前で喪う恐怖。それが彼女の理性を麻痺させた。




 フリエは、我が子を救う為に、自らに課した禁忌を破った。

 多くの住民達が自らを取り巻く中で、《魔術》を行使したのである。




 誰の手も触れていないのに宙へと浮かび上がり、次々と破砕される瓦礫の山。

 それを目の当たりにした住民達は、口々に叫んだ。




 『魔女だ!』

 

 『おお、なんと怖ろしい!』


 『私達を騙していたのね!』


 『許せない!』




 大地震が起きた直後の混乱も手伝ったのであろう。住民達の中で、フリエに対する感情は立ちどころに反転し、一気に噴出した。




 『地震も奴の所為に違いない!』


 『忌々しい魔女め! 最初からこれが狙いだったのか!』


 『殺せ! 母子共々縛り首にしろ!!』


 『ああ、魔女を殺せ!!』


 『殺せ!! 殺せ!!!』




 好意が恐怖に裏返り、恐怖が誤解を助長し、そして誤解から憎悪が生まれ、憎悪が殺意へと昇華する。フリエ親子に向けられた負の感情は、まるでウイルスのように住民から住民へ伝播し、彼らを駆り立てた。


 その有り様は、さながら中世・近世で世界を席巻した『魔女狩り』の様相そのものであった。文明が進歩し、多くの神秘が科学的に解明された現在であっても、フリエの見せたわざは奇々怪々そのもので人々の心を掻き乱して蝕むのに充分過ぎる影響力を持っていたのだ。


 フリエは逃げた。息子の手を取り、死物狂いに。


 だが、街は何処もかしこも魔女狩りの暴徒と化した住民達で一杯だった。逃げようにも逃げられない。

 フリエと息子は彼らの目から必死に隠れ、ただひたすら祈った。傍を通り過ぎる荒立たしい靴音、憎々しげに自分達を罵る声を、二人は歯の根を震わせながら聴き続けた。

 このままでは捕まって殺されるのも時間の問題だ。親子の心は次第に絶望感で染まり、生存を諦めかけた。


 しかし、絶体絶命の窮地に陥った彼女達を、すんでのところで救った人間が居た。




 アンダーイーヴズの名士として通っていた、レインフォール家の当主である。




 彼は街の住民達に先駆けて隠れ潜んでいたフリエ親子を発見し、密かに自分の馬車に乗せ、館へ匿った。

 かねてより篤実家として有名だった当主は、フリエの秘密を知っても尚、彼女に偏見を持たなかった。そして住民達から理不尽な怒りを向けられた彼女達を憐れみ、手を差し伸べたのだ。


 フリエ親子は、九死に一生を得た。


 レインフォール家の当主は二人の存在を秘匿ひとくする一方で、秘かに裏から手を回して街の市議会や王都の中央政府に働きかけ、事態の沈静を図った。豊富な財を成し、街の信望を集めていた男なだけにその効果は覿面てきめんで、知識と教養に富んだ上流階級の理解と協力を得るのにそう時は掛らなかった。


 やがて、“魔女は何処かへ逃げおおせた”と噂で広まり、住民達も次第にフリエの存在を意識しなくなった。


 それを見届けた当主はフリエに求婚し、二人は結ばれた。




 『君の存在はこれからもおおやけには出来ない。しかし息子は、時機が来れば私の子として公表しよう。なあに、子供の成長は早い。幼い頃の面影など、赤の他人はすぐに忘れるさ。だから、どうか安心してほしい。君達二人は、僕の家族だ。これからもずっと、僕が守ってみせる』




 フリエに対して立てたこの誓いを、当主は生涯を通して貫き続けた。


 フリエはようやく悲願だった平穏な幸せを手に入れた。


 しかし一方で、フリエの心の中で燃え盛る怨みの炎は消えない。自分達を殺そうとする住民達の姿が、夜毎夢枕に現れて彼女を苦しめた。




 あんなに親切にしてくれたのに。

 仲間だって温かく迎え入れてくれたのに。

 自分もそれに見合うお返しをしてきたつもりなのに。




 苦しみと怒りで狂気に駆られた彼女は、とうとう“禁術”に手を染めた。


 




 『お前達の醜い正体を、白日の下に晒してくれよう。善人面ぜんにんづらをした仮面の下にある本性を、自らの“影”に映し出せ!!』




 


 フリエは、アンダーイーヴズに“呪い”を施した。


 アンダーイーヴズに生まれ育つ人々が、太陽の光を浴びて、負の感情を育て、やがては影の怪物と成り果てるように。


 皮肉にも、魔女の存在を怖れた街の住民達によって、本当の魔女が生まれてしまったのである。






 これが、アンダーイーヴズの悲劇の始まりだった――――。

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