泣き続ける赤ん坊・第4話

 翌朝、霧斗が目を覚ますとサイドテーブルの時計は7時を示していた。

「寝過ごさなくてよかった」

起き上がってシャワーを浴び、頭を切り替える。朝食会場におりてトーストとコーヒーという軽めの食事をすませると、霧斗は身支度を整えてチェックアウトした。荷物は近くの駅のコインロッカーに預ける。病院前についたのは9時40分だった。

「少し早かったかな」

呟いた霧斗は病院の入り口の横にあるベンチに座った。診療時間のため、様々な人が病院に入っていく。その中に、制服は着ていないが明らかに未成年の学生だとわかる少女と、その母親らしき人の姿もあった。少女は不安に青ざめた顔で腹を押さえている。霧斗の脳裏に昨夜弱々しい声で泣いていた赤ん坊の声が甦った。様々な理由で生まれてくることが叶わなかった小さな命。それでも、命は、魂は確かにそこに存在したのだ。幸せはその人にしかわからない。どうか、今病院に入っていった少女が、少女の腹に宿る小さな命が、幸せでありますようにと願わずにはいられなかった。

「霧斗くん?」

ぼんやりと病院の玄関を眺めていた霧斗は百瀬に声をかけられてハッとした。

「おはようございます」

「おはよう。どうしたの?気分が悪い?」

「いえ、大丈夫です。行きましょう」

そう言って立ち上がった霧斗は百瀬と共に病院に入った。受付で院長に面会したいことを伝えると、霧斗たちを覚えていた受付の女性はまた怪訝な顔をしながらも取り次いでくれた。


 院長室に入ると、院長はデスクに向かって何か書類を書いていた。

「昨日はお疲れさまでした。何をしたのかは知りませんが、地下から赤ん坊の泣き声がすると、昨夜は大変だったようですよ?」

「それは失礼しました。仕事は無事に完了しました。ただ、あの霊安室はそのままにすればまたいずれ淀みが溜まります。そして、その淀みはあの奥の部屋に納められたものの魂を引き込む。今回は一般人に害はありませんでしたが、次もそうとは限りません。昨夜聞こえたという赤ん坊の泣き声。あれはあそこにいる子どもたちの声です。早急に供養し、今後もあのようなことを続けるつもりならそれなりの対策をするべきです」

「わかりました。依頼が無事に終わってなによりです。お疲れさまでした」

院長は一度だけ顔をあげてふたりを見るとまた書類に目を戻した。これ以上話すことはないといでも言いたげな態度にため息をつきつつ、ふたり院長室をあとにした。

「あれは全然聞いてないわね。せっかく霧斗くんが忠告したのに」

「高梨さんも確認の電話でそれとなく話しておくと言ってましたから、改善されることを祈りましょう。俺たちにできることはもうありません」

淡々とした霧斗の言葉に百瀬は「そうね」と肩をすくめた。


 ふたりが病院を出ると、まるでタイミングを見計らっていたかのように霧斗のスマホが着信を知らせる。画面を見ると電話の相手は高梨だった。

「もしもし?」

「報告お疲れさまでした。霧斗さん、折り入ってお話があるのですが、お時間をいただけないでしょうか?」

高梨の言葉に霧斗の眉間に皺が寄る。百瀬は高梨の話の内容を知っているのか楽しげに笑っていた。

「どんな話でしょうか?内容によります」

「私にあなのサポートをさせていただけないか、というお話なのですが」

「は?」

高梨の言葉に霧斗が間の抜けた声を出す。高梨は続けて護星会に所属してほしいということではないと言った。

「百瀬さんに確認してもらえればわかりますが、有能な術師をエージェントが囲うことはよくあります。護星会からの依頼を受けてもらうわけではありません。私があなたのサポートをするだけです」

「それ、あなたになんのメリットがありますか?」

険しい声で問う霧斗に高梨はそれも含めて説明したいと言った。

「…わかりました。じゃあ、明日の午前10時にこの前の喫茶店で」

「ありがとうございます。では、失礼します」

高梨との電話を切ると、百瀬が笑いながら見ていた。

「高梨からサポートしたいって言われたんでしょ?」

「はい。意味がわからない」

険しい表情で言う霧斗に百瀬は「簡単よ」と言った。

「優秀な術師はたいていどこかの組織に所属している。今はフリーだとしても、あなたくらいの腕になるときっといくつかの組織が目をつけていて、声をかける隙を伺っている。だから今のうちに唾をつけておきたいのよ。組織同士が敵対することも少なくないわ。あなたが護星会に所属しなくても、高梨が囲っておけばあなたが敵対する確率は減るでしょ?」

「なるほど。でも、サポートっていうのは?」

「それは人それぞれみたいね。宿や移動手段の手配だったり、調べものだったり。エージェントは結構色々できるのよ?ま、話だけでも聞いてあげて。高梨はああ見えて優秀だし、使える男よ。縁があればまた会いましょ」

百瀬はそう言うとひらひらと手を振って去っていった。

「はあ。なんか面倒なことになりそうだなあ」

ひとりになった霧斗はため息をつくと、駅のコインロッカーから荷物を出して、数日ぶりの我が家に向かった。

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