⑬神崎さんのあーんとおねだり

「いただきまーす」


 出来上がったカレーを前に、食卓についた神崎さんが両手を合わせた満面の笑みを浮かべた。


「い、いただきます……」


 僕もそれに少し気後れしながらも続く。

 それは別に目の前のカレーが、漫画でよくありがちな紫色でヘドロみたいな見た目の最早カレーと呼んでいいのかすら怪しい物体が完成したからとかそういのではなかった。

 ちょっと大ぶりの牛肉に、じゃがいもや人参にたまねぎと野菜がたっぷり入ってカラメルな色合いをしたカレーは、食欲を駆り立てる豊潤なスパイスの香りがほわんと鼻腔から僕の空腹をいい感じに刺激してくる。


 そんな絶品のカレーを前に何故僕が動揺を隠せないでいるのかというと――神崎さんが僕の横に肩がくっつくほどの近さで座っていたからで。


 一人暮らしをしている僕は普段、一人用のテーブルに座椅子のスタイルで家でご飯を食べている。

 それで以前、神崎さんが家に手料理を作りに来てくれた時は、前に両親がやって来た際に買った座布団を僕の対面に置いたのだけど、今日も前回と同じように食べる場所の準備をしていたら、それを見た神崎さんが「これじゃない」と不満げな顔でぼそっと呟いたかと思いきや、座布団を僕の座椅子の横にぽふっと置いて「これでよし」と満足げに頷いて座ったのだった。


「……あの、神崎さん?」

「ん、どしたの?」

「いやその、今からカレー食べるのにこんな横並びじゃ狭苦しくないですか」

「んー全然。あたしはなんも思わないけど」

「そ、そうですか。けどほら、せっかくスペースに余裕があるのだからもっとゆったり使用してもいいんじゃないかなぁって」

「ふーん。柏木は隣に座っていたのにあたしは駄目なんだ」

「へ? あのそれは一体なんの話しで――」


 まさか神崎さんが今日の柏木さんとのクレープのくだりを知ってるはずがないし――


「もー細かいことはいいじゃん。ほら、早くしないとせっかくのカレーが冷めちゃうよ」

「そ、そうですね」


 ま、まぁ本人が困ってないならそれでいいの、かなぁ。


 ――ってあれ? 

 急に神崎さんが僕の横に座った衝撃で気が動転しててそこまで目がいってなかったけど、このテーブルにはカレーの皿とスプーンが一人分だけしか、僕の前にしか置いてないいぞ。どういうことだこれ?

 まさか合掌した後で自分の分用意し忘れてた――なんて漫画レベルのドジッ子展開はないと思うけど。

 と、疑問符を浮かべて固まっている僕を余所に、神崎さんはすっと僕の前にあったスプーンを取ったかと思うとカレーをひとすくいし、


「ほい山代。あーん」


 そのまま僕の口へと運ぼうとして、


「ええっ!? ちょ、ちょっとまってください。神崎さんこれは一体なんの遊びですか……?」

「んーやだなー遊びもなにも、ほら今日はお礼であたしがご馳走を食べさせてあげるって言ったっしょ。それを実行してるだけじゃんか」

「えっ、それって文字通り食べるところまで入ってたんですか」


 てっきりご馳走を用意してくれるという意味での食べさせてあげるだと思っていたのですが。普通はそうですよね。地域によって解釈が全然ちがうとかそんなんじゃないですよね!


「はは、あったり前じゃん。ってことで。はい。あーん」


 困惑する僕の様子などお構いなしに、神崎さんがウキウキとした表情でカレーの乗ったスプーンを差しだしてくる。待たせるのも悪い気がするし、もうこなったらなるようになれだ。


「あ、あーん」


 覚悟を決めた僕は緊張で変な汗を浮かべながらカレーを口に入れた。

 一日二回も美少女からあーんされる日があるなんて。明日僕は死ぬのだろうか。


「う、うまい!」


 あまりの美味しさに目が丸くなる。


「でしょでしょ。隠し味にめちゃ自信あるからねー。よし、あたしも食べようっと」

「え?」


 神崎さんは僕にあーんしたスプーンでそのままカレーをすくうとパクッと食べた。


「んーほんとだ。美味しいねー」


 スプーンをくわえたまま幸せそうに唸る神崎さん。

 その様子をぼぅーっと眺めていた僕は、どうやら次のカレーを催促しているのだと間違われたようで、僕の視線に気付いた彼女は苦笑を浮かべ、慌ててカレーをすくった。


「あ、ごめん。はい、あーん」

「あ、あーん」


 再び差し出されたカレーを僕は緊張しながら食べる。

 これは何度やってもなれそうにないな……。


「――んふふ」

「? どうかしましたか神崎さん? 急に笑いだしたりして……」

「いやさ、お互いの唾液が混ざったスプーンで何度も食べ合いっことか、これもう一種の間接ディープキスみたいなもんだよねぇって」


 神崎さんが目をとろんと恍惚とした笑みを浮かべてそう言った。


「へ…………なななななに言ってるんですか!? か、からかわないでくださいよ!」

「えー実際その通りだと思わない? ……これでまぁあたしの勝ちっしょ」

「へ? 勝ちってなにですか?」

「んーんー、なんでもないよ。ささ、そんなことよりどうぞどうぞ。あーん」

「あ、あーん」


 そうして僕達二人は一つの皿と一つのスプーンでカレーを食べ終えたのだった。

 もちろん一人分の量だけで育ち下がりな僕達のお腹が満たされるわけはなく、二回おかわりすることになったのだけど、その度に神崎さんが立ち上がって当然のように一人分の皿だけを盛りつけて戻ってきて笑顔であーんを再開させる。

 それは風景だけを切り取って見れば、まるで新婚さんのような熱くて甘い、僕としてもちょっと憧れるシチュエーション。それもそのお相手がクラス――いや校内トップクラスの美少女たる神崎さんなだけにもう気がどうにかなりそうだった。


 けど勘違いしないようにしないと。これはあくまでも神崎さんを謹慎からすくったお礼による厚意なのであり、決して好意ではないということを。ギャルって本当にこの辺の距離感がバグってるから大変だ。


 そう心に言い聞かせて冷静さを促そうとする僕。

 一方で神崎さんはというと――


「ふー食った食った。お腹いっぱいだねー」


 僕の膝の上に頭を置き、ごろんと幸せそうに寝そべっていた。


「神崎さん、これは一体……?」

「なにって膝枕じゃん。あ、ごめ、もしかして寝る側がよかった? かわる?」


 僕の膝の上から上目使いに見つめてくる神崎さん。


「いや、そういのではなく――」


 なんでこの人はいつも付き合う気はないと公言している男に対し、こうもパーソナルスペースの概念が崩壊したような行動に出られるのだろうか。

 普通の人なら脈有りだと誤解しっちゃってもおかしくないですからね。

 これはもう一度しっかり注意すべきだよね?


「僕だって一応男子なんですよ。カレーを食べてる時からそうでしたけど、どう考えてもこれは異性の友達としての範疇を超えていると思うんです。おまけに自分の部屋でこんな無防備なことされたら、勘違いを起こしたって文句言えませんからね」


 僕が真剣な顔で忠告するも、神崎さんはちっとも届いてないとばかりににまぁーっと小悪魔のような笑みを浮かべていて、


「勘違いってなに? 襲うとか?」

「――っお、おおおお襲うって!? ――そうです。そうなっても知りませんよ。僕だって立派な男子なんです。こんなまるで誘惑されているような状況に、いつ理性のタガが外れてもおかしくないと言いますか、確かに体格差では僕の方が劣ってますが、力は僕の方が断然あるってこと、知ってますよね」


 ここは心を鬼にするべきだと僕は険しい顔で口調を強める。オーバーヒートのせいで僕は覚えてないけど、僕がオーバーヒートで苦労した結果人よりちょっと腕っ節が強いのは神崎さんも目の辺りにしているはず。ゴローさんの一件だってあるし、何かあった後じゃ遅いから。


「……いいよ。山代になら」

「へ?」

「だって山代だったらさ、やらかしちゃった後でもしっかり責任とってくれそうだし。なんて」


 そう冗談っぽく笑ってみせた神崎さんだったが、やがて頬をほんのりと赤く染めて僕の目をじっと見つめ、なにかを期待するような視線を送ってきて。


「責任、とらないなんて言わないよね?」

「え、えとそれはその……」


 どう返していいかわからず喉が固まる。

 というか、なんですかこの流れ。いつの間にか僕が襲う前提みたいになってるよね。

 こ、この状況、一体どうすれば――普通に考えたら僕が小心者なのをわかった上でからかわれてるってだけだろうから流してしまうべきなんだろうけど、でも、長い目で見て僕の人生でこんな上振れなシチュエーションは二度とこないかもしれないし、それにそれにこれも含めて神崎さんのお礼って可能性もあったりするのでは――ってそれは流石にエロ漫画の読み過ぎなのかな……。


 様々な感情と考え錯綜し、頭が熱を帯びて思考停止する。

 そんな僕を神崎さんは上気した顔でずっと見つめたままで。

 交差する視線と、加速する鼓動。


 なんともいえない空気が二人の間に流れた、その時――


 部屋の床に置いてあったお互いのスマホがほぼ同時になった。


「えっ、なに!?」

「で、電話!?」


 まるでパトカーのサイレン音を聞いたかのように、僕と神崎さんがはっとなって周囲を見回す。

 そうしてその音が着信音であると理解すると、お互いに立ち上がって各々のスマホを手に取る。


「げ、お姉だ。絶対面倒くさいやつじゃん。どうせ説教だし、直で聞くと耳にタコができるから少し離れて対応しよ」


 いかにも嫌そうな声を上げた神崎さんが、机にスマホを置いて座り、スピーカーモードで対応しようとする。

 その一方で僕に電話をかけてきた相手はというと、


「へ……木村さん?」


 なんと木村紗有里さんだった。

 木村さんとは個人で連絡先を交換したことはなく、どうにもちょっと前に作ったギャル探偵団のライムグループから僕を辿って電話してきたと思える。

 な、なんで木村さんが神崎さんではなく僕なんかに電話を……?


 頭に疑問符を浮かべながらも、ひとまず応答してみる。


『や、山代』

『麗子』


 僕と神崎さんはほぼ同時に互いの電話に出たようで、両の音声が僕の耳に届く。


『助けてくれへん山代。わたしの好きな人が例の万引き騒動の犯人として捕まってしもた』

『力を貸してくれ麗子。私の彼氏がピンチなんだ!』


「「…………」」


「へ?」

「え?」 

 

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