キリーブ少年の恋

やまだのぼる

前編

「待たせたな、キリーブ。あれ?」

 満面の笑みを浮かべて寮の談話室に現れた長身の少年は、室内をぐるりと見回して首をひねった。

「キリーブのやつ、どこに行ったんだ」

「コルエン。キリーブならいないぞ」

 ソファの一角に座って本を読んでいた体格のいい少年が顔を上げて、長身の少年にそう声をかけた。

「今しがた、街へ出かけた」

「なんだよ、あいつ」

 コルエンと呼ばれた長身の少年は顔をしかめる。

「俺が来るまで待ってろって言ったのによ」

「君が来る前に出ると言っていた」

 もう一人の少年はそう言ってまた本に目を落とす。

「君が来るとややこしくなるから、と」

「あの野郎」

 コルエンは右の拳を左手の平に打ち付ける。

 ぱん、という小気味いい音にまた少年が本から顔を上げる。

「ポロイス。それでお前は黙って見送ったのか」

「黙ってではないな」

 ポロイスと呼ばれた少年は読書を諦めたように本を閉じた。閉じる前に丁寧にしおりを挟むことも忘れない。

「ちゃんと言ったさ。気を付けて、と」

「そういうことじゃねえ」

 コルエンは唸り声をあげてポロイスに近付くと、その肩を掴む。

「行くぞ、ポロイス。どうせまだその辺を歩いてるだろ。追いつくぞ」

「なぜ僕が行くんだ」

「俺一人で行かせていいのか」

 コルエンはなぜか得意げに笑う。

「また騒ぎになるかもしれないぜ」

「ふん」

 ポロイスは鼻を鳴らして、それでも大儀そうに立ち上がった。

「自分の信用の無さを盾にするのはやめろ」

「おう、それでこそポロイスだぜ」

 コルエンはにやりと笑う。

「持つべきものは友達だな」

「誤解するなよ、コルエン」

 ポロイスはあくまで冷静に言った。

「これ以上君が騒ぎを起こすと、我々3年3組全体の問題とも捉えられかねないからな。クラス委員のルクスや担任のデミトル先生にも迷惑がかかる」

「理由は何でもいいや」

 コルエンはそう言うと、さっさと談話室を飛び出してく。

「急げよ、ポロイス。キリーブのやつ、本気の時の早足は結構速えからな」

「ああ」

 ポロイスも読みかけの本を近くの書棚に放り込むと、コルエンに続いて談話室を出た。



 ノルク魔法学院。

 ここは、大陸南部の大国ガライ王国のノルク島にある、世界で唯一の魔術師養成機関だ。

 生徒は9歳で入学し、初等部で3年、中等部で3年の学院生活を経て、一人前の魔術師としてここを巣立っていく。最近は、専門領域を研究するために高等部に進級する生徒も増えてきている。

 学院のお膝元ともいえるノルクの街は、かつては何の変哲もない漁村だったが、今では世界一の魔法の街として栄えていた。

 魔法具の店の集まる角笛通りや魔法に関する貴重な書物を扱う書店の並ぶ銀弓通りなど、この街には魔術師であれば一度は訪れてみたいと願う場所は多い。

 だがその日、魔術師の卵であるその少年が佇んでいたのは、どちらの通りでもなかった。

 青風通り。

 その名は魔術師ではなく、主に流行に敏感な女性たちの間でよく知られている。

 美しい宝石や装飾品、雑貨の類を扱う店が立ち並んでいる一角だからだ。

 その通りに入る路地近くには、一軒の花屋がある。

 まもなく本格的な夏を迎えるだけあって、店先には色とりどりの花が並んでいた。その鮮やかな色彩に、足を止めて花に見入る通行人も多い。

 花屋から少し離れた街路樹の脇の、店が良く見える場所に、少年は一人で立っていた。

 初等部の3年生にしては、背が低い。

 まだ初等部の1年生か、せいぜい2年生くらいにしか見えなかった。

 店の入り口をじっと見つめていた少年は、やがて、はあ、とため息をついた。

「何が、はあ、だよ。キリーブ」

 その声に少年はぎくりと振り返る。

「貴様。コルエン」

 少年は絶望の吐息を漏らした。

「どうして、ここが分かった」

「どうしても何も、つけてきたからに決まってるだろ」

 コルエンは悪びれもせずに答える。

「来る途中に声をかけたんじゃ、本当にお前が行きたい場所にたどり着かねえと思ってな。そっとつけてきた」

「卑怯な真似を」

 キリーブと呼ばれた少年は歯噛みして、コルエンの後ろに立つ少年に目を向けた。

「ポロイス。お前の差し金か」

「僕はまあ、コルエンの監視役といったところだ」

 ポロイスは肩をすくめてそう答える。

「別に、君の邪魔をするつもりはない」

「俺だって邪魔なんかするつもりはねえよ」

 コルエンが楽しそうに言う。

「だけどよ。あんな風に出ていかれたらかえって気になるじゃねえか」

「ぐぬ」

 キリーブは呻く。

 この日は学院の休日だった。

 街へ繰り出そうとしていたコルエンは、ちょうど出かけようとしているキリーブを見付けて、一緒に行こうぜ、と声をかけた。キリーブは、それなら談話室で待っている、と答えたのだが。

 キリーブはコルエンと別れた後、大慌てで寮を出ていた。

 自分がこれから行く場所を、コルエンには絶対に知られたくなかったからだ。

「君は嘘が下手だな」

 ポロイスが嘆息する。

「もう少し言い様があっただろうに」

「うるさい」

 キリーブは甲高い声でポロイスの言葉を遮る。

「誇り高き貴族であるこの僕が、嘘などつけるものか」

「嘘自体はついてるじゃねえか」

 コルエンが笑う。

「それが下手くそだっただけで」

「うるさいうるさい。とにかく僕の邪魔をするな」

「今回のキリーブの女神さまは、そうするとあそこの花屋の店員か?」

「店員などと、そんな平民は僕の相手にはふさわしくない」

 キリーブは首を振る。

「もっと高貴な女性だ」

「まあ確かに僕ら貴族の相手を平民がするのは難しいだろうな」

 ポロイスも冷静に頷く。

 キリーブもポロイスも、ガライ王国の貴族の息子だ。

 貴族でも平民でも身分に関係なく平等に教育を受けられるノルク魔法学院の生徒ではあったが、二人ともその辺りの線引きははっきりしており、平民出身の生徒とはほとんど関わろうとしなかった。

「お前らは、またそうやって」

 コルエンは呆れたように鼻を鳴らす。

 コルエンも中原の国の貴族の子弟だったが、彼の学院での過ごし方は二人とは違う。面白そうな生徒がいれば貴族出身だろうと平民出身だろうと気にすることなく、どんどん交わっていくのだ。

「平民の女子にだって可愛い子はいくらでもいるだろ。1組のチェルシャとか2組のリルティとか」

「女子の名前はいちいち覚えてない」

 ポロイスがそう言って首を振る。

「興味がない」

「その通りだ」

 キリーブも胸を張る。

「興味がない」

「嘘つけ、キリーブ」

 コルエンは顔をしかめる。

「この間の合同授業の時、お前ずっとよそのクラスの女子ばっかり見てたじゃねえか」

「そ、そそそそんなことはない」

 顔を真っ赤にしたキリーブが慌てて反論しようとするのを、コルエンは冷静に止めた。

「おい、キリーブ。お前の目当てはあの子か?」

「なに?」

 振り向いたキリーブの顔が別の理由で真っ赤に染まる。

 一人の少女が花屋の店先で花を見つめていた。歳はちょうど三人と同じくらいか。

 ちらりと三人にも見えた横顔は、確かに美しく整っていた。

「おう、やっぱりあれか」

 キリーブの表情を見て、コルエンは頷く。

「可愛いじゃねえか」

「だが、あの少女は貴族ではないな」

 ポロイスが腕を組む。

「服装からして、おそらく裕福な商人の娘といったところか」

「2組のセラハと同じだな」

 コルエンは隣のクラスの同級生の少女の名前を出す。

「それじゃだめか。貴族じゃねえなら……おい、キリーブ」

「許容範囲だ」

 赤い顔でじっと少女を見つめながら、キリーブは言った。

「裕福な商人の娘なら、いずれは貴族に取り立てられるかもしれない。ならば将来の仮想貴族として扱ってもいいだろう」

「ひでえ理屈だな」

 コルエンが笑う。

 少女はすでに店の人間とも顔見知りになっているようで、笑顔で言葉を交わしている。その仕草も楚々としていて、可愛らしい。

「初めてあの子を見た時は、胸に衝撃が走った」

 少女から目を離すことなく、キリーブは言った。

「彼女は午前と夕方の二回、ここを通るんだ。だから授業が終わると急いでここに来るのが僕の日課になった」

「それで最近、やたらと急いで帰ってたのか」

 コルエンがようやく合点のいった顔をする。

「でもデミトル先生の授業が長引いた時にあんまり煽るんじゃねえぞ。あれがあの先生のペースなんだから、もっと気を使ってやれ」

「時間通りに終わらせられないのは先生の責任だ」

 キリーブは答える。

「そのせいで彼女を見られなかったらどうしてくれるんだ」

「優しさだ、キリーブ。先生に対する優しさ」

 ポロイスもそう口を挟むが、キリーブは首を振る。

「僕の限りある優しさは、そんなところには向けられない。もっと有意義に使わせてもらう」

「でもあの子、地元の人間じゃねえな」

 少女を見つめながら、コルエンが言った。

「俺がこの島に来てから、一度も見たことがねえもの」

「そうだな」

 ポロイスも頷く。

「おそらく親の商売か何かで一時的にこの島に滞在しているのだろう。知り合って親しくなったとしても、別れはすぐに来てしまいそうだな」

「文通という手段もある」

 キリーブは答えた。

「知り合いさえすれば、そこから先の可能性は無限大だ」

「文通か」

 コルエンが苦笑する。

「かったりいな、それ」

「なんだと」

「で、どうする気だよ。キリーブ卿」

 コルエンはからかうような目でキリーブを見た。

「こんなところからじっと見ていたって、いつまでたってもあの子とお近づきにはなれねえぜ」

「卿はやめろ」

 キリーブはコルエンを睨む。

「僕だって、そんなことは分かっている。大丈夫だ。ちゃんと作戦は考えている」

「ほう」

 ポロイスが珍しいものを見るようにキリーブを見た。

「いつも見ているだけの君が作戦とは、珍しいな」

「同じ失敗ばかりを繰り返す僕ではない」

 キリーブは胸を張る。

「あそこの店先の一番いいところに置かれている花」

 そう言って、花屋の店先を指差す。

「あれが何だか分かるか」

「ガライノユウゲショウだな」

 ポロイスが即答する。

「夏の夕焼けを思わせる花の色が美しい。ガライの夏を彩る代表的な花だ」

「その通り」

 キリーブは頷く。

「では、ガライノユウゲショウの花言葉を知っているか」

「花言葉?」

 ポロイスは眉をひそめてコルエンを見る。コルエンも肩をすくめて首を振る。

「知るわけねえだろ」

「あなたを見つめています、だ」

 キリーブは言った。

「つまり、こういうことだ。彼女はいつものようにあの花屋の店先で花を眺める。そして、ふと鮮やかなガライノユウゲショウに目が留まる。あ、この花はガライノユウゲショウ。そうね、もうそんな季節ね。もうすぐ夏が来るんだわ。そして彼女は当然のように、この花の花言葉を思い出す。そういえば、この花の花言葉は、あなたを見つめています、だったわ。もしかして私のことを見つめている人もいたりして……なんて、まさかね。そんなわけないか。そう考えながらも彼女はふと周りを見回す。そして、ここに立つ僕と目が合うんだ。僕は言う。こんにちは、お嬢さん。ずっとあなたを見つめていました。まあ、そんな。恥ずかしい。彼女は頬を染める。とまあ、こういう寸法だ」

「おい、なんかえぐいこと言い出したぞ」

「何がえぐいだ」

「発想がだよ、発想がえぐい」

「何だと、貴様。言うに事欠いてえぐいとは何だ」

「キリーブ。僕もさすがに今の話は擁護しかねるな」

 そんなことを言い合いながら三人が花屋の店先の少女を眺めている時だった。

「あれ?」

 コルエンが異常に気付いた。

「おい、あれ少しやばそうじゃねえか?」

 その言葉通り、少女の周囲をいつの間にか三人の男が取り囲んでいた。

 普段は陽炎通りあたりの賭場にでもたむろしていそうな、青風通りにはそぐわない男たちだった。

 少女は花を見つめていて、まだその男たちに気付いていない。

「本当だな」

 ポロイスも真剣な顔になる。

「なんだろう。キリーブ、彼女にはああいったお知り合いもいるのか」

「いや、まさか」

 キリーブは首を振る。

「僕も初めて見るな。彼女にはそぐわない連中だ」

 その時、振り返ってようやく男たちの存在に気付いた少女の顔が強ばった。

「面白くなってきたな」

 コルエンが楽しそうに呟く。

「やっぱり休日はこうでねえとな」





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