第8話 発掘された絵 7

「……ねむ」

 宿のベッドに身を起こしたルーチェは、まるで変温動物のように窓から射し込む日光を浴びてしばらく動かなかった。

 眠りが浅い。

 エルフは永き時を生きるがゆえに膨大な記憶を有している。しかし多すぎる記憶は脳に負担をかけ、眠っている間に記憶の整理を行うことがある。そのため、眠っても休めないことが定期的に起こる。ルーチェはだいたい、五十年ごとに脳への負担が増す。


(そろそろ儀式が必要かな)


 エルフは記憶を整理するための儀式を定期的に行う。そうしなければ脳が保たないからだ。

 だが、忘れたくない記憶だけは様々な方法で残していく。そして、その記憶を探すためのヒントを残す。自身の、もしくは他のエルフの記憶を探すために旅をする。それは、永い時を生きるエルフの暇つぶし。もしくは、再会でもあった。

 窓の外の歓声が室内にまで響いてくる。寝不足の頭にはつらい。ルーチェはあきらめて服を着ると、アクビを噛み殺しながら一階の食堂へと下りていった。

 ふと、ポケットに入っていた紙に指が触れる。特殊な植物を使った、エルフにしか作れない紙に書かれているエルフ語を思い出す。


『芸術祭に行ってみよう』


「……言われたとおり、来てみたけどね」

 なにかヒントがあるのか、空振りに終わるのか。それはルーチェにはわからなかった。

 食堂は朝から満員で座る席などなかった。しかたなく食事は外ですませることにして、ルーチェは熱気あふれる町中へと繰り出した。

 大陸全土を巻き込んだ大戦が終結してから初めての芸術祭。その盛り上がり方は異常だった。大通りは人で埋め尽くされて真っ直ぐ歩くこともままならない。通りの両側に並んだ露店や屋台がさらに道を狭くしている。

 目についた屋台で串焼きを買い、人波に流されるように通りを進む。

 客引きの声。売り子の宣伝。胃に襲いかかる匂いの暴力。

 吟遊詩人が歌い、遠くからは楽団の演奏が微かに聴こえる。

 踊り子が舞い、奇術師が手品で客を驚かせる。

 歓声。笑い声。時々怒声。

 人の多さと熱気はエルフの里とはあまりにも違いすぎて、ルーチェは少し熱気に酔ってしまった。

 休憩のために広場の端に寄ると、すぐ近くの露天商に声をかけられた。

「エルフのお嬢さん、よければ見ていかないかい? 最近、突如出現した遺跡からの出土品だよ」

「突如出現した?」

「ああ、ルマーレのすぐ近くの草原に、まったく突然に遺跡が出現したのさ。そりゃあもう、大騒ぎだったよ。どこか別の場所から転移してきたんじゃないかってね」

 ざわり、と。ルーチェの心がざわついた。

 その原因が商品にあるのかと思って目を向けると、売れると判断したのか、店主は次々と商品の説明を始めた。

 希少金属製の装飾品、作り方のわからない壺や箱。歪みひとつないガラス球などなど。それら商品のひとつに、ルーチェの視線は釘づけになった。

「……その絵は?」

「ああ、これかい。キャンバスの素材不明、顔料、染料不明。一体どうやったらこんな絵が描けるんだろうねえ」

 自慢げに店主が見せた絵には、町をバックに微笑む少女が描かれていた。まるで景色を切り取ったかのような、緻密な絵。

「タイトルらしきものが後ろに書かれてるんだよ。ネサジェータン、古代語で管理者って意味だとさ。……って、お嬢さん、どうしたんだいっ!?」

 気がつけばルーチェの双眸から涙が溢れていた。

「名前ですら……なかったんだ」

 不意に口をついて出た呟き。ルーチェはなぜ、自分がそんなことを呟いたのか、わからなかった。

 困惑する店主を前に、ルーチェはただただ、涙を流し続けた。



補足:1と7が現在。2~6が過去の話になります。

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ルビーの涙~忘れるための物語~ トマト屋 @nagisawa-awayuki

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