第二十一話 白の鍵

「忘れてしまったって……ミラー家がこの辺りの土地を開墾したとき、地霊として荒れ地だった土地に恵みを与えたとか、そういうことじゃなかったのか?」

「そ、そうよね……そのお礼として、祭礼をしてきたってことだと思うし」


 柱に縛られた子供が、かすかに笑う気配がした。外見の年齢にそぐわないほど、大人じみた表情で。


「ボクはただ、退屈していただけだよ。ずっとこうしていることに……だから、遊んであげたのさ。ボクが干渉できる範囲の地上に恵みを与え、代わりに楽しませてくれるように求めた」

「……それで、楽しませる方法として選ばれたのが、舞いと音楽だったということか」

「そういうことだね。乙女が舞い、音楽は鳴り響く。満天の夜空の下で、光り輝く祭壇を取り囲んで……そんな光景に、ボクの胸はおどるんだ」

「まだあどけない少年というふうに見えるのに、意外とませて……いえ、見た目通りじゃないんですよね、年齢は」

「少なくとも君の百倍くらいは生きていると思うよ」

「ひゃくっ……けほっ、こほっ。どれくらい縛られちゃってるんですか……?」


 子供は何も答えない。赤みがかった長い髪が揺れて顔にかかり、目元が隠れる。


「……どちらにせよ、君たちがここに来たのは何かの偶然だろう。もう一度魔法陣を作ってあげるから、地上に戻るといい」


 そう言ったあと、呪文のような言葉を小さな声で呟いただけで、何もなかった床に魔法陣が生じる。


「ボクが話せることはもう何もない。上の子たちに祭礼を求めることもしないよ」


 俺たちに早く立ち去るようにと促している。


 しかし、どうしても俺には、このままこの子供が縛られたままでいていいとは思えない。見た通りの子供ではなく、俺たちより遥かに長く生きている存在でも。


「ここに縛られているのは、この辺りの土地に豊穣をもたらすためとか、そういうことじゃないんだな」

「初めはそうだったけど、今は違う。荒れ地に作物が育つようにしたあと、それが保たれるようにしたのは人間の力だよ。ボクは雨が降らないときに降らせるとか、少し手助けをしているだけさ」

「……それで多くの人達が助けられてるのは間違いないが。この場所を離れること自体は、問題ないんだな」

「……見れば分かるけど、この鎖は解けないよ。この辺りにいる人間は、最高でもレベル5くらいがいいところだ。この鎖を何レベルで解けるかはボクにも見当がつかない」

「俺のことは、普通にレベル1に見えてる……そういうことか?」


 子供は少し顔を上げて、こちらを見る。変わらず微笑んだままで。


「こんなところに、この鎖を解ける人物は来ない。もちろん、君も……」

「俺ならできるかもしれない。俺は、あんたと同じ……見た目通りの『レベル1』じゃないからだ」

「……君は、何を……言って……」

「どうして作物を魔物に変えたりしたのか。祭礼を続けさせたのか……それは……」

「知ったようなことを言わないでほしいな。ボクは、ただ……っ」


 声を荒げてしまえば、答えを言っているのと同じだ――リスティたちも気づいている。


「……寂しかったのね。ずっとここで、一人で……」

「……ボクはきっと、そんな感情を持つべきですらない。そういう存在のはずなんだ」

「そう決まったわけでもあるまい。その鎖から抜け出すこと自体は、何も悪いことだとは思えない。人々のために力を使ってきたのなら」


 そう語りかけるプラチナの声は穏やかだった。このままにはしておけない、全員が同じ気持ちだ。


「……でも……この鎖は、きっと誰にも……」

「聞きたいのは、自由になりたいかどうかだ。それを聞けば、やることは一つだからな」

「どうしてそこまで……ボクは魔物を操って、君たちに敵対したのに」

「それは……理由があったのなら、仕方がない。ここを出たら、迷惑をかけた人に謝るくらいはしてもらうし、許してもらえるかはその人たち次第だけどな」

「え、えっと……絶対に駄目ってことはないと思うんです、希望的な観測にはなっちゃいますけど」

「うむ、謝ってもだめなことはあるが、同じくらいに人々のためになることもしてきたのではないか?」


 ナナセとプラチナが言うことは、確かに理想論かもしれない。地霊と呼んでいた相手が出てきたら、ミラーさんたちは戸惑うだろう。


 だが、何事もやってみなければ分からない。やる前から諦めるという選択はない、それが信条だ。


「……あなたは、どうしたい? マイトならきっと、あなたを助けてくれるわ」


 リスティが問いかける。子供は俯き、また顔が隠れてしまう――しつこく食い下がるので、呆れてしまっただろうか。


「……たい……」


 小さな声が聞こえる。まだ、俺たちにははっきり届いていない。


「……ここから出たい。この鎖を、解いてほしい」


 かすれるように切望する声が、俺の耳に届いた瞬間だった。


 土の柱に子供を縛りつけた鎖。その上に、錠前ロックが浮かび上がる。


 俺にしか見えていない。縛りつけられている本人ですら、目の前に浮かんでいる錠前を視認できていない。


「……どうにもならないと分かっていても、言ってしまった。まるで格好がつかない……全部、君のせいだ」

「やっぱり、作り笑いじゃないか。そんな目に遭って、その理由も分からないで、怒らないわけがない」

「ああ……こんな目に遭わせたのが神か何かなら、呪いの一つもかけたくなるよ」


 怒って、笑って。けれど、泣きはしない。


 人知を超えた存在でも、人間に通じる感情はある。同様に、自由になりたいと思う権利も。 


「みんな……ちょっと待っててくれ」

「この鎖を、外せるの……?」

「マイトの魔法で鍵を作っても、鍵を入れる場所がなければ……」

「……そういう常識は、マイトさんには通じないんですね……きっと……」


 祈るような三人の声。俺は右手を開き、念じる――持てる全ての魔力を込めて、鍵を創り出す。


「……来い……っ!」


 掌の上に光が集まり、鍵の形を形成していく。今まで作ったものとは比較にならないほど複雑で、大きな鍵が作られていく。


(これが、鎖を解く鍵……また魔力を全部使い切りそうだ……だが……!)


「……まさか……魔力を物質化させて、鍵を……」

「ああ……今の俺の、ありったけで作らせてもらった。これであんたの『錠前ロック』を開ける……!」


 鍵穴に鍵の先端を当てる――錠前より大きな鍵が、穴に吸い込まれていく。


 そして、錠前が光の粒になって弾ける。直後、鎖が跡形もなく砕け散った。


「っ……」


 解放された子供を抱きとめる。ぐったりと脱力していて、消耗した今の俺では支えるのがやっとだ。


「……こんなふうに驚くのは、初めてかもしれない。君は人間なのに……人間じゃないボクを、驚かせる……」

「俺もよく分かってはないんだけどな……鍵を開ければ、何かが起こる。どうも、そういう力みたいだ」


 そうとしか説明のしようがない。しかし拙い説明でも、一部は伝わったようだった。


 子供はそのまま目を閉じてしまう。小さく寝息を立てている――どうやら、眠っているようだ。


「マイトの鍵って、鎖を壊すようなこともできるのね……それとも、今回の鎖が特別だったの?」

「俺にも全部は把握できてないんだが……とりあえず、上手くはいったな」

「マイトの鍵には謎が多いということだな。しかし、その鍵で全てが上手くいっている」

「……それだけじゃないですよ。マイトさんがそういう人じゃなかったら、きっとこの子を助けられてないですから」


 ナナセが微笑む。そして俺は目をみはる――彼女の胸の前に、錠前が現れている。


 ――『ロックアイI』によって発見したロックを一つ解除――


 ――ロック解除した相手に対して『封印解除I』使用可能 絆上限を解放――


 錠前が光の粒になり、消える。今まさに、ナナセとの『絆』が強まったということなのか。


「マイト、その子は私が運ぼう。かなり消耗しているようなのでな」

「あ、ああ。これくらいなら……」

「何言ってるの、足が子鹿みたいに震えてるじゃない。魔力の消耗は怖いんだから」

「こういうときは支え合いの精神ですよ。私が歩けないときは運んでもらいますので」


 リスティとナナセが左右から支えてくれる。それは助かるのだが――二人とも、自分の格好を度外視するのは勇気がありすぎじゃないだろうか。


「さて……この子が作った魔法陣を使い、脱出するとしよう」


 プラチナの言葉に頷き、魔法陣の上に移動する。


 ――ここに来るという判断をして良かった。プラチナの腕の中で眠る、地霊と呼ばれていた子供を見ながら心からそう思った。


   ◆◇◆


 女神の空間に、月が浮かんでいる。


 紺色の空の下で、女神ルナリスはマイトたちの姿を空間に浮かび上がらせ、見つめていた。


 ――地霊の祭壇から転移した先の、さらに奥。マイトたちは知らず異空間に入り込み、土の柱に縛られた子供を見つけた。


「……地母神ウルスラ……あんなところに封印されていたなんて」


 子供の姿をしているが、本来の姿は異なっている。ウルスラは、ルナリスたちと同じように神性を持つ者の一人だった。


「マイトは神の封印さえ解くことができる……『白の鍵』があれば、他に封じられた神も、あるいは……」


『……姉様』


 イリスの声が聞こえ、ルナリスはマイトたちの映像を消す。


 何もない空間に七色の光が生じて、それは混じり合い、イリスの姿に変わっていく。


「そろそろ、『次』の準備を始めてもいいでしょうか?」

「……魔竜レティシアは役目を終え、今は眠っています。他の『魔王個体』を召喚するのですか?」

「はい。聖騎士ファリナはまだ未完成……より完成に近づけてから『神駒ピース』としたいのです」

「あなたは『神駒』の候補を弄びすぎる。そのようなことを、主は望んでは……」

「私は女神としての役割を果たしているだけです。弄ぶなんて言い方は、姉さまらしくないですね」


 戯れるような妹の言葉に、ルナリスはただ目を閉じる。イリスはルナリスに近づくと、姉の肩に手を置いて囁いた。


「人間たちはすぐに脅威を忘れ、弱くなります。魔竜がいなくなった世界には、代わりを用意してあげないと」

「……レティシアのように、理性がある存在とは限らない。分かっているのですか?」

「私たちを脅かすのなら、そのときはまた『英雄』に助けてもらいましょう」


 イリスは微笑み、姉から離れると、夜の世界から姿を消した。


 ルナリスはもう一度マイトの姿を空間に浮かび上がらせ、見つめる――彼らは救い出した相手が神であることも知らずにいる。


「……『賢者』の力が、どのようなものか。確かめなくては」


 その呟きは誰に届くこともなく、白い髪を持つ女神の姿もまた消え去る。あとに残されたのは夜空と、物言わぬ月だけだった。

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