第16話 結晶潰し


 その夜、セーレムが眠りについたのを見てから、ミランダ様のお部屋に入った。ミランダ様は既にベッドにいて、一服していた。窓から夜空の光が漏れ、ミランダ様の背中を照らす。赤黒いナイトガウンに身を包んだミランダ様。部屋中に漂う花の焼けた匂い。はあ。思わずため息を吐いてしまう。なんて艷やかでエロティックな姿だろう。あたしもこんな魅力的な大人の女性になりたいなぁ……。


「何ボサッとしてるんだい。早くおいで」

「し、失礼します……」


 四日ぶりのミランダ様のお部屋。なんだか実家に帰ってきたような、懐かしい気持ちになる。


(……えっと……)


 あたしは地べたに座り、ミランダ様のお膝に頭を乗せてくっついた。ふう。落ち着く。


「そこじゃないってんだよ。隣だよ。隣」

「えっ!?」

「え、じゃないよ。早く隣に来いってんだよ。今日何度目だい。察しな!」

「しゅん……」

「早くおいで」

「はい……(頭撫でてもらえなかった……)」


 言われた通りミランダ様のお隣に座る。うわ、なんかドキドキするな。いつもならベッドに入ったらすぐ寝てしまうし、こうやってミランダ様のお隣に座って、というのは、あまりしたことがない。


「あの……結晶を取り除くのって……痛いんですか?」

「人による」

「あっ、そうなんですね!(じゃああたしはきっと痛くない類に入るな!)」

「多くは痛いって言うけどね。注射のイメージだったらわかるんじゃないかい?」

(え!? それ絶対痛いじゃん!! 怖い!!)

「とりあえず着てるもの脱ぎな」

「……はい?」


 聞き返すと同時に、ミランダ様がナイトガウンを脱いだ。


「ひぇあっ!!!!????」


 あたしは思わず赤面し、慌てて両手で目を隠す。


「み、み、ミランダ様! お、おー美しい体が丸見えでございます!」

「誰のせいだと思ってるんだい」

「み、みら、ミランダ様が、全裸になる必要があるんですか!? 一体何故!? ごちそうさまです!」

「こっちの方が魔力を流しやすいんだよ。わかったらよだれ拭いて脱ぎな」

「あ、わ、わかり、ました。ぜ、……全部脱ぐんですか……?」

「ルーチェ、私は男かい?」

「……」

「……下着は残していいよ」

「……はい……(……ブラジャーしてくればよかった……)」


 結局ぱんつ以外を全て脱ぎ、羞恥心いっぱいで、せめて胸を両手で隠すとミランダ様に鼻で笑われた。


「誰もお前の小さな胸なんか見ないよ」

「……めちゃくちゃ恥ずかしいのですが……」

「誰だって生まれた時は裸なんだよ」

「わかってます……。わかってますけど……」


 ミランダ様があたしの髪の毛に触れた。びくっ! と体に力が入る。ミランダ様がため息を吐き、あたしの肩にシーツをかけた。少しホッとする。ミランダ様があたしを包むように抱きしめた。また緊張で身が硬くなる。ミランダ様があたしの耳に囁いた。


「力抜きな」

「抜いてます」

「どこがだよ。ガチガチじゃないのさ」

「……脱力の仕方を忘れました」

「深呼吸」

「すーふー」

「繰り返す」

「すーふー」


 直接あたしの背中に触れるミランダ様の右手から、ゆっくりと魔力が流れてくるのを感じた。


(うわっ、きた!)


 ミランダ様に抱きつくと、あやすように背中を撫でられた。情けない。でも、いや、これは、やればわかる。怖い。注射器が目の前で準備されていて、刺されるのをひたすら待ってる時と同じ感覚。


(せめてあまり痛くないようにしてください!)

「痛い! 痛い! 痛い! こら! ルーチェ! 脱力!」

「すーーふーー!」

「ったく……やりづらいね……」

「す、すいません……。でも、こ、怖くて……いた、痛いんですよね?」

「人による」

「うう……!」

「……痛くしないようにするから、静かにしな」

「い、痛くないですか?」

「善処はするよ」

「ううっ……!」

「あのね、お前が悪いんだよ」

「せめてや、優しくしてください……!」

「はいはい。わかったから」


 あ、左手から流れてきた! あ……あああああ!


「み、ミランダ様ぁあ……!!」

「うるさいねぇ。痛くしてないだろう?」

「グ、グズグズしてますぅ……!」

「マッサージだと思いな。あれもグリグリされたら痛いだろ」

「……注射器じゃないですか?」

「人による」

「ひぅいいい……!」

「ルーチェ。……あんまり騒ぐとすごく痛いのが待ってるよ」

「……」

「深呼吸」

「すーふー!」


 しばらくガチガチに身を固めていたが、ある程度のミランダ様の魔力があたしの中に入ってくると、なんだか恐怖よりも眠気がやってきた。


(なんか……ふわふわしてきた……)


 ミランダ様に抱きつきながらとろけていく。


(寝ちゃいそう……)


 温かい魔力があたしの中で巡回する。血行が良くなり、どんどん頭がぼうっとしてきた。


(ミランダ様……)


 ミランダ様の匂いがする。ミランダ様の温もりを感じる。腕に力を入れると、ミランダ様があたしの背中を撫でた。反応してくれる。あたしは頭をすりすり動かしてみた。ミランダ様が吐息混じりに薄く笑い、あたしの頭を撫でてくださった。


 落ち着く。温かい。……。……はっ。


「あたし、寝てません」

「うん。そうかい」

「……、……ふはっ……、ね、寝てません!」

「ああ。そうかい。そうかい」


 貴女の手がとてもお優しくて、とても温かくて、おかしくなってしまいそう。恐怖なんてどこにもない。痛みなんていつ起きる? ただ、気持ちよさだけを感じる。


(ふはぁ……寝てしまいそう……)

「ルーチェ」

「んっ」


 唇が重なった。直接、芯の太い魔力が流れてくる。あたしの中にいたミランダ様の魔力と合流した。そして……動き出す。


(……あれ……)


 破裂した。


「っ!」


 眠気が一気に醒め、目を見開き、後ろに下がろうとするとミランダ様があたしの両手首を押さえた。口を離そうとすれば舌を絡まれた。それでも後ろに下がろうとすると、ミランダ様があたしを押し倒した。


「んーーーーー!!」


 体内で何かが爆発し、その破片が体中にべったり突き刺さる感覚。


「んっ!! んんんーーー!!」


 痛い!!


「やっ」


 ミランダ様の唇を噛むと、ミランダ様が口を離した。


「い、いたっ……!」


 ミランダ様が再び口を重ねてきた。


「んぐっ! んん!」


 ミランダ様が一瞬あたしの手首を離し、その手で指を鳴らした直後、あたしはベッドに貼り付けられ、動けなくなった。


「んーーーーーー!!」


 悲鳴を上げる。ミランダ様の魔力が流れ続ける。また痛みを感じる。涙が出てきた。魔力が注がれる。また体内に破片が刺さった痛みが起きた。暴れたいのに足が動かない。失禁した。構わない。痛い。それどころじゃない。痛い。


(死ぬ! あたし死ぬ!! 死ぬ!!)


 小さなものが壊れていく。悲鳴を上げる。けれどまだ巨大な結晶が残ってる。ミランダ様の魔力が結晶を削り始めた。一回削ると100の欠片があたしに突き刺さる。二回削ると300の欠片があたしに突き刺さる。


 痛みが麻痺することはない。永遠に痛い。慣れることはない。ずっと新しい痛みが来る。気絶することはできない。実際には何の攻撃も受けていない。こんなに痛いのに。体が震える。涙が溢れる。吐きそう。ミランダ様が手を伸ばし、


 優しく、あたしの頭を撫でた。


「……」


 気が付くと、ミランダ様の背中に爪を立てていた。


(……あっ……)


 それでも痛みがやってくる。


「っ!」


 口から、背中から、ミランダ様に触れる肌という肌の穴から魔力が注がれる。結晶が小さくなるに連れて、痛みが倍増してくる。ミランダ様が口を離し、息を吸った。


「っ……くそ……しつこいっ……ね……!」

「げほげほっ! ぜえ! ぐすっ! はあ! ぜえ! ぜえ!」

「ルーチェ、深呼吸!」

「はあ! すーー! はあ! ぜえ! はあ!!」

「でかいの入れるからね! いいかい!」

「はぁ……はいっっ!」


 ミランダ様があたしを抱きしめた。深呼吸する音が聞こえると、あたしの目がぎょっと見開かれた。


「っ」


 入ってくる。


「あがっ……」


 手に力が入る。


(あ、無理。これ、無理)


 受け止めきれないのに、無理矢理入ろうとしてくる。


(無理。絶対無理。入らないです。ミランダ様)


 ゆっくり入ってくる。


(や、いた……)


 強烈な痛みが体中に響く。


(痛い、いた、痛い、痛い……)


 ――一気にねじ込まれた。


「っっっつ!!!!」


 無意識に、ミランダ様の背中に爪を立て、肩に噛み付いていた。


「〜〜っっっ!」


 ドでかい魔力が結晶が崩した。破裂して、あたしに刺さって、でもほのかに残ったジュリアの魔力が面白がるようにその場から逃げ出した。あたしの背中がぴんと伸びた。ミランダ様の魔力が追いかけた。あたしは悲鳴を上げた。やめて、動かないで! 痛い!


「ミランダ様ぁああああああ!!!!!」


 ミランダ様があたしを押さえつける。


「いやぁあああああああああああ!!!!」


 魔力が暴れ回るたびに、あたしの中には痛みが暴れ回る。痛い! 魔力が逃げる。痛い! 魔力が追いかける。


「いだっ! やっ! あっ! うっ! あっ! やだっ! あっ! あっ!!」


 ミランダ様があたしの頭を撫でた。


「あがっ、うっ、ぐっ……!」


 魔力が追いついた。ジュリアの魔力が振り返った。


「っ」


 ミランダ様の魔力がジュリアの魔力を呑み込んだ。










「……」



 痛みが嘘のようになくなった。


 ミランダ様が息を切らし、あたしに被さる。あたしは涙を流しながら、ミランダ様に潰される。頭に冷静さが戻ってくる。ミランダ様の背中にあたしの爪の痕。そして肩にはあたしの歯の痕。ベッドには失禁した跡。


「……ごめっ……ぐすっ……なさい……っ」

「……ああ……疲れた……」


 ミランダ様が起き上がった。あっ!


「みら……んだ……ひぐっ……様……ぐすっ、汗……が……」

「はあ……。あの根暗ワカメ女……。今度会ったらタダじゃおかないよ……」


 副作用で血の色の汗を流すミランダ様が机に置いてた魔力を飲み、汗を拭い、指を鳴らそうとして……杖を持ち、振ると、新しいマットレスとシーツが並んで行進し、古いのは庭へと干された。あたしは震える足でベッドから下り、濡れたパンツを脱いだ。全部脱げって、そういうこと……。


(やっば……。放心状態……)


 すっげー痛かった……。


(結晶こわ……。着替えないと……)


「ルーチェ、これで拭きな」

「え、で、でも……ん……すみません……」


 濡れたタオルを渡され、体中拭く。見上げるとミランダ様が汗を拭き、ガウンを着るところだった。


「……あの」

「お礼は家事で全部返しな。今までの倍でだよ」

「そ、それは、はい。もちろんですが……あの、お背中、い、痛く……」

「痛いよ」

「ひぐっ! ぐすんっ! すっ、すみませんっ!! ぶわっ!」

「肩もね」

「ごめんなさい!! ぶわっっ!!」

「そうだよ。反省しな。よくもベッドにおしっこしてくれたね」

「ごめんなさい……ぐすっ」

「痛みは?」

「もう、あの……ぐすっ……大丈夫です……」

「……ならいいよ」

「ちょっと……休んでから……ひぐっ……着替えてきます……」

「ああ、いいよ。来させるから……」


 あたしのパンツが洗濯機へ飛んでいき、代わりに階段から新しいパンツがやってきた。ふらふらになりながらなんとか下着を着用し、パジャマに着替える。新しいマットレスとシーツに取り替えられたベッドにミランダ様が力尽きたように倒れた。それを見ていると、ミランダ様が首を動かしてあたしを見てきた。


「動けるかい?」

「……一緒に……寝ても……いいですか?」

「おいで」


 隣を叩かれ、その場所の隙間を埋めるようにあたしが寝転んだ。この場所だけはアンジェちゃんにも譲れない。ベッドの窓側。壁とミランダ様に挟まれたあたしの特等席。


 ミランダ様の右手を両手で握りしめると、ミランダ様が溜息を吐いた。


(ミランダ様……)

「……もう寝な」

「……うー……」

「明日はハンバーグだよ。美味しいの。ソースも手作りだよ。甘めにしな。いいね」

「……はい……」

「なんでお前がバテてるんだい。ったく」


 ミランダ様が指を動かすと、シーツがあたしとミランダ様に被さった。温かい。ミランダ様の温もりと、ミランダ様の匂いに包まれて、心がとても落ち着く。自然と瞼が重くなる。駄目。まだ眠らないで。お願い。この気持ちよさとお別れしたくない。


「ミランダ……さま……」

「はいはい。お休み」

「もう……怖く……ない……ですか……?」

「怖くないよ。全部ぶっ壊してやったからね」

「……へへっ……」

「もう寝なさい」

「……まだ……寝たくない……です……」


 駄目。まだ、寝たくない。


「せっかく……やっと……ミランダさま……と……おしゃ、べり……」

「ルーチェ」

「んん……やだ……まだ……」


 ミランダ様の匂いに包まれながら、優しい左手があたしの背中を撫でた。


「ミランダさま……」


 こんなに安堵したのは、いつぶりだろう。とても温かくて、とても安心して、不安なんか何一つ感じない。


 ミランダ様に寄り添って、あたしはただ、沈むように、深く深く眠りにつく。










 ミランダが弟子の寝顔を眺める。


「……」


 弟子は、自分の左手を両手で大切に握っている。その表情はとても幸せそうだ。そしてとても間抜けだ。


「……」


 頭を撫でてみる。弟子はもう眠っている。頬を掴んで伸ばしてみた。皮膚が柔らかい。まだ若い。子供のようだ。灰色の髪の毛に指を通す。


 この四日間、ジュリアは側にいても平気なこの子につきっきりだったことだろう。誰にも向けられない異常な依存をこの子に向けたことだろう。四日前より、少し痩せた気がする。隈ができている。何度、泣いていたことだろう。どのくらい怯えていたことだろう。


「……」


 気持ちはわかる。


 自分もこの子に怯えているのだから。


「……」


 ミランダは弟子を見つめる。


 大丈夫であることはわかっていた。

 だから失うわけにはいかなかった。

 ジュリアにはとても扱えない。

 自分の片手が、両手で握りしめられている。

 恐ろしいと本能が叫ぶ。

 大丈夫だと理性が諭す。

 ミランダは弟子を観察する。

 起きる気配はない。

 誰も見ていない。

 魔法で見られている気配もない。

 ミランダが顔を近づけた。


 唇を重ねてみた。


「……」


 唇を離し、弟子の顔を見る。そこには変わらない弟子が間抜けた顔で眠っている。


「へえ?」


 呟く。


「その様子だと、まだ外には出てこられないようだね」


 こればかりは、何度直接魔力を流しても無駄なようだ。


「今夜出てくるのは無しだよ。流石の私も疲れちまって、満足の行く魔法を出せそうにないんだ。もう寝るからね。不意打ちは無しだよ」


 ミランダが鼻で笑って、言った。








「お休み。ジャスミン」








 シーツを弟子の肩にかけ、ミランダがようやく瞼を下ろし、やがて眠りにつく。


 手は、いつでも離れられるように、引いておく。


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