第15話 濡れるドレス


 ミランダ様のお屋敷に戻ってきた。


(……わ……)


 見慣れた部屋。見慣れたリビング。見慣れたダイニング。キッチン。洗面所。浴室。


「ぐすん! ぐすん!」

「見ろよ。ミランダ。ルーチェが便器に抱きついて泣いてるよ。よっぽど辛い目に遭ったんだろうな」

「ルーチェ、早くこっち来な」

(ああ、四日間離れただけなのに、この古臭い木の匂いも、焼けた花の匂いも懐かしい。……あっ! あたしが座るのをセーレムが待ち構えていて、ミランダ様がソファーに座っていらっしゃる!!)


 懐かしい光景に涙が滝のように飛び出し、すぐさまミランダ様の膝に泣きついた。そしてセーレムはあたしの膝に飛びついた。


「おう! 久しぶりだぜ! このクッション! 最高の寝心地だ!」

「ぐすん! ぐすん!」

「ルーチェ、そこじゃないよ。私の前に正座して、ここまで私を苦労させたことに対してまずは謝罪しな」


 あたしは崩した足元を正座にして、ミランダ様の膝に顔を埋めた。


「ずびーーー!!」

「こら! 私のドレスで鼻水を拭くんじゃないよ!」

「ミランダ様ぁああ……!! うわぁああん!」

「ミランダ様ー、じゃないよ! このグズ! お前がしっかりしてないからあの女にまんまと誘拐されるんだよ! 私じゃなかったら、あんな警備魔法だらけの場所、入れなかったんだからね! お前、あの建物の中で一生を過ごすことになってたんだよ! 何のための防御魔法なんだい! だから魔法書全部覚えろって言ってんだよ!」

「ふぃいい……! ぐすん! ぐすんっ! ごめんなさいぃ……! ずびっ! ぐすっ!」

「ごめんなさいで済んだら警察なんかいらないんだよ!! 今回の件はね、わかってんのかい! ぼけっとしてるお前が悪いんだよ! お前が防御魔法を使えてたら、こんなことにはなってないんだよ! 自分の身は自分で守るのがプロの魔法使いだよ! お前いくつだい! 7歳の女の子かい!? 違うだろ! 19歳の女だよ!! 大人だよ!! 自分のことくらい自分でしろってんだよ!! 聞いてんのかい! ルーチェ!! 今度こんなことになったら、即破門にするからね!!」

「いやぁああああああ!!!!」

「嫌じゃないよ!!」

「いやだぁぁあああああ!!!」


 あたしは絶叫しながらミランダ様にしがみついた。


「びゃぁあああああああ!!!!!」

「……はあ……。私も年を取ったね。叱るだけで疲れるよ。……特にお前の相手は本当に疲れるんだよ……」

「ぐすっ、うぐっ、ぐすん! ぐすっ、ごめん、なざいぃ……! ぐすん! ふぎっ! ぐすん!」

「……はいはい。こっち来なさい。もう」


 両手を広げたのを見て、あたしは跪いたままミランダ様に抱きついた。涙は止まらない。ミランダ様があたしの背中を叩く。あたしはしゃっくりをした。ミランダ様が背中を叩く。なんて温かいおててだろう。このまま溶けてしまいたい。


「ぐすん……ぐすっ……ぐすん……っ……」

「……お前の体を見るから、隣に座りなさい」

「……」

「ルーチェ。やりづらい」

「……」


 あたしはミランダ様に抱きつきながら隣に移動した。ぎゅっ!


「はいはい。わかったから、もう。相変わらずうるさいね。お前は」


 ミランダ様があたしの背中を叩く手の指から魔力を流してみせた。あたしの体内を覗かれる感覚。ぞくぞくして、温かい。けれど、怖くない。ミランダ様に身を委ねる。ミランダ様の魔力があたしの体に流れ……ミランダ様がはっとして、魔力を流し込むのをすぐに止めた。


「お前、何された?」

「……え、な、なんか、ぐすっ、変ですか……?」

「ジュリアの魔力が結晶化して、居座ってる」


 ミランダ様があたしと体を離した。


「それだけじゃない。お前、至る所に見たことのない魔力が結晶化されて、埋め込まれてるよ」

「……」

「……話が先だね。ルーチェ、……四日間の間、何があったんだい」


 ミランダ様があたしの両手を握りしめた。


「全部言いな」

「も、もちろんです。さ、さ、最初から、説明します」

「その前にご飯食おうよ。俺、腹空いたよ」


 出前を頼み、セーレムのご飯を用意してから、ミランダ様にこれまでのことを細かく説明した。見たこと、感じたこと、不安になったこと、怖かったこと、人工魔法石、魔法調査隊、ジュリア。あたしが覚えていることは全てミランダ様にお伝えした。


「……人工魔法石の開発ね。あいつらがやりそうなことだよ」

「でも、悪影響はないような言い方でした……」

「魔力を持ってなければ影響なかったかもしれないけどね、こんなの体内に入ってたら副作用がいつ起きるかわかったもんじゃないよ。ルーチェ、覚えておきな。私達の体には魔力の器が存在する。それが一定以上溢れた時、体は中身を守ろうとして無駄な魔力を結晶に変えるのさ。何が起きると思う? 無駄な魔力を固めた魔力はいずれ爆発する。下手すりゃ、魔力の暴走が起きる」

「あ……」

「魔力の暴走によって死んでいく魔法使いは未だ後を絶たない」

「何年か前に、授業でやりました。それ……。滅多にないことだけど、体内に結晶ができたら、高いお金払ってでも専門の魔法使いに取ってもらえって」

「私が取るからいいよ」

「……出来るんですか?」

「これでわかるかい? 身につけたスキルは自分を助けるんだよ」

(……ミランダ様は……努力家だから……まじでぐうの音も出ない……)

「ただね、一つわからないんだよ。人工魔法石ならまだしも、なんでジュリアの魔力の結晶まであるんだい」

「……一緒にいたからですかね?」

「一緒にいるだけで結晶出来てたら、とっくに出来てるはずだろう」

「あ、確かに」

「……となると」


 ミランダ様があたしを見た。


「お前、まさか、ジュリアの魔力に触れて無いだろうね?」

「……触れて……? ……。……あ、なんか……魔力同士で触れ合わせる? みたいなやつなら……」

「やったのかい?」

「え、はい」

「えっ」


 ミランダ様が絶句した。

 あたしはきょとんとした。

 ミランダ様が涼しい顔でスマートフォンを取り出した。


「通報」

「へ!? ミランダ様! あたし、な、何かしましたか!?」

「誘ったのはジュリアだね?」

「え、あ、はい」

「逮捕」

「逮捕!?」

「お前なんとも思わなかったのかい?」

「えっ、や、あ、あの時、正直情緒が本当におかしくて……。……ジュリアさんがいないと、一人になる気がして……怖くなって……」

「どこまでした?」

「どこまでとは?」

「絶頂したかい?」

「……絶頂……って……何のことですか?」

「絶頂ったら絶頂だよ。性行為と同じ意味だよ」

「はいっっ!? な、なんすか! 急にっ! せ、せっ! 性行為! なんてし、してません! あたしもジュリアさんも、女同士ですよ!?」

「女同士だって性行為はするよ」

「さっきから何の話をされてるのかわかりません!」

「ルーチェ、お前に教えなければいけないことが山積みだよ。一旦、一息つこうじゃないかい」

「はい!」


 あたしとミランダ様が一息つくためにお茶を飲んだ。


 ……あの、それで、結局、魔力の触れ合わせって何なんですか?

「だから性行為と同じだって」

 ……ジュリアさんは、あの、マッサージと仰ってましたけど……。

「最初は氷山等で体を温める際に使ってたものらしいけどね。魔力を触れ合わせると、肌を合わせているような錯覚が頭に起きるんだよ。よって、性行為と似たような快楽を得られ、射精も絶頂もする。体を使わない性行為ってやつだよ。証拠が残らないからこれによる犯罪も多い」

(怖っ)

「だがね、残る時もあるんだよ。今のお前みたいに」

 ……体内に、相手の魔力の結晶が……残る……ですか……?

「全く。とんだ置き土産を残してくれたもんだよ。ルーチェ、この分は家事で返してもらうからね。お前がバイトの日だろうがなんだろうが、知ったこっちゃないよ。いいかい。倍にして返すんだよ。掃除も、料理も、洗濯もね」

 ……すみません。


 チラッとミランダ様を見上げる。


「取れますか……?」

「……時間かけてやるしかないね。今夜は眠れないと思いな」

「すみません……」

「いいから風呂に入っておいで。お前、ジュリア臭いんだよ」

「え、そうなんですか?」

「ぷんぷんだよ。その間に出前も来るだろうから、早く行きな」

「……すみません。じゃあ……あの」


 あたしは頭を下げた。


「今夜、よろしくお願いします」

「お前もいつか取り除き方覚えな。今じゃなくていいから」

「……はい」

「いいよ。行きな。体全身洗ってきな」

「……あっ」


 言葉を言いかけて止めると、ミランダ様があたしを睨んできた。


「まだ何か?」

「……い、言ってなかったので」

「まだ隠し事があるってのかい。なんだい?」

「あの」


 あたしは頬を上げて、伝えた。


「ただいま、帰りました」


 ……ミランダ様の目元の力が、少し緩んだ気がした。


「……お帰り。ルーチェ」

「……」

「お前ね、泣くなら風呂場で泣きな」

「ひぅぐっ、むぐっ……!」

「あ、ルーチェがまた泣いてる。お前、今日ずっと泣いてるなー。ま、いいや。とりあえずお腹撫でて」

「ぐすんっ! ぐすっ! ひぐっ!」

「うるさい奴だね、全く。……こっちおいで」

「ぐすんっ! ぐすぅ!!」

「あん! ルーチェ! 移動すんなよ! はい。今度はお尻撫でて」

「ぶぴぃいいいいい!!!」

「……このドレスはクリーニング行きかね」


 ミランダ様の手が、優しくあたしの頭を撫で続けた。

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