第19話 生き辛い世の中
「だめぇーーーーーーーーー!!!!!」
その大きな声で、あたしは目を開けた。視界には、ベランダから遠くに見える地面。今にも飛び込もうとしているあたしの体。それを背後から掴まえるトゥルエノ。冷たい風があたしに吹き、あたしはひやっとして――地面に光る魔法石が見えて――恐ろしくなって、慌てて後ろに体重を入れると、トゥルエノと一緒に尻餅をついた。
「きゃっ!」
「わっ」
ベランダに二人で座り込み、顔を見合わせた。静かな風が吹く。あたしとトゥルエノがしばらく目を合わせたまま――はっと上に顔を上げた。上から大量の人々がベランダから身を投げ始めた。あたしは唖然とし、トゥルエノは杖を取り、叫ぶように唱えた。
「風よ! 吹き荒れろ!」
身を投げた人々に風が吹き、波に乗り、優しく地面に倒れていく。しかし、まだ降ってくる。まだ身を投げていく。トゥルエノが魔力を放出させた。あたしは急いで走り出し、ベッドに置かれた杖を見つけ、それを拾い、再びベランダに戻った。
「風の波、優しく吹いて、ひとかけら、ふたかけら」
あたしの魔力が風に変わり、飛び降りる人々を受け止める。一方トゥルエノは魔力を込め、空に向かって杖を向けた。
「風夜が吹いて、雨夜が訪れ、落ちてこい。
途端に夜空の雲が濃くなり、雷電がホテルに落ちた。その衝撃で全員が気絶し、ホテルの電気が一気に消えた。雨が降る。あたしは様子を見た。誰も落ちてくる様子はない。トゥルエノも杖をしまった。
「ベランダにも電流流しといたから、これでしばらくは……」
「トゥルエノ、これ、ど、どういう状況?」
「それが、ルーチェ、私も……あまりよくわかってなくて……」
(あたし、さっきまで屋上にいたよな……? どうやってここまで来たの?)
「起きたら、ルーチェがベランダから飛び降りそうになってたから……止めるのに必死で……」
「みんなは?」
「わからない……。……あ、そうだ!」
トゥルエノが部屋に戻り、内線電話に振り向いた。しかし、ホテル全体で停電が起きている。いけるかもしれないと思い、受話器を耳に置いてみたが、やはり繋がらない。
「……」
トゥルエノ諦め、受話器を電話機に戻した。
「……ルーチェ、どうしよう……」
「……あ、ちょ、ちょっと待って」
「え?」
「あ、いてっ」
何も見えない。あたしは杖に明かりを灯し、ミランダ様から頂いた魔法書を鞄から取り出した。
(これ、何か載ってないかな?)
占い師はよくタロットカードに念じて結果を出す。ならばあたしは魔力をこめて、魔法書に念じる。
(お願い、何か……役に立つ魔法……出て!)
あたしは勢いよく本を開いた。
【魔力探し】
・魔力の位置を確認する方法のこと。
杖の先を天井に向けて握り、アンテナの貼った状態から魔力の存在を探し出す。最初は目を閉じた方がわかりやすいだろう。これが出来れば、はぐれたパートナーや、危険な獣を見つけることが出来る。
(……これ、呪文は特にいらないのかな……?)
「ルーチェ、この本、どうしたの?」
「あの、ちょっと……これ、やってみる」
あたしは杖を握り、先を天井に向け、アンテナを作る。この状態で魔力の存在を探し出す。目を閉じて、集中する。アンテナが電波を探す。動いている魔力はあるか。さあ、どこだ。何も感じない。もっと深く集中しないとこれはわからない気がする。あたしはもっと深く集中してみた。動いてる魔力はどこだ。ミランダ様はどこだ。先生はどこだ。誰か、起きてる人はいないか――。
……すると――なんとなく、どこかで魔力が揺れている気がした。上から、下から、右から、左から、いや――下だ。これは――地下?
(……わかる。魔力が揺れてる。……しかも、結構大きな魔力。……ミランダ様かもしれない……。あるいは……お姉ちゃんとか……とにかく)
あたしは目を開けた。トゥルエノが不安そうにあたしを見つめている。
「地下に行こう。誰かいるみたい」
「……今の、魔力探し、だよね?」
「……。あ、本当だ。そう、か、書いてある。……知ってる魔法?」
「魔力のある場所を探し出すの。ひよっこクラスで初めて習う魔法だよ」
「……へえ。そうなんだ」
あたしとトゥルエノが魔法書を見下ろす。
「……学びに、クラスは関係ないね」
トゥルエノがあたしを見た。
「私も予習したい。魔法書買おうかな」
「……今のやつなら、トゥルエノも出来ると思う」
「その本、あとで見せてもらってもいい?」
「うん。一緒に見よう」
「地下に誰かいるの?」
「うん。あの……大きい魔力だったから、先生が誰かいるのかも」
「わかった。じゃあ……地下に行こう。他に何も出来ないし」
トゥルエノが立ち上がり、手を叩いた。
「あ、そうだ。ルーチェ……目覚まし薬、まだ持ってる?」
「え? あ、貰ったやつ?」
「うん」
「えっと、……、……ちょっとまっ……、……、あ、あった」
あたしは小瓶を取り出した。
「あるよ」
「それ、今飲んで」
「え?」
「念のため。私も……もう飲んだから」
「ん、そうなの?」
「うん。だって、この状況……みんなが寝ぼけてベランダから落ちてるのって……寝てるからでしょう? 何かが……私達を寝かせてるんじゃないかな?」
「またマリア先生とか?」
「ううん。……違うと思う。マリア先生じゃなくて、なんか、魔法とかじゃなくて……なんていうか……」
トゥルエノが眉をひそめた。
「もっと、こう、……恐ろしいもの……」
「……今飲んじゃうね」
「……お願い」
あたしは小瓶の中身を一気飲みした。味がしない。だけど、完璧に目が覚め、集中力が戻ってきた。すごいな。これ。くれた子に感謝しないと。
「これでいいね」
トゥルエノが立ち上がった。
「行こう。ルーチェ。二人ならなんとかなるよ」
「……うん」
トゥルエノが手を差し出し、あたしはそれを握って立ち上がる。
小走りで部屋から出ていった。廊下はとても静かであった。
(*'ω'*)
地下は下だ。つまり1階の下に行けばいい。あたしとトゥルエノは慎重に階段で1階まで下りたが、残念ながら階段は1階で終わっており、二人で辺りを見回すことになった。
「……確かに、地下に繋がるかーいだんって、見てないかも」
「地下はあるんだよね?」
「……ある。まだ魔力が動いてる感じはする……と思う」
「……じゃあ、あっちかな」
トゥルエノが廊下の奥を見た。その先には暗い廊下が続いていて、ロープで道が塞がられていた。――スタッフ以外立ち入り禁止。
「本当は入っちゃだ、駄目なんだよね」
「私達、不良になっちゃうね」
「いいよ。また一緒にペナルティ受けよう」
あたしの杖に明かりが灯る。それをふっと息を吹くと、蛍の光のようにふわふわと浮かび、あたし達の前に進んでいく。それを追いかけて前を歩いていく。
静かな廊下を進む中、トゥルエノが声をかけてきた。
「……ねえ、ルーチェ、さっき寝てる時、夢って見た?」
「……夢?」
「うん。私、はっきり覚えてるの」
私は中学生だった。
すごく仲の良い親友がいたの。
何をするのもいつも一緒で。
何をするのも楽しくて。
「大好きだった」
そんな時、相手から言われた。真剣な、少し不安そうな、誤魔化すような顔で、俺がお前のこと好きって言ったらどうする? って。
「ルーチェならどうする? 親友だと思ってる女の子から言われたら」
「……好き、だけなら、友達としてかなって、あた、あたしなら、思うかな……」
「その場の雰囲気とかで、そういう風に思える場合もあったかもしれない」
だけど、
「その時はね、なんか、空気がね、わかるんだ。違ったの」
彼がとても不安そうに、真剣に、それでも訊きたいって言うような空気を出していたから。
「私は、答えられなかった」
だって、その時の私は、トゥルエノじゃなかったんだもん。
「本当はね、すごくドキドキしたんだ。だって、大好きな人から、好きって言ったらどうする? って、遠回しだったけど、そんなこと言われて、ときめかないわけがない」
でもそれと同時に、とても胸が痛くなって、悲しくなった。
「好きな人に好きって言っちゃいけないわけじゃない。ただ……」
人 の 目 が 気 に な る 。
「私がトゥルエノだったら、誰も気にしない」
「私がトーマスだったら、皆は後ろ指を向ける」
「ねえ、ルーチェ、この違いって何なんだろう?」
「どうして同性だと、皆は嫌な顔するんだろう」
「うわ、気持ち悪いっていう顔をするんだろう」
「私は自分を女だと思ってる」
「でも目に見えるのは男の体」
「だからそれが、脳にエラーが起きてなる現象だって科学では言ってるけど」
「LGBTなんて名称が存在するけど」
「じゃあ、私は脳にエラーが起きてるおかしな人間だってこと?」
「でも私はこうして生きてる」
「呼吸だってするし、好きな人も出来るし、気持ちも心も持ってる」
「何が違うんだろう」
「男の器として生まれただけ」
「女の脳だっただけ」
「この違いって何なんだろう」
「生まれた形なんて自分が決めたわけじゃない」
「なんか、とんでもなく不幸な人間に思われてるみたいで」
「それがすごく嫌で」
「だから」
「この道にまるで引っ張るような感じがして」
「だから」
「私は」
「大好きでも」
「心から愛してても」
「その言葉を相手にかけることは出来ない」
「気持ち悪いって思われるから」
暗い廊下がただ続いている。明かりは見えない。
「……女の子の体だったらな」
「……でもさ、お風呂入って思ったけど……普通に女の子じゃない?」
「胸もないし、子宮もない。あるのはぶら下がってるものだけ」
「だとしても……あたしより肌も綺麗だったし……なんか、トゥルエノ見てると、あたし何やってるんだろうっていう感じが、すごいんだよね……。それくらいトゥルエノが努力してる証拠なんだけど……」
「……笑わないで聞いてくれる?」
「ん?」
「小さい頃、私ね、白豚って呼ばれてたの。すごく……太ってて」
「……は? トゥルエノが?」
「すっごく丸かったんだよ。本当に丸々に太ってて、でも、お父さんもお母さんも可愛がってくれた。……でも、学校では、白豚が女の子と混じって可愛い遊びばかりしてるから……気持ち悪いって、虐められた。男の子にも……女の子にも」
「……」
「それから、運動を始めたの。うちの家の周りを走るだけだけど。毎日続けた。庭では縄跳びして、ペットの犬と遊び走った。そしたら、身長が伸びていって、筋肉がついて、だんだん痩せてきて……」
トゥルエノが微かに笑った。
「女の子に告白されるようになった」
だけど、
「私にとっては……女の子って、皆で言う同性のような感覚なの。恋愛対象じゃない。本当に……ただの、友達みたいな」
暗闇はいつまで続くのだろう。
「男の子でいなきゃいけない。体が男の形だから。でも、中身は違う。いくら違うと思っても、目に見えるものは男のトーマス。でも……私はトゥルエノ」
ストレスが積み重なった。また食べた。リバウンド。体重計を壊した。
「……食後に吐くようになった。吐かなきゃって、頭で思うようになって、気がついたら……指を口に突っ込んでる」
トゥルエノを見ると、トゥルエノがあたしの視線に気付き、首を振った。
「毎日じゃないよ? 週に……四回くらい」
「……」
「細くなれば綺麗に見える。髪を伸ばせば女の子に見える。肌を綺麗にすれば、女の子としてナンパされるようになった。嬉しかった。女の子として芸能事務所からスカウトされるようになった。すごく嬉しかった」
でも、
「私、生まれたことに後悔はしてない。ただ、体の形が違っただけ。膨らむ胸と、子宮がないだけ。でも、それだけで、男になるの? 私が自分を女の子って思っても、男の体をしてるから、私は男の子って、扱いになるの? それはどうして? 見た目で人は判断しちゃいけないってお母さんが言ってた。中身を大事にしろって言われた。じゃあ、世間は? 世界は? 社会は? 中身を大事にしてる? してるなら、なんで私の正規の性別は男で登録されてるの? それなのに、中身を大事にしろって、子供に教える意味は何?」
暗闇は続く。ゴールは全く見えない。
「死にたくなる」
トゥルエノは歩く。
「こんな生き地獄……やめてしまいたくなる……」
あたしは歩く。
「来世は……女の子になりたいな」
「……ごめん。……大したこと言えないけど……トゥルエノ」
あたしの首がトゥルエノに向けられる。
「あたしはトゥルエノと仲良くなれて、嬉しかったよ」
全然話したことなかったし、関わろうともしなかったけど。
「ごめん、あ、あたしの話になっちゃうけど……あたしも、ADHDのせいで、皆の言う、ふ、普通とはちょっとずれてて、このしゃー……喋り方のこともあって、小学生の時虐められてた。二人一組になる体育はいつも一人ぼっち。余った人と組まされて、手が手が手が触れただけで、あたしが目の前、あたしがいる目の前で、ルーチェの手、触っちゃった。えー、まじ? 最悪だね。どんまい。の会話がされるの。向こうはひそひそ声だったけど、しっかり一言一句聞こえた」
「……クソだね。本当に……ゴミ以下」
「すごく傷ついた。だから……仲良くしてくれる友達は、本当に裏切っちゃ駄目って思ってる。仲間もそう。クラスメイトもそう。足を引っ張るメンバーがいるなら、あたしはその人の足を持ち上げる。そうして、とんでもないくらいすごい魔法を生み出す。……その思考のせいで、ベリーといざこざが生まれちゃったけど」
「……いいよ。ベリーのことは」
「だからね、その、その、その、つまり……あたしは、トゥルエノがいなくなったら、すごく寂しい。きっと寂しすぎて、ストレスで食べたら吐いちゃうと思う。週に七回くらい」
「……ふふっ、それ、毎日だよ」
「へへっ。だからね、つまり、……それじゃあ駄目かな?」
トゥルエノがあたしを見つめる。
「止めないよ。全然賛成。止めないけど……あたしがストレスで吐くから、死ぬ選択は……もがいてから……本当に、最後の選択にしてくれないかな?」
「……」
「……生きてたら、結構、なんとかなるもんだよ」
生きてたからこそ、あたしはミランダ様に会えた。
「気持ち悪くないとか、可愛いとか、気休めになるならいくらでも言うよ。でも、……トゥルエノが求めてるのは……あたしの言葉じゃないよね?」
承認。
「認められないって辛いよね。それは、わかる。あたしも……そうだから」
障害。
「世知辛い世の中だね」
「……本当に嫌になる」
「……でも、トゥルエノは美人だから、手術しなくて、その体でもいいっていう人、すぐ現れそう」
「そう思う?」
「男はいっぱいいるんだよ?」
「……ルーチェが男だったら良かったのに。私、絶対惚れてた」
「惚れないよ。ど、ど、ど、吃り癖、酷いもん」
「ねえ、私が男の子で、ルーチェに告白してたら、ルーチェは惚れてた?」
「えー。どうだろう。でも、トゥルエノみたいな美人さんに彼氏になってって言われたら、彼氏になるかも」
「「……」」
「「……ふっ」」
思わず、お互い目を逸らしながら、笑ってしまった。トゥルエノの新しい一面が見れた気がして、あたしもその分を彼女に見せれた気がして、少し、心が晴れたような気持ちになると……階段を見つけた。
(あ)
「あった」
トゥルエノも杖に明かりを灯し、階段を照らす。何も見えない。濃い闇だけが広がる。
二人で顔を見合わせる。そして、階段を見下ろし……手を繋いで……あたし達は一緒に、階段を下り始めた。
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