第14話 1万時間の法則


 目覚ましアラームが鳴った。


「……」


 あたしとトゥルエノが無言で起きた。


「……はよ」

「おはよう……」


 あたしは目覚ましアラームを止め、トゥルエノは髪をブラシで梳く。欠伸をしながら顔を洗い、トゥルエノもぼんやりした目で顔を洗った。


「朝ご飯7時からだっけ」

「そー」

「トゥルエノ、リボン緩んでる」

「ふわぁあ……」

(欠伸する顔まで可愛いな)


 出来るだけ綺麗にリボンを結ぶ。出来てるかな。これ。


「ありがとう……」

「後でむ、むす、結び直したほうがいいかも」

「んー……」

「朝食行こう」

「行く……」


 廊下に出るとクラスメイト達が歩いてる。みんなと挨拶しながら食堂で食べたいものをトレイに置いて席へ。


(はあ……ねむ……)

「おはよう。トゥルエノ。ルーチェも」

「おはよう」

「おはよー」

「どこで食べようかな」

「あっちは?」

「あ、ここ空いてる? しっつれーい」

(ん?)


 隣にクレイジーが座ってきた。女子達の目が一瞬にして女の子の目になった。


「おはよう! ルーチェっぴ!」


 その顔を見て、あたしはむすーーっと頬を膨らませ、無視した。クレイジーが吹き出す。


「おーい。無視は良くねーぞ」

「昨日のわざとでしょ」

「まだ怒ってんの?」

(怒るよ!)


 ミランダ様の部屋のゴミをホテルマンに渡してからキャンプ場に戻ると、既にフォークダンスが始まっていて、トゥルエノが待っててくれていた。せっかくだから一緒に仲良く踊っていたら……現れた。


「やっほー。ルーチェっぴ」

 あ、クレイジー君。トゥルエノ、えっと……。……。……クレイジー君です。

「もー、また名前忘れたの? ユアン・クレバーっす」

(まじごめん)

「トゥルエノ・エルヴィス・タータです。あの、今年のミスターコンテストに選ばれてましたよね?」

「あー。なんか選ばれてたねー。そっちも3年連続ミスコン選ばれてるってルーチェっぴから聞いてるよー。言ってた通りの美人ちゃんでびっくり!」

「やだっ、ルーチェったら、そんなこと言ったの!? あ、ありがとう……。そう言ってくれて嬉しい……」

「俺も喋れて嬉しい。チャットやってる? 良かったら今度三人でどっか遊びに行こう?」

「あ、うん。ルーチェも一緒なら……ぜひ!」

(え、このメンバーで遊びに行くの? どこ行くの? うわ、気遣うの辛い。でもなんか楽しそう。でも面倒くさい。でも楽しそう)

「ルーチェっぴ、折角だから踊ろう? 俺っち、久々にルーチェっぴと踊りたいっぴー」

「あ、今、トゥルエノと踊ってるから、ごめん」

「俺っち達! ベストマジックダンス賞受賞者だから! すげー上手に踊れるよな!? 実力見せてやろうぜ!!」


 すげー大声で言われて、踊ってたみんなが一斉にこっちに振り返ってきて、あたし達を見て拍手した。


「あー! トゥイッターの二人じゃん!」

「おーい! クレイジー! 見せてやれー!」

「いえーい!」

「い、いや、あたし、フォークダンス、にが、得意じゃ……あ、トゥルエノ!」

「あ、ルーチェ……」

「いくぜーー! ルーチェっぴーー!」

「ひゃぁーーーーー!!」


 お陰で不慣れなフォークダンスをみんなに見せつけることになった。みんな笑ってた。あたしは笑い者だ。もう嫌だ。消えてなくなりたい。


「あたし! すっごい! 恥ずかしかった! です!!!」

「可愛かったよ。ほら、またトゥイッター上がってる」

「うわっ! 最悪! 撮った奴誰だよ! む、むだ、無断掲載、まじで駄目!」

「見て見て。ここ好きなとこ。ほら、……ここ! 足踏んだ! あははは!」

「……」

「ほらほら、むくれない。パン食べないの?」

「……チッ!」


 クレイジーを睨みながらパンを食べると、クレイジーがまた吹いた。なんだよ! なんでそんなに笑うんだよ! 笑うんじゃないよ!


 トゥルエノが正面からあたしとクレイジーを見て、パンを頬張った。クレイジーは笑いながらあたしにちょっかいを出し、あたしはムキになって怒るを繰り返し、朝食が終わる。部屋に戻ると疲労が体に現れた。


(……なんか疲れた……。年かな……)

「……ルーチェ、ユアン君って、本当にルーチェの彼氏じゃないの?」

「違うよ」

「でも、すごく仲良さそうだった」

「……クレイジー君の双子のお兄さんがね、幼馴染なの。それで」

「え、そうなんだ」

「うん。それだけだよ。……まじで」


 昨日はよくもやってくれたな。クレイジー君。エリスちゃんとセーチーにチクってやるから!


「多目的ホール行こう。ルーチェ」

「うん」


 3日目。新しい実習が始まる。



(*'ω'*)



「ヤミー魔術学校の皆さん、こんにちは! 初めまして! アウデ・アイルにて活動しているパトラと申します。専門は水。普段はミラー魔術学校で特別講師をしてるんだけど、マリアと友達でね。宿泊学習中の皆にぜひ教えてほしいって頼まれちゃったもんだから、今日は三時間みっちり、魔法についてやっていきたいと思いますので、よろしくお願いします!」


 笑顔のパトラにあたし達は拍手をした。


「さあ、挨拶が済んだところで、最初にこれをしてもらおうかな」


 あたし達の机の上に紙と鉛筆が現れた。


「ミラー魔術学校の生徒に絶対にやってもらうんだけど、皆さんは、1万時間の法則って知ってるかしら? 少し前に外国の元新聞記者のマルコム・グラッドウェルという人が発表したものなんだけど、『大きな成功を収めるには1万時間もの練習が必要』と言われているの」

(引用:https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000185165)


 パトラさんが杖を振ると、空中に文字が浮かんだ。


『10000÷?÷365=成功するまでの年月』


「?の箇所は、自分達が普段家でやっている練習時間を記入して計算してみてください。学校以外の時間ね。はい、どうぞ」

(学校以外の時間……。となると……3時間くらいかな)


 あたしは計算してみた。10000÷3÷365=9.13242009131


(ん。なんだこれ。どういうこと?)


「皆さん計算出来たかしら? そしたら小数点第一位を繰り上げてみて」

(10)

「そう。それが大体皆さんが成功するまでの時間ってこと。大体10年くらいの人が多いんじゃないかしら?」

(10年……29歳……? うへぇ。まじ?)

「10年以上かかる人はもう少し練習の時間を増やすべきだと思うけど、皆さんは魔法使いになりたいと思っているのよね? 40年前、30年前、いえ、20年前くらいなら、それが通ったと思う。でもね、今はもう小さい業界の中にぱんぱんに人がいるの。1万時間の法則は、あくまで一般向けの人に向けての法則。あなた達は狭き門を通ろうとしている。だとすれば、それ以上の努力をしなければいけない。もちろん、否定的な意見もあるわ。効率よく練習していけば1万時間なんて必要ない。でも、この中で効率の良い練習方法を知ってる人はどのくらいいる? 私の時代はね、まだ魔法使いが比較的少なかったからすんなりいけたんだけど、今の環境だったら諦めて別の所で就職してると思う。それくらいこの業界が人気過ぎて、狭き門になってしまったの」


 あたし達は真剣に話を聞く。


「この法則を発表したマルコムさんは言いました。天才は1%のひらめきと99%の努力で出来ている。狭き門に通れるのはほんのわずか。このクラスから通れる人がいるかもわからない。だから人よりも何倍も努力をするの。今はまだ仲間がいるから一緒に高め合えるけど、狭き門の中に入ったら一人よ。一人でなんでもしなきゃいけない。魔法の内容も、魔力の操り方も、自分で研究しなきゃいけない。それがプロ。この業界に入る以上、努力が出来ない人間が選ばれることはない。マリアもそう。ジュリア・ディクステラもそう。皆努力をしてこの業界に入ってる。努力をしないでセンスだけでいけた人は、正直私は見たことがありません。この1万時間の法則が皆さんの努力を続ける糧となってくれることを願ってます」


 努力が功をなすまでに1万時間がかかる。でもそれは一般人向け。

 あたしはどうなんだろう。

 吃音症はこの1万時間の法則に当てはまるのだろうか。

 滑舌が良くなるまで10年。プラス魔法使いになるまで10年。


(考えたら怖くなってきた)


 1日3時間で練習したら10年がかかる。じゃあ8時間にしたら? いや、無理だ。あたし絶対できない。だってバイトもあって家事もある。睡眠時間を減らすか? 次の日頭が絶対寝る。だとしたら……。


(もうこれは、確実に毎日練習するしかない)


 30分でも1時間でもいいから『毎日』やれる限り練習するしかない。地道な努力しかない。あたしは美人じゃない。顔が良いわけじゃない。歌も上手くない。ダンスも出来ない。特技はない。ならば近道なんてない。努力を続けるしかない。デビューしてるアーニーちゃんもアンジェちゃんも、どっちも自慢できるくらいの努力家の友達だ。あたしもその枠に入りたい。ならば、やるしかない。研究するしかない。練習するしかない。障害を盾に使う言い訳を考えている暇はない。僻んでいる暇はない。


(なんか嫌な事実を告げられた気分……)

「さ、次に行きましょう。じゃあ次は……皆さんにとあることを書いてもらいます」


 空中に浮かんでいた文字が変わった。――コンプレックス。


「1に自分の今の色、2にこれからなっていきたい色、3に外面的なコンプレックス、4に内面的なコンプレックス、5にとてつもなく好きなことを紙に書いてみてください。5に関しては一つだけにしてちょうだい。あとは発表しないから好きに書いていいわよ」


 皆は暗黙の了解で周りを見ないようにした。あたしも見ちゃいけないと思って、自分のことだけに集中した。発表しないなら書いていいか。


 1.自分の今の色:濁った灰色。黒に近い感じ。

 2.これからなっていきたい色:金色(ミランダ様のイメージ!)

 3,外面的なコンプレックス:顔。毛が濃い。眉毛の形。体臭。鼻の大きさ。口の大きさ。輪郭。歯並び。舌の筋肉。滑舌。もう整形したい。生まれ変わりたい。

 4.内面的なコンプレックス:ネガティブ思考。すぐ悪いことを考える。ADHD。吃音症。どもり癖。滑舌。妬み癖。頑固。忘れ癖。居眠り癖。音が聞き取れるけど言葉と認識できない脳みそ。死にたい。

 5.とてつもなく好きなこと:自分の生み出した光魔法を見ること。


「書けましたか?」


 あたし達は顔を上げた。


「なぜそれを書かせたと思いますか? ……魔法使いは大勢いる。けれど、全員が同じならつまらない。時には個性が必要なの。同じ人間はいない。たとえプロのダンスチームがいても、若干の動きのズレは存在するでしょう? 人間だからそれは仕方ないの。ピタッと揃うのはロボットくらい。でも人間はロボットにはなれない。意思があるから。つまり、コンプレックスを個性にすることだって出来るの。お笑い芸人のナオミって、みんな知ってる? 有名な歌手の歌を口パクで歌いながら激しくダンスする芸人で、かなりふくよかでしょう?」


 皆が思い出してくすくす笑う。


「そうよ。でも、あれがすごく可愛くて細い人がやったら、みんなどう思う? 笑える?」


 あたし達は首を振った。


「あれはナオミの芸風なの。太ってる人がすごく美人な歌手の歌を口パクで歌って激しいダンスをするっていうショー。それを見たいがために人が集まる。魔法使いも似たようなところがあってね、美人は三日で飽きられます。依頼人が求めているのは魔法のパフォーマンスと、人としての個性。だいたい魔法使いは一人で仕事をしません。数人でやるの。その中で、例えば3人。年齢も一緒くらいで顔も髪型も似てる。その中の一人が眼鏡をかけてたらどうかしら。チャームポイント。とても覚えやすいわね。記憶に残る。そうすると、人間は意外と印象に残った人を覚えてるもので、その人が声をかけられることが多い。そして次の仕事に繋がる。それを魔法で見せるか、もしくは自分の見た目で見せるかは人それぞれ。最初のうちは個性は隠していた方が良いと思うけど、コンプレックスって隠し通せるものじゃない。でもそれがその人の味になったりする。今書いたコンプレックスをよく覚えておいて。それがあなたの味になる可能性は大いにある。それが気に入られて選ばれることも、可能性としてはある。皆さんは若いのだから、もっと自信を持ってください」


 パトラが指を鳴らすと、紙が燃えた。跡形もなくなる。


「さあ、残り時間がまだあるわ。課題を渡すので、一人ずつ魔法を出してもらいましょうかね!」

(……よく言われるよな。ADHDも個性だって)


 でも、この個性は社会では何も役に立たない。


(……魔法使いになれなかったら、あたし、生きていけないんだろうな)


 魔法がない世界なんて考えられない。そんな未来にしないためにはどうしたらいいか。


(……この後、発声練習しよう……)


 怖くなって、脳裏に練習しなきゃという言葉がよぎる一方、隣ではトゥルエノが暗い顔で燃える紙を見つめていた。


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