第5話 レッスン開始


(今日は早めに来たぞ!)


 あたしは30分前からスタジオに入って準備していた。


(これがいつも続けばいいのになー)


 クレイジーはその15分後に来た。早いな。


「あれ、ルーチェっぴ、先に来てたの?」

「ん」

「畜生! 負けたぁー! ……おはよー」

「おはよう」

「先生の件ありがとー。まじで助かったわぁー」

「ううん。大丈夫。もう少しで来ると思うんだけど……」


 あ、スマートフォンが鳴った。あたしは着信を応答する。


「もしもし」

『おはよう。マイダーリン♡!』

「……おはようございます。その呼び方やめてください」

『あん、いけず! 学校来たよー。教室どこー?』

「あ、迎えにい、行きます」

『玄関で待ってるー!』


 あたしはスマートフォンを切った。


「ちょっと迎えに行ってくる」

「外部の先生?」

「まあ、そんなところ……」


(お姉ちゃんの知り合いってことはプロの世界で活躍してる人だろうな。失礼のないようにしないと)


 あたしはスタジオから走り、玄関に向かった。掲示板の前に美しい氷のように輝く影がある。


(あれ?)


「あ、ルーチェ♡!」


 お姉ちゃんが笑顔で手を振った。


「久しぶり!」

「……先生は?」

「ん?」

「ダンスの先生」

「ここにいるでしょう?」

「え?」


 お姉ちゃんは自分に指を差している。


「ダンスの先生」


 クレイジーの目が外に飛び出し、絶句した。


「っっっ……!!」


 興奮のあまり拳を握り、あたしの肩を叩きまくる。


「っっっ……っっっ……っっっ……!」

「初めましてぇー。緊急で振り付け教えることになりました。パルフェクトでぇーす♡」

「っっっ……っっっ……っっっ……!」

「よろしくお願いしまーす」

「る、る、る、ルーチェっぴ、あの、ちょっと……」


 二人でパルフェクトに背を向け、クレイジーがひそめた声で訊いてきた。


「どうなってんの!? 本物じゃん!!」

「……あー……特別教室の、っ、講師で、うちのクラスに来てくれて……」

「やべーって! まじやべーって! すげーじゃん! なにその伝手! ルーチェっぴ、最高すぎ! お、俺っち……雑誌の写真切り取って……自分で作った……パルフェクトの写真集があるんだ!」

「へえ、そう」

「まじ感謝! まじありがとう! こうなったらまじでやるしかねえって! まじで!」

(まじまじうるせえ……そんなにパルフェクトが嬉しいかよ。ああ、そうかよ。畜生。チッ!!)


 再び二人でパルフェクトを見る。クレイジーの肩に力が入る。


「よ、よろしくお願いします!」

「お願いします」

「三時間しかないから集中しようね!」

「はい!!!」

「はい」

「じゃあ最初に、参考に見てもらいたいんだけど」


 パルフェクトが杖を取り出し、呪文を唱えた。


「氷の人形現れよ。踊る姿を見せておくれ」


 氷のクレイジーとあたしが現れた。あたし達は驚きの声を上げる。パルフェクトが音楽を流した。すると氷のクレイジーとあたしが動き始めた。魔法を発動させる。スタジオが吸血鬼の屋敷に変わった。


 吸血鬼の住む屋敷に迷いこむ少女。久しぶりの獲物に吸血鬼は杖を振り回し、少女を闇へと誘い込む。少女は逃げようとするが美しい魔法で逃げ道を塞がられる。無力な少女は魔法で階段を出し、階段へと逃げていくがその先には吸血鬼が待っている。魔法で廊下を出して走って逃げる少女だが吸血鬼に弄ばれる。突然背景が白と黒になった。動画にあったアニメーションのように白と黒しかないので吸血鬼が少女を自分の良いように躍らせる動きが見える。次の瞬間色が戻った。また屋敷の風景に切り替わる。再び逃げようとして、少女が思いつく。自ら吸血鬼を煽ってみせる。吸血鬼が興奮したように魔法で贅沢な椅子を出し、そこに少女を座らせ服を脱ぎ始める。少女は紐を引っ張ると、全てのカーテンが開けられる。朝日の光に吸血鬼が溶けていく。杖を持った少女は闇堕ちの笑みを浮かべ、音楽とダンスは終わる。


 パルフェクトが曲を止めた。


「……っていう感じでどうかな?」

「すげーーーー!!」


 クレイジーが手を叩いた。


「すげーっす! これが出来たらAステージも夢じゃないっすよ! な! ルーチェっぴ!」

(出来たらの話だけどね……)


 つまり、これをやるんでしょ?


(できんの? これ? お姉ちゃんの魔法がすごすぎてそっちに集中してた。ぐぬぬ……)


「わたくしはあくまで振り付けと構成を考えただけなので、演出中の魔法は二人が頑張って練習してみてください。で、今日は初日なので、ダンス中心の時間とします!」

「はい!!」

「最初のステップから教えます!」

「はい!!」

「ゆっくりからやるからついてきてねー!」

(……大丈夫かな、これ……)


 ――三時間後。


「じゃ、明日も今日の続きから始めまぁーす!」


 パルフェクトが荷物を持って扉を開けた。


「あ、見送りはいいからね! 二人とも、休んでから帰るんだよ! じゃあまた明日ね!」


 そう言って扉を閉め――倒れて動けなくなったあたしとクレイジーを残して、鼻歌を歌いながら学校から出て行った。


(あの……鬼女……冷酷……三時間休憩も無しかよ……)


「やべえ……久しぶりに……俺っちも……足ガタガタ……」

「同意……」

「ルーチェっぴ……大丈夫ぴー?」

「大丈夫じゃない……」

「動けるぅー?」

「動けない……」

「まじえげつねえ……。パルフェクト……」

「想像以上に……」

「怒らないけどさー……あんな可愛い顔して笑顔で痛いところついてくるよねー……」

「出来るまで……やらされたね……」

「ダンスなんてしたことないから余計に……」

「笑ってたね……」

「笑ってた……」

「頭ぐるぐるする……」

「俺っちも……」

「詰め込み過ぎ……」

「ね、今日はどうするぅー? もう帰るぅー?」

「……ちょっと休んでから……魔法のこと考えない?」

「あ、じゃあさ……」


 100ワドルのおやきを片手に、二人で公園のベンチに座り、撮影した氷の人形達が踊た参考動画を見る。


「あのさ、この魔法ってどうやるんだろう?」

「ん?」

「この……景色とか変えるやつ」

「幻覚魔法じゃね?」

「幻覚魔法? ……あ、これ幻覚魔法なんだ」

「……あれ、ルーチェっぴ、やったことない感じ?」

「うん。まだ習ってない。……使えないと、ま、まずい?」

「あー。基本的に魔法ダンスコンテストで使う魔法って幻覚魔法なんだよねー」

「……そうなんだ……」

「でーも、だいじょーぶ、だいじょーぶ! あんなの練習したらころっと覚えるから!」

「そうなの?」

「呪文は基本決まってる言葉並びだから、暗記さえしちゃえばあとはイメージで補えばいいだけ。簡単だから、ルーチェっぴも出来るって! ミランダに習えばいいじゃん!」

「……その……そういうのあまり教えてくれる人じゃなくて……」

「え、そうなの?」

「うん。基本的に自分で学びなさいって人だから、参考書とか……買った方がいいか……」

「あー、じゃあさ、俺っち使ってない教科書とかあるからあげるー」

「え、いいの?」

「うん! 幻覚魔法について書かれたと思う! 今使ってるのも書いてあるし、俺っち幻覚魔法はもうマスターしてるから大丈夫なの」

「そうなの? じゃあ……お願いできる?」

「オッケー。明日持ってくるわぁー」


 クレイジーがスマートフォンのメモに入力した。『教科書』。


「幻覚魔法云々は抜きにして、魔法のことちょこっとやっちゃおー」

「うん」

「最初にさ、景色を全部館っつーの? お城の廊下にしないといけないわけじゃん? 配分決めとこ? 俺っちは壁とか床とか背景全体やるからさ、ルーチェっぴ、家具とか頼める?」

「ん。わかった。アニメーションのイメージで良いんだよね?」

「そぉーそぉー。自分が上る階段は自分で出す感じ? 階段にもこだわりたいよね。個性的な階段で検索したら色んなの出て来るよ。……ほらぁー」

「あ、これいい」

「どの魔法でもそうだけどさ、幻覚魔法は特にイメージ大事なわけ、頭から抜けるとその瞬間魔法は解けるから、まあ、慣れだよね」

「わかった。練習するね。ミランダ様もよく仰ってるんだ。数が物を言うって」

「ふーん。いや、俺っちもその通りだと思う。時間ある限り練習してなんぼっしょ。……衣装も幻覚魔法でどうにか出来そうだね」

「衣装も?」

「ルーチェっぴ、俺っち達は魔法使いだよ? 魔法で華麗に変身してなんぼっしょ。ほら、……このタイミングでさ、女の子普段着からドレスに変身してんじゃん? これ魔法でやった方が絶対カッコいいって」

「幻覚魔法で出来るの?」

「出来る出来る。練習次第で」

「そっか。わかった。……メモしていい?」


 あたしは鞄からノートを取り出し、やること一覧を作っていく。


「じゃあ、あたしがするのは、お城の家具……と……階段……と、ドレスとかはこのあ、あ、アニメと同じのでいいんだよね」

「うん。同じのでオッケー」

「この杖はどうする?」

「これは……兄ちゃんに作れるか訊いてみる!」

「……作れるの?」

「兄ちゃんそういう仕事してっからぁー」

「すごいね。……あ、この赤と黒のところ……これも幻覚魔法?」

「これあれだね。周りは赤色の背景で、動いてる二人が影になってるじゃん? だから背景だけ幻覚魔法で、二人は闇魔法で影に包ませたら出来ると思う」

「あ、なるほど……」

「俺っち、影やるよ」

「え?」

「闇魔法危ないし、俺っちやるから、ルーチェっぴ背景だけお願い」

「……あー、だったら……」

「ん?」

「逆の方がいいかも」

「え? 闇魔法やりたいの?」

「その……結構得意なんだ」

「えっ、闇魔法だよ!? まじ!?」

「ここ、白と黒に出来ない? だったら光魔法と闇魔法を合わせて出来ると思う」

「は!? まじぃ!?」

「やってみないとわからないけど……」

「ルーチェっぴやばみすぎぃ☆!」

(やばみすぎ……?)

「でもさ、吸血鬼だから赤色の方が良いな。俺っち背景やるから影頼める?」

「わかった」

「ちょっと危なそうなら言って。俺っちも出来ないわけじゃないからそん時は変わろー」

「うん。ありがとう」

「んー、今のところこんなもんかな。後は明日やってみて……」

「だね」


 二人でおやきを頬張る。


「ルーチェっぴ、この後は?」

「バイト。クレイジー君は?」

「俺っちもバイト。いえーい。おそろーいww」

「学生は大変だよね」

「これ明日絶対筋肉痛になるわぁー」

「あ、そういえばと、と、図書室で歴代のダンスコンテストの動画見れたよ」

「あ、だね」

「うん。一回見てみてもいいかも」

「あ、もう全部見た」

「……早いね」

「うん! ダンスコンテストの話聞いた時にどんなもんかなーって思って調べたんだよねぇー。俺っち、そういうとこ行動力早いからさ」


 クレイジーが笑った。


「見てるならルーチェっぴも大体のイメージ分かってる感じだよね。話早くて助かるわぁー。明日からまたがんばろー」

「……うん」


(……そっか。この後、バイトか……。大丈夫かな……)


 あたしはおやきに噛みついた。



(*'ω'*)



(はあ……体だる……)


 アダルトグッズを目の前にぼうっとする。


(学校祭の準備期間もこんなに疲れる事なかったのに、今日はやばいな……。ああ、ローターはこっち……。ディルド……ディルド……あれ、何入れようとしてたんだっけ? あ、ディルドだ。えっと……ディルド……あれ、何探してたっけ? あ、ディルドの棚だ。あれ、なんかローションの棚に来てた。こっちじゃなくて、あれ、どこだっけ……)


『ルーチェちゃん!』


 インカムのイヤホンから気前の良い先輩の声が聞こえる。


『休憩いつ入る!?』

「……あ、そろそろですね」

『おん!』

「今入っていいですか? なんか疲れちゃって」

『弁当買ってく?』

「そうですね。買ってい、きま……」


 ――手首を掴まれた。


「……?」


 振り返ると――知り合いが真顔であたしを見下ろしていた。


「……」


 あたしはその手に持つ袋を見て、インカムに答えた。


「今日は、……大丈夫そうです……」

『あ、そう?』

「休憩いただきます……」


 インカムを切り、あたしは相手を見上げる。


「……あの……何かありました?」

「ウイ。ちょっと話があるんです」


 真顔のジュリアが表情を変えず、あたしに言う。


「いいですか?」

「あたしですよね?」

「セサ」

「……あたし、な、何かしました?」

「ウイ」

「……えっと……」

「とりあえずお弁当食べながら話しましょうか。お腹空いてますよね?」


 今日もかつ丼を買ってきてくれたらしい。お茶も入ってる。けれど、ジュリアの表情は変わらない。


「あの、なんか怒ってます……?」

「ウイ」

「……学祭の時ですか?」

「裏口で話しましょう? ね。折角の休憩ですから」

「あ、はあ」


(……なんか怒ってる)


 ジュリアさんが怒ってる。


(口数少ないし……なんか……)


 店全体が闇で染まっていく感覚。


「ママー、なんか目眩してきたー」

「あら、あんたも?」

「はあ……。明日も仕事か……」

「買いものしようと思ったけどいいや……。帰ろう……」

「あ……なんか何もかも嫌になってきた……」


(お客さんにも影響が……)


 ジュリアについていき、裏口に出る。


「あの、ジュリアさ……」


 ――あたしの足が止まった。――ジュリアがあたしの横の壁を拳で殴ってきたから。


(えっ……)


タ・ギョ-ル黙れ。笑えない冗談ですね。間抜けちゃん」


 前髪越しから禍々しい紫色の瞳があたしを睨む。


(こ、怖い……!)


 体全体に緊張が走る。声を震わせて、あたしは訊く。


「……なな、な、何、が、でしょうか……」

「愛しい目で見てきても駄目ですよ。私、嘘つきと裏切り者がとても嫌いなんです」

「あの……えっと……」

「間抜けちゃん、私に言うべきことがありますよね?」

「へ? ゆ、ゆ、言うべきこと……?」


(え、何だろう。ジュリアさんに言いたい事なんて特にないんだけど……学校祭来てもらってから会ってないし……ミランダ様と……何かあったとか……? え、でもそんな話聞いてないし……)


「あの、よよ、よーくわからないので……す、す、すみません、けど、概要を、その……」

「概要。……概要ね。……ああ、そうですか。いいですよ。……間抜けちゃん」


 ジュリアが懐から数枚の写真を出した。


「これは何ですか?」

(あ)


 それはあたしとクレイジーが写った写真だった。おやきを食べながら打ち合わせをしているところ。二人で学校から出るところ。クレイジーに肩を掴まれてダンスコンテストに参加してほしいと言われてあたしが驚いてるところ。


(……)


 あれ? これ、隠し撮り……。


「誰ですか? これ」


 見ると、ジュリアが憎しみの眼であたしを見ている。


「答えてください」

「……え? えっと、……同じ学校の子です」

「はあ。同じ学校。そんなことはわかってるんですよ」

「え?」

「私が聞いてるのはね? 間抜けちゃん。彼とどういう関係かと聞いてるんです」

「関係? ……えーっと、……とー、……友達です」

「友達って色んな人に当てはまりますよね。で、友達とは、夏休みにこんなにべったりくっついて、一緒におやきを食べ合うんですか? へえー」

「安いのがおやきくらいだったので……」

「彼は誰ですか? 何なんですか? なんでこんなに仲良さそうにしてるんですか? なんで肩を掴まれてるんですか? 何言われたんですか? 彼は何なんですか? 君にとって何をして、彼と君は、どんな関係なんですか!?」

「え、あの、えっと、あの、ん、な、な、なー、夏休みに、だ、あの、た、だ、ダンスがあって、えっと、コココ、コンテストの……」

「ダンス? コンテスト?」

「はい。ダンスコンテストに、一緒に参加しようって……この写真の時に言われて……」


 肩を掴まれてる写真を指差す。


「で、一緒に高みを目指して、結果を残そうって、言って誘ってくれた……上のクラスの……友達です……けど……」

「……」

「……えっと……それだけ……なんです……けども……」

「……彼氏じゃないんですか?」

「へっ? 彼氏ですか? ……あー、いや。……冗談とか言う子ですけど、そういうわけじゃなくて、本当にただの、悪い子じゃなくて、ダンスの相方でっ」


 ――ジュリアがあたしを思い切り抱きしめてきた。


「じゅ、ジュリアさん?」

「良かった……!」


 その手は震えている。


「本当に良かった!」

「えっと、あの……」

「私怖かったんです……! 君が、こんなクソガキに取られてしまったんじゃないかと思って!」

(クソガキ……)

「ダンスの相方、コンテスト、あ、そっか。あれか。ヤミー魔術学校の、ダンスの大会。この時期は、あ、そうだった! あー、なんだ! 良かった! そういうことだったんですね!!」


 ジュリアさんが泣きそうな顔であたしの頬に触れ、ようやく浮かべた笑顔で口を開ける。


「良かったぁ! だって、私、このままここで君を殺して、私も死のうと思ってたんですよ!?」

(えっ、この人今なんて言った?)

「ほら、見て! ここに包丁もあるんです!」

(え? 包丁、あ、まじだ。ん? えっ? え?)

「時間をかけて職場で研いだんですけど、いらない書類とかまとめて切れるようになるまで研いだりしたんですけど、部下達からやばい目で見られたりしたんですけど! いやぁー、時間の無駄になっちゃいましたぁー!」

(え、え? これ、え? だってこれ、え? え?)

「もう、不安にさせないでください! すっごくドキドキしちゃった!」

(え、これ、あたし、刺され……え、何? この人、まじで、え!?)

「ルーチェ……」


 ジュリアがあたしを再び抱きしめた。


「私のルーチェ……」

「あ、え、えーと……」

「間抜けた間抜けの私のルーチェ。絶対……誰にも渡しません……」

「……ジュリアさん、あの、……おー、べんとう、食べません?」

「あ、そうですね! お腹空いてますよね! すみません! 全くもう一人で暴走しちゃって! 私ったら! もう!」


 なんだか、急に闇がどこかへ消えたかのように空気が軽くなった気がする。店から出た客がやっぱり買い物をする決心をして、もう一度店に戻っていった。


 地べたに座り、ジュリアがマントを脱ぎ、畳んで横に置く。


「間抜けちゃん、ほら、ここ」

「わっ、あの、いえ! マントは申し訳ないので、あたしも地べたに!」

「私がそうしたいんです、ね? 私のマント、貴女のお尻で踏んで欲しいんです」

「いや、あの、本当に、あの……」

「え?」


 ジュリアが包丁を握った。


「断るんですか……?」

「まさかー!」


 あたしはマントに座った。


「ありがとうございます! ダンスの練習で体中痛くて! 感謝します!」

「んふふ。喜んでくれて良かったぁー!」

(この人、今日メンタルヘルスの日だ!! やべえ!! 余計なこと言わないようにしよう!)

「体中痛いんですか? 大丈夫?」

「あ、た、大したことじゃ、あ、おべ、あ、あば、あっためますね……」

「あ、私がやるから大丈夫ですよ」

「いえ! ジュリアさんが魔法使ったらここら周辺とんでもないことになるので、あたしが!」

「少しだけなら大丈夫ですから」


 ジュリアの紫のピアスが光った。


「体中痛いのでしょう? 無理しないでください」

(……あれ?)


 お弁当が温まってる。でも、闇魔法の気配はない。あたしが訊く前に、ジュリアが自分から言った。


「私のピアス、ちょっとの魔法なら魔力を抑えてくれるんです。魔法省が開発したものなんですけど、あまり意味なくて。でもまあ、この程度なら」

(それって、魔法省が開発しててもそれを上回る魔力を持ってるってことだよね……? ……闇魔法使いって……特にこの人は……やっぱり化け物だ……)

「お茶もありますからね。はい」

「あ、ありがとうございます……」


 お弁当の蓋を開ける。良い匂いが鼻に入って来る。


(わっ……ランチ、おやきだけだったから……匂いを嗅ぐと……!)


 くぅ。

 あたしのお腹が鳴った。はっとして、あたしは慌ててお腹を隠した。それを見たジュリアが吹き出す。


「ひひひ! どうぞ。召し上がって」

「い、いただきます……」


 かつ丼に箸を通す。お米と一緒にいただきます。ぱく。


(……っ……うめえ……!)


 体に染み渡るぅ……!


(やばい、箸止まんない……)


 夢中でぱくぱく食べてしまう。


(本当はお礼とか、もっと言った方がいいんだろうな。でも、後でいいや。もう目の前のかつ丼のことしか考えられないんだもん! これ、美味い! やばい! 止まんないわ! これ!)


「……ついてますよ」

(んっ)


 ジュリアの指があたしの口の端についてた米粒を取った。


「本当にお腹空いてたんですね」

「……すみません……」

「いいんですよ。買ってきて良かった」


 ジュリアが取った米粒を口に入れ、笑顔であたしを見つめる。


「どうぞ。私のことは気にせず食べてください」

「ありがとうございまふ……」


 もぐもぐ。


「んふふ。ルーチェ、ここにも」

「んっ」


 もぐもぐ。


「ふみまへん……」

「二杯目いけそうですね。私の食べます?」

「いえ、あの、そこまでは……」

「残したら私が食べますからいいですよ」

「……あの、えっと、じゃあ……」


 甘い誘惑に誘われて、いけるかなと思ったら――空っぽになった容器を見て、ジュリアが声を出し大爆笑した。


「ぎゃはははは! 見事に平らげましたね! 間抜けちゃん!」

「……すみません……。ご馳走様です……げふっ……」

「美味しそうに食べてくださってありがとうございます。買ってきた甲斐がありました」

「本当に……すみません……」

「ダンスコンテストはいつですか?」

「あ、えっと、さ、三段階あって、C、B、Aでレベルが上がっていくんですけど、人前に出れるのはAまで上がれた人達なので……」

「では、Aまで上がれたら声をかけてください。仕事が無ければ見に行きますから」

「え、まじですか?」

「行きますよ。もちろん。魔法さえ使わなければ人が沢山いるところでも大丈夫ですから」

「……それなら……」


 笑みを見せる。


「あの、頑張ってみます。出来る限り……」

「ウイ。でも無理は禁物ですよ?」


(わっ)


 額にキスをされる。


「じゅ、ジュリアさ……!」

「あのクソガキに何かされたらすぐに言ってくださいね? チャットでも大丈夫です。一瞬で駆けつけて君を守ってあげますから」

「いえ、あの、大丈夫です……。そ、そ、そういうことする子じゃ、あの、ないので……」

「もう。間抜けちゃん。君は本当に間抜けちゃん。男はね、ケダモノですよ? 男だけじゃない。私以外は皆ケダモノです。間抜けちゃんが頼れるのは、信用できるのは、信じていいのは私だけなんです。ね? わかった?」

(いえ、貴女が一番ケダモノです……その後お姉ちゃん……)

「怖がらせてしまってすみません。君を怖がらせないと誓ったのに、私の勝手な妄想で約束を破ってしまいました……」

「あ、いえ、あの、気にしてませんので、あの……」

「ええ。私、もう絶対怖がらせませんので。疑ってしまった時はちゃんと君からお話を聞きます」

「あ、はい……そうしていただけると」

「愛してます。ルーチェ」

「あ、ありがとうございます……」

「休憩が終わるまで、このまま君を見つめててもいいですか?」

「あ、いや、あ、はい……」

「ありがとうございます。間抜けちゃん」


(……あと何分で終わるっけ……)


 あと7分。


(……うわ……)


 7分間、無言のまま、気まずい空気であるにも関わらず、ジュリアは気にせずあたしを輝く瞳で見続けた。

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