第3話 マインドコントロール
ベッドの前に椅子を引きずらせ、ミランダ様が座り、ベッドに指をさした。
「座りな」
「はい」
あたしは座り、正面に座るミランダ様を見た。
「目を閉じて」
あたしは軽く瞼を閉じた。
「これからマインドコントロールをするための準備をするよ。そのためにはまず体の力を全部抜かないといけない。だけど、体の力を抜けって言ったって人間急には出来ないものだから、ゆっくり筋肉を緩ませていくんだよ。呼吸の仕方は鼻で息を吸って口で吐く」
(わあ、まじで催眠術かけられるみたい。ドキドキ!)
「ルーチェ、お前はイメージするのが得意だね。その力をここで見せるんだよ。いいね」
はい!
「返事はしなくていいよ。お前の集中力はすぐに途切れるからね」
ミランダ様が静かになった。静かな時間が続く。あたしは呼吸を続ける。……眠くなってきた。
「ルーチェ、始めるよ」
(……やべ。今ちょっと寝かけた。よーし! 来い!)
「右手に拳を作って、右腕全体に力を入れてごらん。5秒数えるよ。いくよ。1、2、3、4、5。はい、脱力」
あたしは息を吐いて脱力した。これを3回繰り返した。
「次は左手に拳を作って、左腕全体に力を入れる。いくよ。1、2、3、4、5。はい、脱力」
あたしは息を吐いて脱力した。これを3回繰り返した。
「次は顔。目も口も顔の全部が中心部に集まるイメージで力入れてごらん。いくよ。1、2、3、4、5。はい、脱力」
あたしは息を吐いて脱力した。これを3回繰り返した。ちょっと恥ずかしかった。
「次は首。息を吸いながらゆっくり右から回して、左に回す。凝ってるところがあればそこをほぐすイメージでやってごらん」
あたしは息を吐きながら1回ずつ首を回した。骨がゴキゴキ音を鳴らした。
「次は肩。押さえるから思い切り力入れて上に上げてごらん。こら、まだだよ。いくよ。1、2、3、4、5。はい、脱力」
あたしは息を吐いて脱力した。これを3回繰り返した。なんだか気持ちよくなってきた。
「次は胸。息を吸いながら前に張り出して、私がいいよって言うまでキープしてみなさい。で、脱力する時はゆっくり力を緩める。一回やってごらん。いくよ。1、2、3、4、5、ストップ。キープ。1、2、3、4、5。緩める。1、2、3、4、5。そうそう。出来るじゃないのさ」
これを3回繰り返した。さっきよりも力の抜け方が上手になってきた気がする。
「次は肩甲骨。今のとパターンは同じだよ。両方の肩甲骨が中心に寄せるイメージで力を入れて一回キープする。で、ゆっくりと緩める。いくよ。まずは力を入れる。1、2、3、4、5、ストップ。キープ。1、2、3、4、5。緩める。1、2、3、4、5。そう。そういうこと」
これを3回繰り返した。なんだか意識がふわふわしてきた気がする。
「次はお尻。お尻の穴をゆっくり締めていって、キープして、緩める。いくよ。1、2、3、4、5、ストップ。キープ。1、2、3、4、5。緩める。1、2、3、4、5」
これを3回繰り返した。お尻に筋肉がついた気がした。
「次は足。右足から行くよ。息を吸いながら力入れてごらん。いくよ。1、2、3、4、5。脱力」
これを3回繰り返した。右足がじんじんする。
「左足……まだ力入れるんじゃないよ。せっかちだね。いくよ。1、2、3、4、5。脱力」
これを3回繰り返した。体全体の血の巡りが良くなり、温かい。
「今ので体全体の力を緩ませたから、しばらくリラックスってものを感じてごらん」
(あー、確かにリラックス……してるかも……)
酸素を鼻から吸って口で吐くを繰り返していると、どんどん頭の中がぼーっとしてくる。なんだかこのまま寝てしまいそう。ああ、ミランダ様、寝てしまいそうです。瞼を閉じてるから余計に、あたし、寝てしまい……そう……です……。……。……すぅ……。……ふへっ……。あたし……起きてます……。……。ふへっ。
「ルーチェ、もっと長く息を吐いてごらん。吸う時は軽く吸って、長くゆっくり吐く。で、この時に」
ミランダ様があたしのお腹に触れた。
「お前のお腹の中にあるものを全部外に出すイメージでやってごらん」
あたしはイメージした。お腹の中にあるものが外に出て行く。軽く吸って、長くゆっくり吐く。体の力は抜く。
「そう。じゃあ次はお前の記憶を頼ろうかね。恥ずかしい事や嫌な事を思い出してごらん。何でも良いよ。ムカつく客の顔や、先生。あんなことしてしまったな、こんなことがあったな。不安なことでもいいさ。これが心配だ。あれが怖い。将来こうなったらどうしよう。モヤモヤすることや、お前が抱えている問題、悪いもの、それを息と一緒に外に出すイメージでゆっくり吐いてごらん」
さっきよりもイメージしやすい。なぜなら嫌な事や悪い事の記憶は鮮明に覚えているからだ。不安な事や心配な事、あの時の事、この時の事、悲しかった事、モヤモヤする事、体に溜まっている悪いものを、あたしは体から追い出すつもりでゆっくりと長く息を吐いた。出て行け、出て行け。そうすると、体から悪いものが出て行った感覚に陥った。もっとしたくなって、あたしはまた軽く息を鼻から吸って、口からゆっくりと長く吐いた。出て行け、出て行け。また悪いものが外に出て行った気がした。
「悪いものを追い出したからちゃんとリラックス出来そうだね。想像してごらん。どこでもいいよ。ここはお前が一番落ち着ける場所。そうだね。お風呂の中でもいいし、青空の下の草原でもいいし、海でもいい。ここはお前が一番落ち着ける場所だとちゃんとリアルにイメージしてごらん」
ならばあたしはこうイメージするだろう。ここは自分の部屋ではなくミランダ様の部屋で、これからあたしはミランダ様と一緒にベッドに横になるんだと。頭の中でイメージしてたら、なんだか胸がどきどきしてきて、どんどん落ち着いてきて、自然と呼吸が軽くなった気がした。
「そろそろ次のステップに行こうかね。ルーチェ、右腕に集中。右腕には重りがぶら下がってる。だからどんどん重くなっていくよ」
あたしは想像した。右腕にお米5キロ分の重りがぶら下がってる。あ、重たい気がする。あたしの右腕がだらんと下がった。
「で、お前の右腕は重力に従いながら、太陽の光にも当たってる。それがお前はすごく気持ち良くて仕方ないんだ。重たくて、温かくて、気持ちいい。想像してごらん」
あたしは想像した。右腕が重たくて、温かくて、気持ちいい。
「結構。ルーチェ、次は左腕に集中。言いたいことはわかるね? 左腕にも重りがぶら下がってるんだ。だからこっちもどんどん重くなっていく」
あたしは想像した。左腕に重りがぶら下がってる。重たい、重たい。あたしの左腕がだらんと下がった。
「ほら、太陽の光がお前を照らしてるよ。温かいね」
あたしは想像した。左腕が重たくて、温かくて、気持ちいい。
「そこまで。ルーチェ、次は足に集中。右足からいくよ。重りをぶら下げてごらん」
あたしは想像した。右足に重りがぶら下がってる。しかしそこへ太陽の光が当たっている。重たくて、温かくて、気持ちいい。
「慣れてきたね。左足に集中。重りが重たいね」
だけど気持ちいい。だって太陽の光が温かいから。重たい、だけど温かい。気持ちいい。
「次はお腹に集中。太陽の光がお腹にも当たってる。だから温かくて気持ち良くなってくる」
あたしは意識をお腹に向けた。太陽の光がお腹に当たり、どんどん温かくなっていく気がした。
「ルーチェ、額に集中。お前の額に優しい風が吹いてるよ。涼しくて心地好くて気持ちいいのを感じてごらん」
あたしは意識を額に向けた。優しい、心地の良い涼しい風が吹いて、あたしの額に当たる。そんな気がした。ここは草原なのかもしれない。だったら草の音が聞こえてくるはずだ。いやいや、ここはただの部屋の中だ。わかってる。だけど草原だと思った方が風の涼しい感じが想像しやすくなるからあたしはイメージしてみる。ここは草原。ミランダ様と草原に来てあたしは座っている。優しい風が吹いてる。草の匂いを感じる。草が擦れる音も聞こえる気がする。風の匂いを感じる気がする。そんな気がする。太陽が温かい。光が当たる。ここは草原。草原の真ん中。穏やかな草原の中。
「ルーチェ、ここまで来たら、一つ自分に暗示をかけてごらん」
――暗示?
「さっきお前は私に『緊張を無くす方法』を訊いてきたね。だったら、このままの状態でこう思ってごらん。『あたしの心はいつでも落ち着いている』」
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
あたしは暗示を唱える。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
非常に穏やかな草原の中で唱える。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
頭の中で繰り返す。呼吸は止めない。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
――あたしの心はいつでも落ち着いている。
……あたしの心はいつでも落ち着いている……。
……あたしの……心は……いつでも……落ち着いてる……。
私はいつでも落ち着いてる。
「そこまで」
肩を叩かれて、軽く肩に力が入った。
「目を開けて良いよ」
「はい」
あたしはぱっと目を開けた。ミランダ様が目の前にいる。
「気分はどうだい?」
「眠たいです」
「あくびして」
「ふわあ」
「肩の力緩めて」
「ふわあーーーあ……」
「どうだい?」
「……心なしか、ミランダ様がこれだけ近くにいるのに、心が落ち着いてます」
「落ち着いてる気がするだろ?」
「します」
「今どもらなかったね」
「……あ、ほ、本当ですね」
「今はどもったね」
「すみません」
「でも気持ちは?」
「穏やかです」
「それがマインドコントロール。自己催眠さ。自分で自分を洗脳して気持ちを操る」
「……すごいです」
(本当に気持ちが落ち着いてる。体の筋肉が緩んでるせいかな?)
「気持ちが切羽詰まって体に力が入ってるのを感じたら立ったままでもいいからやってごらん。で、今やったのを全部じゃなくて、省略してもいい。腕と足だけやるとかでもいいし、肩だけやるでもいいし、とにかく体の筋肉を緩ませてリラックス状態を作れば脳は催眠にかかりやすくなる。……もっと早くに教えるべきだったかね」
ミランダ様、この暗示であたしのADHDや、吃音症も治りますかね?
「それは脳の問題だから絶対治る、とは断言できないけど、『徐々に良くなる』っていう暗示ならしてもいいんじゃないかね。ああ、そうそう。暗示は一つだけにしておきな。何個もあると脳が混乱する恐れがあるからね。一個ならその一個に集中できるだろう?」
確かに。
「寝る前とかにやったらどうだい?」
これすごく眠くなります。
「ふふっ。そうだろう」
これ、ミランダ様が考え出したんですか?
「いいや? 戦場で一緒に戦ってた上官に教えてもらった」
……上官ですか。
「とても良い人でね、娘が私と同い年だったそうでとても親切にしてくれた。敵が外にいて全員地下に隠れて、しばらく出られなくなった時に自己催眠の仕方を教わった。全員、心身参ってたからすごく助かったよ」
……そういうのって、あの、……トイレとかどうしてたんですか?
「その場でしてた」
……魔法でどうにか出来なかったんですか?
「うん。今の私なら出て行って全員を蹴散らす事が出来るがね、あの時はまだ子供だったし、未熟だった。何を持ってるかわからない敵全員に太刀打ちできる力は、当時の私には持ってなかったんだよ」
……。
「班の皆は本当に優しかった。全員同じだし、わかってたからね。心がおかしくなりそうになったら全員この自己催眠をやってた。私はそれに追加して」
ミランダ様が首に下げた十字架のネックレスを握った。
「アルス様に祈っていた」
アルス様……って、最初の魔法使いの?
「そう。世界に現れた最初の魔法使いと言われているアルス様」
魔法使いはアルス様の登場から始まった。魔法使いであれば、そうでなくとも、世間一般に知られている知識だ。
「どうか早くこの戦いを終わらせてくださいと祈ってた。それでも日に日に敵国からの侵略は続き、戦いは激しくなっていった。無事に地下から抜け出して、次の現場でその上官とは別行動になって……後日、その上官が別行動になった現場で戦死したと聞いた」
……。
「争いは何も生まれない。失うだけさ」
ミランダ様が十字架から手を離した。
「お前もいざって時はプラスアルファで祈ってみな。アルス様のご加護は魔法使いにはついてるからね」
……わかりました。
あたしは改めて、平和になった時代に感謝する。
「祈ってみます」
あたしは頬を緩ませる。
「あたし、すぐに緊張し、し、しちゃうので、これ、とても使えそうです」
「ああ。慣れてきたらパッと出来るようになるものだよ」
「慣れたら催眠にかかりにくくなったりしないんですか?」
「逆だよ。起きてても自己催眠出来るようになる」
「何ですかそれ。すげえ」
「お前はそこまでいけるかね?」
「ミランダ様、夏休みは始まったばかりですよ」
「三日坊主で終わらないかい?」
「……気軽にやってみます」
「ああ。気軽にやってごらん。お前は何でも極めてやるって意気込むからね。だから三日坊主になるのさ。長く続けるコツは気軽にやるところからだよ」
そう言ってミランダ様は微笑み、肩をすくませた。
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